孤独に放り出される瞬間ってあるよね

たまに寝ていたりすると、さっきまで楽しい夕餉だったのに、時間帯的に孤独の海へと放り出される瞬間がある。

今がそれだ。


もう22:00か。

私はパソコンで時計を見ながら考えた。


今日も夕飯はお好み焼きだった。

婆ちゃんの作るもやしの漬物が美味くて、そればかり食べていた。夕飯前に漂っていたもやしの炊ける匂いのなんと福よかなことか。

この家はいつも美味しい匂いが漂っている。


昼間鏡でにきび探しをしていて、はっと気づけば傍には爺ちゃんの形見の箪笥が置いてあり、そこには祖母の死に装束が入っている。


「私が死んだらこれ着せてや」


そんなことを普通に言うので参った。母は聞き流していたが。

そうかもうそんなことまで考えなきゃいけないのか、と私は感慨深くて。

彼岸は案外近くにあるのだ。


夕飯後、父が友達のおじさんからもらった栗を食べていた。

この人は栗ばっかだな。

そう思っていたら虫が出たと歯で噛み砕きながら言うので食べるのはお預けにしておいた。

それでも彼は食べていたが。


その苦しみを乗り越えての栗だろう。


そんなことを思い、栗を今年も食べないことを考えた。散らかるんだよね。


栗と言えば丹波の篠山のぽん栗が大好きで、あれは剥くのも簡単で良い。

散らからない。美味しい。甘い。良い匂い。

最近良く行く大阪への道行きで能勢の辺りで栗を売っているのをよく見かける。

そうかもうそんな季節か。

同じようなことを書く。今年のぽん栗はまだ食べていない。


それにしても、書くというのは良いことだと思う。

芸術作品が思わぬところでできるし、力試しは出来るし、何より良い時間つぶしだ。

発散できるのが何より良い。


夕飯後岡崎体育を母から聞いてユーチューブで見たら相当面白かったし、歌も普通に上手いのでお気に入り歌手に加えておいた。

天才とはどこに転がっているかわからない。面白いのが好きな人とは良いものだ。

なんでも京都の人なのだとか。

絶対弄りんだわ、と勝手に考えている。


あの頃ペニーレインとを最後まで見終わり、ああ良い映画だったとすっきりした。

ペニーは甘えない。最後で誰もが真摯な姿を見せたのが良かった。

ドロドロを吐き出すシーンは見ものだった。


お前らみんな、最低の人間だ!


主人公のセリフは彼の良い男ぶりを発揮していた。

彼はいい男だ。


昼に母が男以上の仕事をして、煙草を吹かしているのがたまらなく格好良かった。

この人は格好良いのだ。自慢の母なり。


自慢の父は最近お腹が出すぎだ。

今後の経験が彼の腹を凹ますことを期待する。

来る不調の時代に向けて、ポジティブな希望観測をしてみた結果。


以下略。

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