作家と原案
巨大な人型戦闘機械の頭部が眩い光を投下する。
夜の帳の降りた旧東館の裏庭にその明かりがゲンヤとケンの姿を照らし出す。
『これは最後の警告です。その男から離れては頂けませんか。ペンドルトン王女。クライアントから、あなたにはなるべく手出ししないように言われております。しかしまた同時に巻き添えで殺してしまった場合にも、我々が負うペナルティーは特にない』
「そりゃいいや」
ゲンヤはケンに言った。
「確かに、あんたが俺に付き合う義理はねえ。帰れ。ケン。足手まといなんだよ」
「見え透いた嫌味を。ここまで来たら一蓮托生。二人で死ぬか、二人で生きるか、だ」
「後悔しても知らねえぜ」
「しつこいな。自分で下した決断を、後から愚痴ったりはせん」
ケンは堂々とした迷いのない歩みでゲンヤの前に歩を進めた。
「逆に引いてくれぬか。少尉!」
彼女は毅然とした態度でそう叫んだ。
「私には幾ばくかの財がある! この仕事のキャンセル料として規定の報酬の倍……いや、三倍を払おう。我々は貴君らの仲間を殺してはおらん。我々もまだ死んでいない。それで手打ちにしては貰えぬか」
『金で解決しようと?』
「ここをどこだと思っている?」
『なるほど。しかしもはや事態はそう簡単ではありません。残念だ』
ガシャッと右手の機関砲の初弾が装填される。
「校舎だ! 走るぞケン!」
ケンの返事を待たず、ゲンヤはケンの手を引いて走り出した。
『逃がすと思うか?』
ゲー・フュンフと呼ばれる人型兵器のヘッドライトが連れ立って走る男女を追いかける。その投光を、ふと遮る円筒状の物体があった。
それは機械の巨人の顔の前で爆発した。
『フラッシュ・バン……小癪な真似を』
モニターの自動調光が間に合わず、その中央には青白い焼き付きが残り、火器の照準が取れない。じわじわとその領域が回復し狭まるのを確かめながら、少尉は自らの拡張たる鋼鉄の巨人の足を、二人が逃げた校舎に向けて踏み出した。
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「まさか……あんなモノまで引っ張り出して来るとは」
一度は逃げ出して後にした筈の旧東館の廊下に再び身を屈めながら、ケンは荒い息の狭間でそう感想を漏らした。ゲンヤも呼吸を整えながら、ケンに尋ねた。
「あんたに忠実な元軍用のメイド・アンドロイドとかいないのか?」
「本国に置いて来たよ。キミこそ。キミの為なら平気で命を賭けるニンジャの家来はどうした?」
「郷で留守番さ。……姫さん。ケンカ屋の大男を倒した時、刃の文字列を飛ばしていたな」
「『ソニック・ショート』か。飛ばすのを長編にすれば恐らく校舎の壁を切り裂くくらいの威力は出るが……」
「ストックの長編は?」
「ある。しかし推敲中の一編だけだ。ヤツの装甲を抜けるとはとても思えん」
「足、だ」
「足?」
「二脚の動体は一本でもその脚を失えば機動力の殆どを失う。太腿の付け根か、膝を狙ってぶちかませば……」
「確か太腿の付け根は可動する鋼板で守られていた筈だ。膝にも装甲はあるだろうが、装甲そのものに上手く衝撃を乗せられれば、その基部にダメージを与えられるかも知れない」
「……飛ばした長編はどうなるんだ?」
「消滅する」
「勿体無いな」
「また書けばいいさ。またがあれば、だが。……十秒。いや、八秒だけ技の序動に時間が要る」
「なんとかしよう」
「死ぬなよ」
「王族の名誉の為か?」
「……答えを聴きたければ生きて戻れ」
ふっ、と笑ったゲンヤは素早くケンの額に口付けをすると窓枠を飛び越えて外に飛び出した。咄嗟に反応すら出来ず、ただただ固まったケンだったがすぐに我に返り、
「馬鹿者……」
と、小さく呟いて立ち上がると、剣の柄に技発動のコマンドを入力した。
『アーチェリーモード』
剣はコマンドの受諾を音声で示し、その姿を弓の型へと滑らかに変形させる。プラチナブロンドの髪の高校生作家は、一つ深く呼吸をすると自らの内の商業力を高める為に精神を集中した。
ブゥーンと響く低い唸り。重なってチャキチャキと鳴るのは、溢れる水のように排出された空の薬莢と給弾ベルトを構成していた薄いスチールのガイドパーツの群れだ。マズルフラッシュ。赤熱し飛翔するタングステン・カーバイドの綱芯弾。ゲー・フュンフのライトの照らす先、腕の向く先は次々に瓦礫と粉塵の展覧会と化す。
その間を縫うように、ゲンヤは走り続けていた。時にフラッシュ・バンや手榴弾、拾ったジュースの缶などを鋼鉄の殺戮者に投げ付けながら。対する少尉は苛立っていた。まるでこちらの先を読むように逃走コースをジグザグに変え、時に爆発物やそのダミーを投げ付けてくる目標ヤングラム……取猫ゲンヤに。
『いいぞ! ゲンヤ!』
外部マイクが少女の声を拾う。追っていた目標は割れた窓にひょい、と飛び込んで姿を消した。何事かと頭部カメラを向ければ、そこに赤い炎があった。
いや、違う。それは弓を構えた少女が発する商業化力の輝きであり、ズームした弓につがえられた矢は何十万字もの文字列の凝集体だった。
「──行け!」
矢は放たれた。
輝きは流星のように闇夜を疾ると、狙い違わず人型兵器の右の膝頭を捉え、ガラスの割れるような音を伴ってその装甲板を粉々に打ち砕いた。堪らず機械の巨人は崩折れて膝を突く。
「やったか⁉︎」
ケンは快哉を上げた。だが、戦果に対する期待に満ちたその表情はみるみる曇り、険しいものになった。
沸き起こった土埃の中、ギギギと悲鳴のような軋みを上げながらも、歩行戦車が立ち上がったからだ。
「ダメか……!」
落胆するケンにゲー・フュンフの機銃が向けられる。
「ボーッとするな!」
「きゃあ……」
ケンに覆い被さるゲンヤ。悲鳴の後半は銃声と砕けて飛び散る建材の音でかき消された。
もうもうと立ち込める粉塵の中、咳き込みながらゲンヤはケンを引き摺るようにその場を離れる。そして最初に自分が運び込まれた医務室に倒れ込んだ。
「大丈夫か。姫さん」
「ああ、生きてはいる。助かった」
「逃げるぞ。あんたのアレで倒せないなら……」
「キミだけで、逃げろ」
ケンはそう言って足を見せた。破れた戦闘服の裾が血で染まって濡れている。
「破片を食った。ざまあないな。流石に管理局の連中ももう来るだろう。キミ一人なら、逃げられる」
「ケン……」
ゲンヤは固く目を閉じて俯いた。何かを考えているようだった。
その時、遠くで例の銃声と何かが崩れ倒れる音がした。
機械の唸り。銃声。破砕音。
どうやら傭兵少尉の操るゲー・フュンフはこの校舎の教室を順番に一部屋ずつ潰して回っているようだった。
「早く行け。取猫ゲンヤ。君には大事な目的がある筈だ」
「ここまで来たら一蓮托生、か」
ゲンヤは閉じていた目を開いた。
「俺と契約しろ。ケン=ザァン=ペンドルトン」
「け、契約? なんのだ?」
「あんたに全てを話そう。隠された一族の秘密を。俺と契約すれば、この危機は乗り切れる。だがあんたはまた別の危険と責任を負う。今後一生ぐっすりとは眠れない。こんな筈じゃなかったなんて泣き言も聞かない。ここでアレにやられて死ぬ方が幸せかも知れない」
「…………」
「ここからは言葉に気を付けな王女様。取猫ゲンヤと契約するか? 俺はあんたに被せる危険と責任とで、あんたの今後の一生を奪う。代わりに俺が提供するのは……『原案』だ」
「危険と責任を一生負って、代わりに得られるのが……キミの……原案?」
「承諾か否か。無理に承諾しなくてもいいんだぜ。俺を信じられないなら」
少女は俯いた。
頬を一筋の汗が伝う。垂れ下がる前髪がその煤けた顔を覆い、眼の表情は見えない。だがその口元、桃色の唇の端が、少しだけ上がった。
そして彼女は何かを断ち切るように、はっきりと言い放った。
「承諾する」
「かつて歴史の影に隠された秘密の一族があった──」
ゲンヤは戦闘服のジャケットを脱ぎ、薄いシャツ姿になった。そのゲンヤの身体が、経済行為発光により鈍く、紅く輝く。
「──その一族が司ったもの……それはあらゆる重要文献の『原案』」
「原案の、一族……」
「そうだ。夜天光明流原案術。ある時は舞台の脚本。またある時は映画の台本。小説。権力者のスピーチ。法案。軍事作戦。条約の内容。政権交代劇……。その一族、
ゲンヤは鞘から自分の刀を抜いた。
「キミの刀……だがその刃は……」
「原案は見えない。だが確かにそこにある」
ゲンヤの身体の光は揺らめくと変化を始めた。その表皮に染み込むように消えたのだ。
「四百九十八年前。地表を滅ぼし、人類を地底に追いやった最後の攻撃。知っているな?」
「シナリオ・オメガ……そんな! まさか! つまり、それは……」
ゲンヤは黙って頷いた。
「『終(つい)の四書』という名の四冊の原案。一族の秘中の秘。それを悪用したものの名は、もはや失われているが、その容姿だけは呼び名と共に伝えられている。『鉄仮面』だ」
「鉄仮面……」
「奴は再び現れた。六年前だ。一文字本家を襲い、家人を殺し、一族の手に唯一残されていた終の四書の一冊、『地の巻』を奪い去った」
「ちょっと待て。なぜそんな危険な原案を隠し持っていたんだ? 焼いてしまえばよかろう」
「一族の教えでは、四冊揃って同時に処分しなければ、書は本当の意味で処分できない、とされている。一族は一冊を守りながら残りの三冊を探し続けていたんだ。五百年の間。ずっと……」
ゲンヤの表皮が内側から紅く輝き、その輝きは数百、数千、いや、数万時の文字となった。
「その文字は……」
「昼間の決闘の時、あんたの刃に浮き出た短編の再構築の為に俺が今、書いた原案だ」
「馬鹿を言え! あの戦いのさなかに、刀身の短編を読んだとでも……」
「あの主人公の行動。冒頭から動機が弱い。性格を文で説明するのがくどい。頭脳明晰設定がエピソードに跳ね返ってないし、劇中のオリジナルのゲームはルールに穴がある。何より、纏まりとして話が終えれていないのは致命的だ」
「だ、だからあれは書きかけで……」
「だが、着想はとても面白い!」
ゲンヤの表皮の文字が彼の右手に吸い込まれるように集う。いや。その先、手に持つ折れた刀に。
「神刀・出臼枝楠守槙也(でうすえくすのかみまきなり)。一族の書いた原案をその刃に変える。威力は原案の価値に比例する」
「原案は表に出ない。誰がその価値を決める?」
「俺の書いたものの価値は、俺が決める」
「馬鹿な! それなら高く評価し放題……」
「そうかな? あんたなら分かる筈だ。自分で本当に面白い、と思える話を書く難しさが」
言いながら、ゲンヤは見えない刃に手を添えて撫でるような動きをした。一瞬そこに現れた光の文字列は、重なり絡み合って白銀の刀身を形成した。
「……では、ではキミの母と妹を殺したのは! 奪われた大切なものとは! キミは……キミの正体は! キミが追うキミの仇とは……!」
「鉄仮面! 五百年前の悪夢の再来! 母を殺し! 妹を殺し! 一族の秘密の書を奪った! 俺は奴を倒し! 書を取り返し! 残りの三冊も探し出し! 焼き捨てる! 一族の悲しみの歴史と共に……!!!」
がしゃん、と音を立てて、乱暴に医務室の壁が引き剥がされた。びゅう、と夜の風が吹き込む。照りつける強烈なライトの光。差し込まれた機械の腕の機銃がその光を反射する。
だが彼は動じない。
「俺はゲンヤ。夜天光明流原案術正当! 一文字ゲンヤだ!!!」
彼はそのまま、ひゅっ、と力みのない動作で機銃でもゲー・フュンフでもなく、目の前の空間を斬った。ケンは彼の動作の意味が分からなかった。しかしその効果は正に劇的だった。
かん、と竹が鳴るような音がした。
斬られた空間の一点から衝撃波が生じ、周囲の瓦礫もゲー・フュンフも紙細工のように吹き飛んだ。校舎は軋み地響きを立て、崩れようとしていた。
「我ながら、面白い原案だ」
ゲンヤは構えを解くと、腰を抜かしたようにへたり込むケンに向き直り、手を差し伸べた。
「立てるか。ケン。あんたの力が要る」
「わ、私の……力? 勝負はついたのでは……?」
ゲンヤはあれを見ろ、と立てた親指で背後を示した。
『未開の国の猿野郎が……舐めた真似を……!!! 』
ゲー・フュンフはあちこちから火花を散らし煙を上げながらも、なんとか立ち上がろうとしていた。
「タフな兵器だな」
「離れよう。この建物はもう崩れる」
ゲンヤはケンに肩を貸すと、機械の巨人が開けた壁の穴から外に出て校舎から距離を取った。がらがらと校舎は崩れ始めた。
『死ねええええっっっ!!!』
ゲー・フュンフの体中のウェポン・ベイが開く。そこから何十というミサイルが静かな殺意を秘めながら顔を覗かせた。ぱぱぱ、とその尻に火が灯る。大量の火焔の尾を曳いて、無数のミサイルがケンとゲンヤの二人を目掛けて殺到する。
「剣を出せ。決闘の時の短編は飛ばしてないよな」
「ああ、だが……」
「いいから早く。反動があるぞ。両手で持て。足の痛みは俺が支える。寄り掛かっていい」
「しかし……」
「俺を信じろ」
赤く輝く作家の剣。
白く輝く原案の刀。
その二つの剣が今、二人の眼の前で交錯する。
光。
音は全て消え失せ、膨らむ白い光の球体は迫る無数のミサイルだけでなく、辺りの全てを飲み込んだ。
あまりの眩しさに思わず目を閉じたケンだったが、彼女を支えるゲンヤに促され、恐る恐るゆっくりと目を開けた。
二人はいつの間にかたった一本の光の剣を握っていた。
ゲンヤが頷く。彼はケンを強く自分に引き寄せた。ケンも頷く。ケンに支えられている自分。それがあるべき本来の有様だと感じながら。
二人は光の中で、時間が止まったように凍りつくゲー・フュンフに向け、ゆっくりとその剣を横に薙いだ。
人型兵器は上半身と下半身に綺麗に両断され、光の中に消えた。
ケンはゲンヤを見た。ゲンヤもまた、ケンのことを見ていた。微笑んだゲンヤの口が何事か言葉を紡いだが、ケンにはそれが聞き取れない。えっ、という顔をしたと思う。ゲンヤは更に何かを言ったが、ケンにはやはり聞き取れない。ただ、受け入れられた、という充足感と幸福感が彼女を満たしていた。
その温かい幸せな感情の渦に溺れるように、彼女は意識を失った。
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二日後──。
豪奢な調度の生徒会室にゲンヤの姿はあった。
「転校初日から暴漢退治。遅刻。狙撃されて緊急手術。テロリストと交戦して制圧。人型兵器を撃破。校舎は倒壊。中々にユニークなスタートですわね」
眼の前の黒髪の少女はそう言ってころころと笑った。
「ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ありません。俺の不徳の為せる所、とお恥ずかしい限りです」
ゲンヤは感情を込めずにそう返した。
「何を仰います。あれだけの騒動でテロリストも含め一人の死者も出ていない。あなたの陰徳の為せる業、ではないかしら。怪我はしたものの、あなたもペンドルトンさんも無事。旧東館は取り壊す手間が省けました。良かったとは言えませんが、不幸中の幸いとは言えるのではなくて? 紅茶で宜しい?」
ナスターシャは立ち上がると、優美なデザインのポットから美しい紋様のティーカップに紅茶を淹れ始めた。
「その節は。高価な治療器具をご手配下さりありがとうございます」
「律儀な方。優秀な生徒の為に、生徒会長として当然の事をしたまでです」
「──テストは合格、ということですか?」
かちゃり、とティーカップが鳴った。
「テスト? なんのお話です?」
「テロリストはあの日貰ったばかりの俺のカードの固有IDを知っていた。ハッキングで漏れたと考えるより、固有IDは意図してリークされたと考える方が自然ですよね」
「まあ怖い。我が校の内部にテロリストの協力者が?」
「旧東館。一般生徒の出入りのない校舎の医務室。俺をそこに運ぶよう指示したのは会長だったとか」
「確かにわたくしです。他の生徒への影響を考慮致しました。結果、こんなことになってしまい、あなた方二人には申し訳なく思っております」
紅茶を運んで来たナスターシャの様子に特に変化はない。穏やかな笑みで全くいつもと同様に話していた。
「お掛けになって。お茶を頂きながらお話ししませんこと?」
ナスターシャは生徒会長のデスクに着座する。ゲンヤは座らない。彼はポケットから、見慣れないタリスマ──携帯端末を取り出した。
「この街では殺しとその教唆は、地上追放刑だそうですね」
「そうらしいですわね。そのタリスマは?」
「騒動のあった現場で拾いました。中に興味深いメールのやり取りが幾つか残っておりまして。会長も興味がおありかと思って持参したんです」
「……人様の通信を勝手に閲覧する趣味はこざいません」
「ご自身の通信なら話は別、ですか? このタリスマ。保存されたメール。俺の証言と生き残った傭兵たちの証言。捕まりこそしないかも知れませんが、今回の件を仕組んだ犯人は相当面倒なことになるかも知れませんね」
きっかり三秒の沈黙があった。
「──何か勘違いをなさっているようですね」
ナスターシャは飽くまで穏やかに言った。
「あなたが何を仰ってるのか分かりませんわ。とにかくお疲れ様でした。今回の一連の事件、学園はあなたに責任を問うような事は致しません。紅茶がお気に召さないのであれば、次はコーヒーを用意しておきましょう」
「これは忠告、というより提案なのですが」
「なんです? 」
「もう一度、良く考えて頂きたい。どちらに肩入れするのが、あなたにとって……面白くなるか」
ナスターシャの返事を待たず、ゲンヤは一歩下がった。
「要領を得ない話を長々と失礼しました。御機嫌よう、生徒会長」
彼はぺこりと礼をすると、そのままスタスタと部屋を出ようとする。
「お待ちなさい、ゲンヤ」
ゲンヤは立ち止まった。だが振り返らなかった。
「ネオ・ウメダはご存知?」
「西部都市国家連邦の中核都市、ですね」
「ネオ・ウメダも四年後を目処にイグゼコマース・フィールドの導入が検討されています」
ゲンヤは黙って耳を傾ける。美しき生徒会長は続けた。
「その試験を兼ねて、限定イグゼコマース・フィールド内での、高校生選抜による商業力選手権が開催されます。商業力インターハイ・ヘルメスカップ」
「商業力インターハイ・ヘルメスカップ……」
「開催は二ヵ月後。場所はネオ・ウメダドーム。なんでも、優勝の副賞は歴史的価値も高い珍しい紙で出来た書物……だとか」
ゲンヤは振り向いた。
「我が校からの参加者二名を誰にするか、現在検討中なのですが……」
「そこにあるのは罠、ですか? それとも手掛かり?」
「あなたが何を仰ってるのか、本当に私には分からないのですけれど──」
ナスターシャは一口紅茶を飲んだ。
「──今のあなたにとってその二つは、同じことではなくて? 」
ゲンヤはさっきのタリスマを無造作に床に落とした。そして思い切り踏み砕く。
「おっと俺とした事が。申し訳ありません。後片付けをお願いしても?」
「どうぞそのままで。ヘルメスカップにはあなたとペンドルトンさんを代表として推しておきましょう。テロリストとその人型兵器を倒したお二人です。反対する声もないでしょう」
「恐縮です。では改めて御機嫌よう生徒会長」
「御機嫌ようゲンヤ」
その時、デスクの電話が鳴った。今時珍しい、受話器のあるレトロなデザインの電話機だった。
「はい。わたくしです。……まあ。……分かりましたわ。はい。そのように。はい。……御機嫌よう」
ゲンヤは構わず場を辞そうとした。
「ゲンヤ」
「まだ何か?」
「あなた方が捕らえたテロリスト五名なんですけれど」
「地上追放刑になったのでしょう?」
「地上の環境再生プラントへ移送中、護送車両が爆撃を受け、全員生存が絶望的らしいですわ」
「爆撃……?」
「使われたのは旧大戦時の熱圧力爆弾。装甲車は黒焦げでぺしゃんこだったそうよ。攻撃型自律ドローンの生き残りの仕業じゃかいか、と」
「…………」
「
ナスターシャは変わらぬ笑顔でそう言うと、また一口、紅茶を飲んだ。
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はあ、はあ、はあ、はあ、
真っ暗な排水管の中に、荒い呼吸の音が木霊する。
はあ、はあ、はあ、はあ、
男は汚染水に膝まで浸かりながら、暗闇の中を進んでいた。
はあ、はあ、はあ、はあ、
水の無い段差を見つけた男はそこに倒れこむ。男の半身は焼けただれ、醜いケロイドになっていた。それだけでなく、男は体中に酷い怪我を負っていた。
(あんたらに警告したかったんだ)
脳裏に忌々しい若造の声が蘇る。
(あんたらの依頼主、クズの中のクズだぜ。つるむなら背中に気をつけろ)
男は身体を裏返した。排水管の蓋の隙間から差し込む光を頼りに、男は太腿に刺さっていた何かの破片を力任せに引き抜く。絶叫は、痛みの為だけではなかった。手にした破片は、頭皮と毛髪の付いた、部下の頭蓋骨だった。
憤怒が男の心を焼き尽くす。その炎は男の内側全てに燃え広がり、少尉と呼ばれた男はその時、確かに死んだ。
傷と火傷だらけの肉体はもはや少尉でも傭兵でも、人間ですら無かった。
それは人の形をした復讐の化身そのものだった。
「い、イグゼ……コマース、へ……」
切れぎれの掠れた声。
続いて暗闇の排水管の中に轟いた獣の咆哮は、不気味に笑っているようでもあり、激しく泣いているようでもあった。
---------------
ネオ・コートダジュール国際地下鉄道駅の税関担当は困惑していた。
セキュリティ・チェックで引っかかったフロックコートの女性の身体透過画像。これがどう見ても人間ではない。
「驚かれるのも無理はありません」
目の前の輝くような金髪の美女は、全く真顔のまま淡々とした口調で言った。
「私はメイド・アンドロイド。人間ではありませんから」
「アンドロイド! これは失礼。こちらは人間用の発着口です。申し訳ないのですがアンドロイドは貨物扱い……」
「存じております。私も先程そう主張したのですが、フロアチーフの方が」
『あなたのような美しい方を貨物室になど詰め込めませんよマドマァゼル! 席は私がなんとか致します。アンドロイド? 関係ありません。あなたの美しさを損なうような真似をしては我が駅の沽券に関わります。税関担当には話を通しておきますので、どうぞ人間用の発着口にお進み下さい』
再生されたのは確かに彼の上司の声だ。
「……と、仰って」
「ウィ。分かりました。重ね重ね失礼を。所でマドマァゼル。あなたの体の内臓機器の件ですが……こちら刃物と火器に見えますが。国際地下鉄道のルールでして。刃渡り12cm以上の刀剣の類は勿論、火器、銃器の類の持ち込みは……」
「調理器具です」
「調理器具?」
「刃物は各種のナイフと包丁。この部分。一見、折り畳まれた機関銃のように見えますが、殺傷力は一切ない安全な調理器具です。考えても見て下さい。メイド・アンドロイドに機関銃が搭載されているわけがないじゃありませんか」
「ですが……」
「私はエスペラント王国正統王家の王妃から送られた、極東ヤーパン連合に住まうさる高貴な身分のお方宛ての貨物です。こちらが王室外交院の輸出許可証。こちらはNEU及びヤーパン政府の輸出入許可証明。私が次の地下鉄に載れないような事がありますと、あなたとあなたの上司はこの先、非常に煩雑で憂鬱な手続きをかなり長時間課せられる状況が予想されますが」
「……お通り下さいマドマァゼル。良い旅を」
「メルシー・ボークゥ」
小さくモーターの音を残して、美しいが表情を全く表さない顔のアンドロイドは、颯爽と税関を去って行った。
「マイマスター・ケン=ザァン。間も無くお側に参ります。……イグゼコマースへ」
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「若がお命を狙われたァ⁉︎ 」
山林に立つ藁葺き小屋を揺るがすような大きな女の声が、木々の間に響き渡った。
燃えるように赤い髪のショートカットの少女は、自分の湯呑みを倒しながら父親に食って掛かった。こぼれた茶が湯気を立てて拡がる。
「どういう事だ親父ィ! 簡単な調査の任務で、若は安全だと言ってたろう! それが相手は兵士四人にロボット兵器⁉︎ 普通なら死んでるぜ! 曲げ羽根組の連中は何やってやがったんだ!」
暗緑色の短い袖の浴衣のような和服。小袴は脚絆で絞られ、激しく動いても妨げにならない工夫がされていた。
同じような装束の髭面の壮年の男は溜息を吐いた。
「曲げ羽根組は情報を集め、伝え、持ち帰るのが至上の任務。戦いに参加したりはせん。お前も知っているだろう」
少女はふん、と鼻を鳴らすと元いた丸い藺草の座布団にどっかと腰を下ろした。はっきりした眉。勝気な瞳。日焼けしたその顔には、まだ端々にあどけなさが残っている。その立ち振る舞いや表情は、どこか野生のネコ科の動物を思わせた。
「アタシが行く」
「駄目だ」
「んでだよ親父! 一文字家に仕え、それを護り続けて九百年。六年前の大失態を、また繰り返す気か⁉︎」
「これは若様の試練。手出しはならぬとの長老会からの通達だ」
「んだそりゃ意味が分かんねえよ。アタシは行くぜ。相手が兵隊やロボ出して来るなら弾よけくらいにはなれらァ!」
「聞きわけろコダチ。護身方の派遣は、わしから再度長老会に提案しておく。その返事次第だ」
「なに悠長なこと言ってんだ。
「例え長老会が護身方の派遣を決めても!」
父はぴしゃり、と娘の言葉を遮った。殺気を含んだ迫力があった。娘は、言い掛けていた言葉を思わず飲み込んだ。
「お前を若様の元にはやらん」
「はぁ⁉︎ 若が潜入してるのは高校なんだろう? トガリのジジイにブレザー着せるのか? キヨネの婆さまに教師でもさせるのか? サモンのデブに至っては体がでか過ぎて校舎に入れないだろ? アタシ以外に誰が……」
「お前。若様に惚れとるだろう」
ざぁ、と風が木の葉を揺らす。
遠くで二度、カッコウの鳴き声がした。
「ばっ、ばっ、ばっ、ばっ……」
顔を真っ赤にしてダラダラと汗を掻き、あちこちに視線を落ち着きなく飛ばしては「ば」を繰り返す娘を無視して、父は茶を一口飲んだ。
「ばっ、ばっ、ばっ、バカなこと言うんじゃねっ、ねえよ親父! 若がアタシに惚れてる⁉︎ だって⁉︎」
「逆だ、逆」
「んなことある、ある、あるわけねえだろうっ! アタシ、と若じゃとても釣り合わなっ、いや若がダメなんじゃないぜ⁉︎ アタシがもうダメダメって言うか……こう、主君と忍びの色恋は御法度的な、ほら、なあ親父! なんかそういうのあるよなァァァ⁉︎」
「何を言っとるんだお前は」
頭が真っ白になった年頃の娘の、その場を取り繕おうとする試みは、全て失敗した
父は静かに娘に諭す。
「確かに忍びの技において、この郷にもはやお前に並ぶ者はない。素早さや技のキレについてなら、お前はこの父をも凌駕しておるだろう。だがお前は若い。目の前の出来事に対していちいち気持ちが勝ち過ぎる。そんな有様では若様を護るどころか足手まといもいい所だ。下手を打てば、お前が原因で若様が命を落とす」
「そ、そんなこと!」
「ないと言い切れるか?」
「くっ……」
父は床の間を振り返り、その掛け軸を見た。
「明鏡止水。凪の日に空を写す湖面が如き鏡の心。我ら忍びは燃える心を刃で抑え、飽くまで冷静沈着でなくてはならん。それが出来なければ、己のみならず、仲間の身をも危険に……」
父は娘を振り返る。だが、そこには無人の座布団とこぼれた湯呑みがあるだけだった。
ざぁ、と風が木の葉を揺らす。
遠くで二度、カッコウの鳴き声がした。
「……こぼした茶くらい拭いてゆけ」
道具と食料を詰め込んだ背負い袋を背負い、飾り気のない麻の外套を羽織ったくの一の少女は、風を切り木の葉を巻いて駅のある里へと下る街道をひた走っていた。
「待っていてください若! 御身の護身と御身の回りのお世話の為、この六文字(ろくもんじ)コダチが参ります! 若のおわす街へ! イグゼコマースへ!」
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「へくしっ!」
学園本館。最も高い棟の屋上で、ゲンヤはくしゃみをした。
「風邪か? キミに神のご加護があるように」
フェンス越しに学園を見降ろしていたケンは振り返るとゲンヤにそう声を掛けた。ゲンヤは答える。
「誰か噂でもしてるんだろう」
「噂? なんだそれは」
「東洋にはな、くしゃみは誰かが自分の噂をしてる印、って迷信があるのさ」
「なるほど。まあキミのことは学園全体に、良くも悪くも噂として拡がっている。あながち迷信とも言えんのかも知れん」
ゲンヤは少し笑っただけで、何も言わなかった。
「これからどうする。ゲンヤ」
「ヘルメスカップは二ヵ月後。学生の本分をしっかりこなしながら、二人で商業力の高い短編や長編を書く。ストックは多い程いいし、ケンの作品の市場価値を維持する為に、そろそろ商業作の一本も欲しいしな。並行して、まあ色々調べものだ」
「調べもの?」
「こっちにも幾つかツテがあるんだ。はっきりしたらケンにも説明するさ」
「なあ、ゲンヤ」
「ん? なんだ?」
「相談なんだが……」
ケンはそう言うと、どこかもじもじしだした。頬は赤く染まり、視線はひとところに定まらない。
「私とキミは……つまり、商業上の協力関係にある」
「ああ」
「言わば、パ、パートナー、だ」
「そうだな」
「そこでだ。い、嫌なら無理にとは言わないんだが、タリスマのコードを、交換しないか? お互いその方が便利だろう」
「あ……」
「ああ、嫌ならいいんだ! どうせ学校で会うわけだし、なんなら私がキミの家を尋ねても構わない。いやそういうことではなく、勿論キミに迷惑にならない範囲で、だが」
「すまねえ、姫さん。今、俺はタリスマを持っていない」
「そ、そうか。仕方ない奴だな。また忘れたのか?」
「ちょっと事情があってな。さっき自分で床に落として踏み砕いたんだ」
「ああ、なるほどな。タリスマを床に落として……はぁっ⁉︎」
それまでゲンヤから目線を外して喋っていたケンが、ばっ、と振り返ってゲンヤを見た。
「タリスマを踏み砕いた⁉︎」
「ああ」
「自分でか?」
「思い切り」
「全くわけが分からん」
「だろうな」
「説明しろ」
「それなんだが、そこら辺の事情のケンへの説明は、もう少し裏を取ってからにさせてくれ」
「どういうことだ?」
「すまん。間違いだったら深刻な事案なんだ。時間をくれ」
「パートナーだと言ったろ。あれは嘘か?」
「本当さ。だから……」
ゲンヤはケンに向き直ると、真っ直ぐその瞳を覗き込んで言った。
「新しいタリスマには、最初にあんたを登録する」
ケンは何か言おうとしたが纏まらず、顔全体を赤くして俯いた。
「……馬鹿者」
広々とした屋上に強い風が吹きわたる。ケンは俯いたまま、風に暴れようとする髪とスカートの裾を抑えた。
「あ!」
「どうした? ゲンヤ」
「生徒会長に言い忘れてたぜ。生活委員が学内を案内してくれる手筈だったんだ。俺はまだ、その生活委員に会ってすらいない」
「それなら問題ない」
「どうして?」
「キミはその生活委員に既に会っているからだ」
「……つまり?」
「私が、キミの案内係の生活委員だ」
「ケンが、生活委員⁉︎」
「なんだ。不服か?」
「いや……美術品の不正取引を取り締まるのが、生活委員の仕事か?」
「適正な商業活動は、学徒たちの生活基盤そのものだろう」
「そんなこと言い出したら、なんでもかんでも生活委員の守備範囲になっちまうぜ」
「私は、私の正義に基づいて学徒たちの生活を護る。心配しなくても、別に生活委員の仕事までキミに手伝わせはせん」
「そう願おう」
また風が吹いた。今度の風は優しく、心地良く二人を撫でるようにして通り過ぎて行った。
「さて、行くか」
ゲンヤは踵を返す。
「どこへだ?」
「学内を案内してくれるんだろう?」
「今からか⁉︎ だがもう午後の授業が……まあいい。付き合うよ。こら待て。案内されるキミが、案内する私より先に行ってどうする。私の後について来い」
「まあそうなんだがな。今後何につけても俺が一歩先んじていた方が、俺たちは上手く行くと思うんだ」
「なぜ?」
ゲンヤは振り返ると、にかっ、と笑った。
「俺はあんたの……あんた専属の『原案』だから」
商業学園イグゼコマース 木船田ヒロマル @hiromaru712
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