二
薄暗い空間、ひんやりとした大理石の感覚が尻にある。大きな銅像を背もたれにし、エオンは黒く長い棒を握ったままに向こうの様子を伺っていた。彼の近くの展示物や床は、軽機関銃による銃撃の跡が広がっていた。空気の流れがない広い空間に、硝煙の臭いが留まり続け、エオンの鼻を殴った。
「寄贈品でもお構いなしか」
ここは街で一番大きな歴史博物館であるとエオンは聞いていた。しかし隣国の同盟国、『軍事帝国アルジェント』との友好の証という名目で建てられたから、展示されているものはアルジェントから寄贈された物ばかり。武器であったり、向こうの英雄の遺品のレプリカであったりと。この国、『科学帝国オーロ』の物などなかった。
「『人外』ッ! 臆病風に吹かれたか、人外ッ!」
隠れ続けているエオンに痺れを切らし、相手が無差別に引き金を引いた。飛び散った銃弾はさらに展示物や床などを壊し、破片と埃が舞う。
エオンはそれを浴びながらも、怖気づくことなくただ機会を伺い続ける。弾道から、銃器は床に固定されたものであるとわかる。部分変身によってタペタムを持つ瞳は、暗い環境下でもしっかりと物を見られる。隠す必要もないから、獅子の耳も虎の尻尾も出して感覚を研ぎ澄ませた。
「面倒くさいな……」
握っていた棒から光のモノを抜き、残った棒を紐で背中に背負うようにする。そして彼は向こうの軽機関銃の相手に言葉を投げかける。
「このままではお互いに時間のムダになる。いい加減諦めて、お互いに退こうじゃないですか」
「ふざけるな! 仲間を殺っておいて退けだとッ!? 『人外』などこの銃で木端微塵にしてくれるッ!!」
思っていた通りの返答にエオンはぐっと拳を握った。
「勇ましいが故に、情けはかけられなくなった……よッ!」
エオンは近くに転がっていた展示品の古びた大剣を相手のいる方向へと投げた。高く上げたその剣の刀身が非常灯の光でわずかに輝いた。
投げた瞬間エオンは棒から抜いたモノの握り手を口にくわえたまま瞬時に獅子と虎の特徴を併せ持った獣へと変身し、銅像から飛び出して四本の脚で風のように駆けだした。
軽機関銃の兵士はつられてしまい、その輝いた物に照準を合わせて引き金を引いた。
狙いが完全にエオンから外れている隙を、獣、人外である彼が逃すはずなかった。
「ちょいさぁッ!」
彼に気づいて銃口を戻そうとしたものの、すでに間に合うものではなかった。獣と化したエオンがくわえている光のモノ、東の島国の剣、『刀』が通り過ぎざまに兵士の腹を斬った。
確かな手ごたえ通り、鮮血が散る。
「があぁッ!!」
それでも兵士はまだ抵抗を試みようとした。深緑の軍服を自らの血で染めつつ、腰の自動拳銃を取り出して構え、エオンへ狙いをつけようとした。
「上手いッ!」
くるりと身体を反転させながら獣から人の姿へ戻ったエオンは、刀を口から離し、手で握ってその勢いのままに袈裟切りにした。
兵士は短い断末魔を上げ、そのまま力なく倒れた。結局拳銃から銃弾が出ることはなく、持ち主が事切れるのと同時に床へと落ちた。エオンはトドメを刺すため、兵士の首を刀で刺し、捻って抜く。
硝煙だけではなく、鉄さびの臭いも膨れていく。死体から流れる血が、エオンのブーツの裏を汚す。彼は刀を一振りし、背中に背負っていた鞘へと収めた。けれど肩に重みを感じるのは嫌だったので、すぐに紐をほどいてベルトに差した。
どうやらこの兵士で最後だったらしい。博物館に人の気配はなくなった。
『……応答、誰……な……』
ノイズ雑じりの汚い音声がした。獅子の耳をぴょこぴょこと動かし、エオンはそれが兵士の持っていた無線機であることを突き止め、探り、血に染まったそれを手に取った。強い衝撃にも耐えられるように作られていたようで、壊れてはいないらしい。
「もしもし」
つい彼は返事をしていた。けれど返答が帰ってこないので、出口へと足を進めながら何度も「もしもし」と繰り返した。
そのままに外へと出ると、夕日が瞳に刺さって眩ませた。すぐに慣れると、仲間たちの姿が見え、そちらへと向かった。階段下の広場だ。
「ん?」
無線機のノイズがマシになったのは、きっと外に出たからだ。エオンはそれくらいのこと、思いつける。
『誰か、応答してくれ』
「もしもし」
『……誰だ、お前は?』
「無線機を拾った人外です」
『なっ……!』
広場へとたどり着くと、一人の青年が駆け寄ってきた。年齢にすれば大きいエオンより二倍ほどの背丈のある大男。年上というだけでは説明できないくらいに。彼もエオンと同じく人外。しかし今は人の姿を取っている。
「エオン、誰と話してるんで?」
「この付近の人間はこれだけか?」
「ええ、見つけた限りはこれだけです」
広場には縄で縛られた人間たちが集められていた。エオンはその光景を見やる。
夕飯の支度をしていた主婦、痩せ細った老人、近くで遊んでいた子供、学校帰りの学生、つぎはぎだらけの作業着を着た中年の男。色んな世代の色んな人間が石畳の上に座らされていた。その数ざっと百人ほど。そして皆、これからのことを想像してがたがたと寒くもないのに震えている。
「多すぎることも少なすぎることもなく、十分だな」
そんな人間たちに、仲間たち十数人が短機関銃を向けていた。もちろん全員人外だ。
『貴様、何をしている?』
「把握してないんですか? 人間なのに。人外がこの歴史博物館を襲撃し、人質を取ったって連絡、行ってないんですか?」
『お前は、誰だ? その雰囲気、この襲撃の主導者か?』
はあ、とため息を吐いて肩を落とす。
「質問を質問で返すなんて……。はい、そうですよ、オレが主導者って立場になる存在ですよ。初めまして、人間さん。オレはエオン。人外の、種族はワーライガーってヤツです」
獅子の耳と虎の尻尾。灰褐色の長い髪にくすんだ黄色いネコ科の瞳を持つ、ワーライガー十六歳の少年エオン。
彼が人外たちを率いてこの博物館襲撃を行った主導者。ワーライオンの父とワータイガーの母から生まれた、ワーライガーと呼ばれる特別希少な種族の人外だ。
『そこに人質たちがいるのか?』
「ああ、目の前に百人くらい。そうだ、誰か一人と話してもらおう。不安なとき、誰かと話せるというのはとてもいいことだから」
首をゆっくりと動かして人質たちを見回す。どういう人物が相応しいか考えて、無線機の相手は男、そしてまだそう歳ではないということから、若い女を選んだ。さらに効果を強くするため、学生にする。
「学生さん」
目の前にやって来たエオンに女学生は身体を跳ね上がらせる。
エオンは彼女の前でしゃがみ、無線機を差し出した。
「向こう、人間さん。話したいって」
彼女は言葉を理解し、焦点の定まらない瞳のままで恐る恐る口を開いた。
「た、たっ、助け、助けてください……」
『あなたは人か? 名前は?』
「人です、だから助けてくださいッ。お願い、早く助けてッ。嫌ッ、死にたくない……死にたくないんですッ」
女学生の言葉に周りの人間たちも同調し始め、各々に助けを求めだす。エオンは必死にすがる女学生を軽く押して倒れさせ、立ち上がって人質の群れから離れて無線機に再び話し掛ける。
「全員の命がすこぶる躍動しだしたぞ。あなたたちはどうしたい?」
『人質を離せ、今すぐに人質を解放しろッ!』
「感情的なモノの言い方は全員を殺すぞ」
エオンが片手を上げると、短機関銃を仲間たちが構えた。その仕草に人質たちはすぐに先を想像できてしまい、一斉に阿鼻叫喚の巷(ちまた)となる。
『わっ、わかったッ……! 頼む、人質を解放してやってくれッ!』
「まだ他人事だ。お前は自分が死なない立場にいると、まだ能天気だからそんな頼み方しかできないんだ。もっと、もっと喉を絞って額を地面にこすり付けて、血涙を流して歯を砕くほど食いしばって必死の乞いをするべきだ」
ただの比喩だったのに、無線機の相手は言われた通りに喉を絞って額を地面に押し当てたようだ。
『お願いしますッ! 人質を、人質たちをどうか解放してくださいッ! 殺さないで、殺さないでくださいッ!』
わかる、相手の悲痛な姿がエオンには想像できていた。なりふり構わずただ願っている姿を。かつての自分がした、その惨めで無様腐った乞い。そのような想像が出来たからこそ、
「嫌」
彼が手を下した瞬間、仲間たちが一斉に引き金を引いて銃弾を人質に向けてばら撒いた。銃撃音と人質たちの今際の際の叫びが混ざりに混ざって広場にこだました。それは間違いなく無線機の向こうにも届いている。
激しい発火炎と硝煙の中、エオンはさっきの兵士の軽機関銃を持ってきておくべきだったと後悔した。すれば弾薬の節約になった。
『なんで、なんでなんだ……ッ、なんでぇ……ッ』
「お前のせいだ、お前のせいだ。願いが届かなかったのはお前のせいだ。悔やめ、四六時中悔やみ続けろ。あらゆるときでも思い出せ、お前のせいで全員が死んだことを」
『うぁっ、うああああああああああああああああああッッッ!!』
スピーカーを壊してしまうかのような慟哭。エオンはその叫びを聞いた途端、無線機を落として自分の頭をかきむしり始め、溺れているかのような笑い声を上げた。
「どうやったってどうにもならないってことって、あるんですよぉーッ!」
石畳に寝た無線機が、流れてきた人質たちの血でできた海へと沈んだ。それでもスピーカーからはまだ声がしていて、通話が続いている。
「始まりだッ! オレたち人外、いや『超越者』がお前たちに宣戦布告するッ!」
主導者が拳を高く突き上げれば、仲間たちも同じくした。そうして決起の気合が爆発した。
もう充分であるとエオンが無線機を踏み砕いた。そしてすうっと落ち着きを取り戻し、仲間に言った。
「生き残りは?」
「いません。確かめました」
「わかった。礎と狼煙になりし最初の百人、というところか……。みんなにとっては貴重な食料だ。解体して保存し、携帯できるようにしておいてくれ」
「今食べるのは?」
「一切れだけ。すぐに敵が来る、一切れだけだ」
「さっすがエオン!」
エオンは適当な所に腰掛けて、周囲を警戒しながらも肉片と化した人間たちに群がっていく人外、いや『超越者』たちを眺めていた。
超越者という名称は、エオンたちが考え出したものだ。人間に付けられた人外という呼称のままでは、支配から逃れられないという理由で。
「おねえちゃん、オレはやるよ……」
空を見上げ、彼は独りごちた。沈みかかっている夕日が、その姿を焼き続けて。
彼は一切れも食べることはなかった。
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