罠と絶望
広い畳敷きの部屋。
上座に五人の和服の老人。下座にはブレザー姿の青年がぴしりと背筋を伸ばして正座していた。
「厳しい鍛錬に耐え、神刀・枝楠之守(えくすのかみ)、良くぞ使いこなした。ゲンヤ」
老人の一人の言葉に、青年は指を突いて礼をする。
「おもてを上げよ。本来なら平伏すべきは我らの方なのだ」
別の老人が言った。青年は頭を上げ、再び姿勢を正す。
「アレの滅却は我ら一族五百年の悲願」
「奴は再び現れた。悲劇を繰り返してはならぬ」
「ゲンヤよ。運命の子よ。因果よな……本家筋に……今代に生まれねば、かような苛烈なさだめを生きずとも済んだものを……」
「だが、我らは最早……ゲンヤ。お前以外に頼れる者を持たぬのだ」
かぽん、と庭で鹿威しが鳴る。
「心得ております」
凛々しい眉。決意の口元。眼差しはどこまでも真っ直ぐで、だがその表情は力みのない穏やかなものだった。
女中が紺色の布袋に収まった棒状の包みを捧げ持ちながら現れ、それを青年の前に置く。
「ゆけ。我らが秘術深奥の最後の後継者よ。夜天より降る一筋の光明となれ。今日からお前は、『取猫ゲンヤ』じゃ」
取猫ゲンヤは包みを手に取ると立ち上がった。
「母と妹の、魂の安寧の為に」
---------------
がちゃん、と医務室の窓が破られる。間を置かず、その開口部からアーミーグリーンのスプレー缶のようなものが投げ込まれた。
目を焼く閃光。耳を劈く炸裂音。
「フラッシュバン」と呼ばれる閃光音響手榴弾だ。
ゴー! ゴー! ゴー! とドスの効いた掛け声も喧しく、黒尽くめの四人の兵士達はドアから窓から医務室に踊り込んだ。
だがそこにある筈の人物の姿は見えない。
「パパコヨーテ。対象の姿がない」
『確かにそこだ。壁際。良く探せ』
「……ベッドだ」
リーダーらしき兵が銃をベッドに向けながら顎で合図する。
察した二名が銃を背中に回すとベッドの両端に手を掛けた。
「やれ」
ばんっ、とベッドが持ち上げられる。だが、そこにあるのは「5」と大きく書かれた小さな青いカード一枚だけだった。他の兵がロッカーを開けたり、薬棚の引き戸を調べたりしていたが、彼らの目標の姿を見出すことはできなかった。
「クリア。パパコヨーテ。やはりヤングラムはいない。ここにあるのはIDだけだ。やられたよ」
『ツーバイツーだ。ワン、ツーは上階から。スリー、フォーはグランドフロアからクリアリング。建物を出てはいない』
兵士達は素早く動いた。去り際に一人がスプレー塗料でドアに大きくバツを描いた。
『狩り出せ』
「ログ」
医務室を飛び出しながらワンと呼ばれた兵士が了解の意で応じた。
---------------
「行った……な?」
「みたいだな」
ゲンヤの答えにケンはふう、と息を吐いた。
二人は医務室の天井裏、集中管理のエアコンダクトの中で、身を擦り合わせるように息を潜めていた。
ケンの体のそこかしこはゲンヤの体に接していて、そこから彼の体温が伝わってくる。ふとそれを意識してしまった彼女は、きゅ、と身を固くした。
「どうした?」
「な、なんでもない。……これからどうするんだ?」
ケンは囁くように隣のゲンヤに尋ねた。
「あんたはここにいろ。俺はあいつらに話がある」
「馬鹿か、キミは! 連中を見たろう。完全武装の一個小隊だぞ! しかも相当に訓練されていて、恐らく実戦の経験もある! キミ一人で何ができると……」
「俺は母の仇を探している」
ケンは二の句が継げなかった。
「母だけじゃない。妹もそいつに殺された。……あんたは自分の過去を話してくれた。俺も少しだけ俺の事を教えよう。俺がこの街に来たのは、この街でその仇が何かしようとしている、という情報を得たからだ。妹を殺し、母を殺したそいつは俺たち一族の大切な物を奪い去った。俺は仇を見つけ出し、償いをさせなければならない」
「しかし……」
「こっから先は俺の問題だ。あっちもどうやら、俺が狙いのようだしな」
「なんだと?」
「すまない。借りたあんたのIDは外に放り投げたんだ。ベッドの下にあったのは俺のIDだけ」
「だが、奴らは迷わずここに来た」
「だよな。あいつらは俺に用があり、俺もあいつらに、あいつらの雇い主に用がある。あんたには関わりのない話さ。いいか。ここに居てじっとしていろ。この部屋はクリアだとさっきの奴は言ってた。あいつらはもうこの部屋は探さない」
言いながらゲンヤはダクトの格子状のカバーを外し、医務室に飛び降りた。
着地したゲンヤの隣に、だがケンもまた飛び降りて着地した。
「おい姫さん。遊びじゃないんだぜ」
「うるさい。キミの指図は受けん。キミが取材を断るなら、勝手に付いて行って今後のプロットに活かすだけだ」
「命を賭けるようなモチーフでもないだろう」
「余計な世話だ。それは私が判断する。それにキミにはまだケンカ協力金の10万ピフを払っていない。支払い前に死なれたら後味が悪いからな」
「10万ピフの丸儲けじゃないか」
「それではエスペラント王国の王族としての名誉が守れん」
「変わった奴だな。あんた」
「お互い様だ。考えてもみろ。囮の係がいた方が、戦い方の幅も広がるだろう」
「死んでも自己責任だからな」
「承知の上だ」
ゲンヤは黙って右手を差し出した。
その意味を悟ったケンは右手を出したが、ふと一度指を縮め、少し俯くと改めてゲンヤの掌を握った。
「何からやる?」
「奴らの無線が欲しいな。奴らが大戦時のプロトコルで訓練されていて、その通常作戦規定で動いているなら、建物のクリアリングは地階と屋上からの筈。踏み込んで来たのは四人だったが、屋外にもう一小隊くらいはいて周囲を警戒してるかも知れない。だとすれば……そうだな。地階の奴らからやろう。腹くくれよ、姫さん」
「ケンと呼べ、と言った」
戸口から外を伺うとゲンヤは外に飛び出す。その後をスカートを翻してケンが追い掛けた。
---------------
パパコヨーテと呼ばれた男は苛立っていた。
指揮をとる戦闘車両の中。眼前には四つのモニターがあり、四人の部下のヘルメットに取り付けられた小型カメラの映像と、個々人のバイタルが模式化されて映し出されていた。
襲撃が気取られていて、罠に掛かった。ジョークを飛ばすように人を殺すと揶揄された連戦連勝の「笑うコヨーテ部隊」が、である。
確かに、相手はただの高校生、と高を括っていた。そもそも高額な報酬に依頼を受けはしたものの、明らかに過剰な戦力投入だと考えていた。
だが何かいつもと勝手が違う。胸騒ぎがする。だがその胸騒ぎの正体が判然としない。その事実が、盛んに彼の警戒心を逆撫でするのだ。
『パパコヨーテ。こちらコヨーテ・ワン』
「感度良好だ」
『突き当たり右手の部屋から電子音がした。すぐに消えたが。確かめに行く』
「タリスマの着信だな。素人が。ツーはバックアップしているな?」
『さっきから俺のケツを撫で続けてるよ』
「OKグッドボーイ。油断するな。静かに素早く確実に」
『ログ。パパコヨーテ。ヤングラムはこちらで仕留める。鍋を火に掛けといて……あっ』
「どうしたコヨーテ・ワン。コヨーテ・ワン、応答しろ」
モニターは暗転しバイタルも途絶した。死んだのか。コヨーテ・ツーのモニターも大きく揺れたかと思うと一瞬暗い天井が通り過ぎ、暗転してバイタルの表示が消える。
「コヨーテ・ツー!コヨーテ・ツー!……オールコヨーテ。健在なら返事しろ」
『コヨーテ・スリー、現在フォーと共に五階をクリアリング中。二人とも健在だ』
『こちらヤングラム・ワンとツーだ。本当にこんなコールサインなんだな』
「……貴様」
『無線機は頂いた。どうやら四人プラス一人で全員か。安心して下校させてもらうよ。仲間は死んでないぜ。早く助けに来てやんな』
モニターを確認すると、残ったコヨーテ二人は指示を待たずに一階に向かう階段を駆け下りている。優秀な部下たちの振る舞いに、パパコヨーテはほくそ笑んだ。
「馬鹿な羊だ。黙って逃げればいいものを」
『あんたらに警告したかったんだ。あんたらの依頼主、クズの中のクズだぜ。つるむなら背中に気をつけろ。じゃあな』
ズズ、ンと地響きがした。
指揮車の窓から確認すると東館一階の角から煙が上がっている。倒された二人の持っていた手榴弾を纏めて使って壁に穴でも開けたのか。
モニターに目をやれば建材の粉塵ともうもうと立ち込める煙を掻き分けるようにコヨーテ・スリーとフォーは爆心地に向かっているようだった。
「止まれオールコヨーテ。罠だ。迂回して外側から壁の穴を確認しろ」
『しかしワンとツーが……』
「分かってる! だからこそ冷たく鋭い氷の心が必要だ。繰り返すオールコヨーテ。ECの確認は、外側からだ。壁の穴以外からは出入りするな」
『……ログ』
『待ってくれ! こちらコヨーテ・フォー。あれは……』
『メイソン! ワイアット!』
コヨーテ・フォーの視界のカメラは、面体を付けて立ち込める煙の中から支え合うようによたよたと現れる二人の兵士を捉えていた。
「作戦中に名前を呼ぶ奴があるかコヨーテ・スリー。コヨーテ・ワン・ツー。大丈夫か?」
現場でも似たような声が掛けられているらしいが、コヨーテ・ワンは耳を何度か指差して首を振った。通信装置一式が奪われているのだ。
「作戦中止。撤退だ。忌々しい子羊の花火のせいでじきに管理局の連中も来る。残念だ。だがこのツケは奴らに必ず払わせる」
『ログ。ワン、ツー! 撤退だ! 聞こえるな⁉︎ 撤退!』
モニターの二人は頷いて、健在な二人の後を足を引きずるように追いかける。パパコヨーテは小さく安堵の息を漏らした。
車外カメラは旧東館を背景に、こちらに撤退して来る四つのシルエットを映していた。指揮車はトレーラーのような構造で、後部の兵員輸送コンテナのドアハッチが開いて伸縮するステップが四人を迎え入れようとする。
『いやあ、えれえ目に合ったぜ』
『ラム酒でも空けなきゃ眠れそうにねえ』
「ラム以外なら奢ってやる」
ゲラゲラ答える笑い声が唐突に途絶えた。
パパコヨーテはモニターに信じられない光景を見た。
今の今のまで軽口を叩いていた部下の一人が倒れ、一人は羽交い締めにされて頭に小銃を突きつけられている。
部下を倒したのも、羽交い締めにして銃を突きつけているのも彼の部下だった。
「……まさか」
『降りて来な。パパコヨーテ』
「ヤングラム……」
『安心しな。本物のコヨーテ二人は無事さ』
ゲンヤとケンは面体とヘルメットを外した。
「着替えが早いな。ボーイ」
『ママがせっかちでね。降りて来いパパコヨーテ。俺に撃てないと思うか?』
『し、少尉……』
コヨーテ・フォーは身をよじったが、自分を捕らえる高校生の拘束は巧みで、全く身動きが取れない。
『いい部隊だ。けれど今回ばかりは──』
ゲンヤはケンと視線を交わしてニヤリとした。
『──相手が悪かったな』
かっ、と指揮車のライトが灯った。
甲高いエンジン音が辺りに響き渡る。
「おいパパさん! 妙な動きをするんじゃねえぜ!」
「無駄だぜカラテボーイ」
コヨーテ・フォーは不敵に笑った。
「俺たちは少尉に命を救われた。いつだって少尉の為になら死ねるんだ。お前は高校生にしちゃ大した奴だ。だが今回ばかりは──」
指揮車の牽引車部分に異変が起きた。
コンテナ部分を切り離したそれは、聞いたこともない異様な機械音で唸りながら姿を変えつつあった。
さなぎが成虫になるように、各所を変形させながら屈んでいた巨人は立ち上がった。
「──相手が悪かったな」
「くそ!」
ゲンヤは舌打ちすると、コヨーテ・フォーの延髄に打撃を叩き込んで気絶させた。
「ゲー・フュンフ! まさか! 稼働できるものが残っているとは!」
ケンが蒼白な顔で絶叫する。ゲンヤが訊き返す。
「ゲー・フュンフ?」
「旧大戦末期の変形機構を持つ多脚歩行戦車だ。エウロパ統合戦争に多数実戦投入された。国の戦史博物館で見たことがある」
「多脚歩行戦車……旧大戦の遺物か。弱点は?」
「撃破されたものの多くは、航空戦力の飽和攻撃による」
「姫さんのツテでデリバリーしてくれ」
「無茶言うな」
あまりの出来事に二人は立ち尽くした。トレーラーの牽引車の面影は既にない。そこに聳え立つのは、身長10メートル余りの鋼鉄の巨人だ。
『パパコヨーテは機嫌が悪いぞ。子羊ども。さあ──』
外部スピーカーから壮年の男の声が流れる。ガッシャッコン、と音を立て、巨大な機関砲が機械巨人の腕にマウントされ固定された。
『──お仕置きの時間だ』
ゲンヤとケンの二人に取ってその姿は正に、形を取った絶望だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます