傷とコヨーテ

 炎を背景に二つのシルエットが交錯していた。


 揺らめく光で判然としないが、どうやらそれは二人の人物で、一方がもう一方を持ち上げて捧げ持っているようだった。


 いや、違う。


 下の人物の腕は上の人物の体、胸を貫いており、その先には何かを握っている。

 上の人物は白装束の女性、下のの人物は黒衣の、恐らく男。だが後ろ姿で顔は見えない。


 女性は母だった。男が握っているのは、その母の臓器……心臓だ。

 男は手に力を込めると、ぐしゃり、とその心臓を握り潰した。


「か……あ……さ……」


 少年の気配に気付き、男がゆっくりと振り返る。

 母の返り血に染まるその顔は、金属で出来た、不気味な造形の仮面だった。


 そこから先の叫びは、言葉にならなかった。

---------------



「うわッ⁉︎」


 ゲンヤは叫んで飛び起きようとした、だが引きつるような痛みが左腕に走り、予期せぬその激痛に再びベッドに倒れた。


「動くな。傷が開く」

 聞き覚えのある少女の声。ゲンヤは清潔な匂いのする枕に頭を預けたまま首を巡らし、また同時に気を失う前の記憶を探った。

 夕暮れの病室。さっき決闘をした少女はこちらに背を向けて何か作業している。そこは簡易のキッチンで、どうやらお湯を沸かそうとしているようだった。自分と少女以外には人の気配はない。確か自分は、決闘後に撃たれて──。


「ここは?」

「旧東館の医務室だ。通常は新東館の医務室が使われるんだが、事が事だ。他の学生への影響を考慮して、来月取り壊し予定のここで緊急手術が行われた。キミは恐らく、この医務室の最後の患者さ」

「あんたたが運んでくれたんだろ。ありがとう。手間を掛けたな。あー……」

「ペンドルトン。ケン=ザァン=ペンドルトンだ」

「ありがとうペンドルトンさん」

「やめろむず痒い。ケンでいい」

「俺もゲンヤでいい。取猫は叔父の苗字でね。最近変わったから呼ばれてもピンと来ないんだ」

「分かった。礼を言うのはこちらの方だ、ゲンヤ。あの時は強がったが、キミがいなければ私は死んでいただろう」

 ふふ、とゲンヤは笑った。

「何が可笑しい」

「いや、ケン=ペンドルトン。俺の好きな作家と同じ名前だからさ。読んだことはないか? 『盗読のレミュナレーション』『ネームハンター』『トリロバイタルライターズ』」

「ある。それらを書いたのは私だ。コーヒー、ブラックでいいか?」

「だよな。俺個人としてはペンドルトン初のミステリー、『トリロバイタルライターズ』の……ちょっと待て。今なんて言った?」

「コーヒー、ブラックでいいか、と」

「違う。その前だ」

「『盗読のレミュナレーション』『ネームハンター』『トリロバイタルライターズ』『逆十時のデッサン』『少尉と軍曹』『妖怪彼女』。それらの作者は私だ」

「え⁉︎ ちょっと待ってくれ。だってあんたは、お、女……」

「くどいな。ケン=ペンドルトンは最初から女だ。デビュー前から。生まれて17年。逆に一秒も男だった瞬間はない」

 ゲンヤはぱくぱくと口を開閉し、目を白黒させて、なんとかその現実を受け入れようとした。

「……会えて光栄だ、先生。すまない。あんたの作品はなんと言うか、その……」

「筆致が男のそれだと言うのだろう。いい。そういう勘違いのされ方は初めてではない」

「なるほどな」

「なんだ?」

「あんたの斬撃の威力さ。作品累計総ダウンロード数2億6千万。稀代の高校生ベストセラー作家。あんたの未発表の短編なら、そりゃ高値が付くよな」

「世辞はいい。それと先生はやめてくれ。……にしても、だ。よく狙撃されると分かったな」

「あんたと戦ってる最中から殺気自体は感じてたんだ。けど出どころが掴めずにいた。生徒会長の執り成しであんたと握手をしようとした時、あんたの後ろのビルの屋上で何かが光った。もう少し早く気が付けば、『ホメロスの手』なんて高い治療器具の世話にならずに済んだんだが……。代金は学校持ちか?」

「いや、生徒会長が立て替えるそうだ。彼女の家は資産家で、二、三十万ピフくらい痛くも痒くもないだろうが、あとで礼は行っておけ」

「ここの手配も彼女が?」

「ああ。天然だと勘違いされがちだが仕事のできるキレ者さ。もっとも、大抵の男はその実務能力より見た目の方に関心があるようだが」

「犯人は? 捕まったのか?」

「いや。まだだ。だが現場を走り去る不審な車をカメラが捉えていた。時間の問題だろう。弾がキミの左腕を綺麗に撃ち抜いた所を見ると……」

「狙撃は経済行為。奴は職業的殺し屋、と言うわけだ。雇ったのは朝の連中?」

「この街では殺しもその幇助も地上追放刑だ。奴らにそんな度胸があるとは思えない。それにあいつらだとしたら今朝失敗して昼に再襲撃する手際の良さ。そんな周到な連中に見えたか?」

「じゃあ、誰が?」

「本国の連中……かも知れんな」

「本国? お国の反王政派の連中、とかか?」

 ピピッとゲンヤの左腕から電子音がした。ゲンヤが腕に貼られた二枚の白いパットを剥がすと、上腕の銃創は既に塞がり、白く皮膚が盛り上がっている。ホメロス効果による高速治療器具は値段に見合った効果を発揮していた。腕や肩を回して確かめる。角度や力の入れ方で引きつるような痛みが走るが、跳んだり跳ねたりするに当たって問題になるほどではなさそうだった。

 ゲンヤは体を起こした。

 そこにケンが湯気を立てるコーヒーを運んで来てサイドテーブルに起き、自分は簡素な作りの椅子を引き寄せると、ベッドサイドに腰掛けた。

「私の国……エスペラント王国はエウロパ都市国家群の辺境。ちょうどこの街程の大きさしかない小さな都市国家だ。だが今だに旧時代の王政が敷かれ、王家が権勢を振るっている」

 ケンは遠くを見るような目をした。彼女の手にもミルクの入ったコーヒーの注がれたカップがあったが、彼女はその表面を撫でるばかりで口に運ぼうとはしなかった。

「私は王家の八人兄弟の末娘として生まれた。子供の内は蝶よ花よと可愛がられたよ。だが、私が十一の時、父王が進行性の重い病を患った。それから全ては変わってしまった」

「……跡目争い、か」

 ケンは哀しみを帯びた瞳で黙って頷いた。

「兄達は激しくいがみ合い、何かと揉めるようになった。兄達の取り巻きがそれぞれの兄にある事ない事吹き込んでは対立を煽り、次第に争いはエスカレートして行った。そして私が十三の時、長兄のラオお兄様が亡くなった」

「病気……じゃないよな」

「宮殿のバルコニーから落ちたんだ。事故、と発表されたが信じるものはいなかった。兄達はそれぞれの公邸に引きこもり、ガラの悪い物騒な連中が兄達の周りをうろつくようになった。葬儀の席でも、ラオお兄様の死を悲しんでいるものは一人もいなかった。始終白けた空気が教会を、墓地を満たしていた。信じられるか? 血の繋がった実の兄弟だぞ」

「……」

「そうする内に、私を担ぎ上げて国の実権を握ろうとする勢力まで現れた。嫌気が差した私は、国を出てこの街に来た。ここなら王家も跡目も関係ない。自分の商業力。それだけを頼みに生きてゆけるからだ」

「……大変だったんだな」

「今も大変さ。作家として何作か成功を収めたのは僥倖だったが、やってみれば書き続けることこそ、作家に取って真に必要な資質なんだな。正直に言おう。今、私はスランプに陥っている。何を書いても誰かの真似に……どこかで見たような話に思える。かと言っていきなり今迄と全然違う作風で書けば、折角付いてくれた愛読者を離反させることにもなりかねん。さっきの剣に込めた短編も発表しなかったんじゃない。できなかったんだ。書いては見たものの、出来に満足できなくてな」

 ケンは天井を見上げた。集中管理のエアコンのダクトから吹いてくる涼やかな風が、頬に気持ちよかった。

「そうだ。ゲンヤ。キミを取材させてくれないか?」

「……俺を?」

「ああ。お互い色々あったが、キミは中々面白い奴だ。戦えば強く、性根は真っ直ぐで、何よりも他人に優しい。キミをモチーフに話を書けば読者もきっと……」

「駄目だ」

 きっぱりとゲンヤは言い切った。

「何故だ? 充分に報酬も出す。本の奥付にも君の名前を……」

「駄目なんだ」

「どういうことだ? 何故駄目なのか説明してくれ。小説に関しては私も必死だ。易々と引き下がる訳にはいかない」

「すまない。ケン。俺にはある事情があって、その為にこの学園都市……イグゼコマースにやって来た。俺にまつわる小説を書く……それは俺の事情にあんたを巻き込む事になる。命の危険があるだけじゃない。下手をすれば今後の一生、あんたを重い責任で引きずって振り回すことになる」

「詳しく説明しては貰えないか?」

「…………」

「私が信用……できないのか?」

「そういうことじゃない。許してくれ。これは俺の……俺の一族の問題なんだ」

 ケンはふっ、と表情を緩めて肩を竦めた。言い合いはもう終わり、という合図だった。

「当番医を呼ぼう。問診を受けろ。ナスターシャもキミが意識を取り戻したと知れば喜ぶだろう」

 立ち上がった彼女は口を付けていないコーヒーカップをサイドテーブルに置くと壁のインフォパネルに手を触れた。

 ビー、とブザーが鳴り、エラー表示が赤く灯る。ケンは再度パネルに触れたが、結果は同じだった。

「おかしいな。さっきは通じたのだが」

 言いながらケンは自分のタリスマ──携帯通信端末を取り出し、生徒会長に連絡を取ろうとした。

「……圏外だ。学園内は全て通信エリアの筈なのに」

 ゲンヤは素早くベッドから起きた。

「俺の刀は?」

「あ、ああ。ここにある」

 ホルダーを腰に吊ると、手早くブレザーのジャケットを羽織る。

 その時、ばつん、と部屋の電気が消えた。

「すぐここを離れるぞ。急げ!」

「待てゲンヤ! どういうことだ?」

「戦力の孤立、情報網の寸断、ライフラインへのサボタージュ……次に来るのは?」

「……まさか! 」

「雇われたのは一匹狼の殺し屋じゃない。兵隊だ。訓練を受けた。複数の」

「傭兵……部隊」

「ケン」

「なんだ?」

「IDカード、持ってるか?」



---------------



 夕闇の旧校舎の屋上、廊下、窓枠直下、そして医務室のドアのすぐ傍。


 揃いの黒い戦闘服に身を包んだ男達が息を殺していた。

 積層カーボンナノチューブのヘルメットと面体。ブルパッブの小銃。腰には拳銃とナイフを下げ、肩のハーネスには、ご丁寧に手榴弾まで装備されていた。


『コヨーテワン・スタンディングバイ』

『コヨーテツー・スタンディングバイ』

『コヨーテスリー・コヨーテフォー・スタンディングバイ』


 暗闇の中、複数のモニターの照り返しを受けながら、その男は部下達の通信に応じる。

「OK、ガイズ。お待ちかねのタンゴの時間だ。クライアントから、対象はマーシャルアーツのスキルを持つから気を付けろ、とのお便りだぜ」

 ぴう、と誰かが口笛で応じる。

『そのアーツってのは撃っても死なない神秘のカラテかい? パパコヨーテ』

 軽口に、げらげらと下卑た笑いがインカム越しに飛び交った。

「さて、そいつは撃って見てのお楽しみだ。婆ちゃんが言ってたぜ。いいカラテボーイは死んだカラテボーイだってな。時間だコヨーテども。お子様達に大人の恐ろしさを──」

 

 夕闇の旧校舎の屋上で、廊下で、窓枠直下で、そして医務室のドアのすぐ傍で。ちゃきり、と小さな金属音を立てながら、彼らは手にした銃の安全装置を外す。


「──教えてやれ」

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