第六章「ぼくの戦い(前)」
6-1
石田は、教室の悪戯と、とらじろうの殺害について、あっさりと認めた。
どっちにも十分過ぎるぐらいに証拠があったから、疑う余地はなかった。だけどぼくの時代の少年法は強く、動物愛護法は弱い。大した処分がなされることもなく、すぐに石田は自由の身となった。
ぼくは、石田が養護施設入りを拒んでいること、保護されている施設からも何度か脱走していることを警察の人から聞いた。お母さんと一緒に暮らしたくて、わざと周りを困らせるようなことをしているんじゃないか。そういう悲しい推測も聞いた。
だけどそういう話を聞いても、ぼくはもう、石田を単純にかわいそうと思うだけではなくなっていた。
とらじろうを殺したくせに。どんな話を聞いてもそう思ってしまう。だけど石田をかわいそうに思う気持ちが消えたわけでもないから、単純な怒りを抱く気にもなれない。ぼくはもう石田について、どういう感情を持てばいいのか、分からなかった。
とらじろうはお腹を刺されて、その後も長い間、生きていたそうだ。苦しんで、のたうち回って、だけど力尽きて死んでしまったのだろう。秘密基地の畳にはそういう血痕がいっぱいあった。ぼくとじいちゃんで畳を綺麗にしたけれど、とらじろうが刺された場所の血痕は、染み付いて黒く残ってしまった。じいちゃんの息子が残した焦げ跡のある畳もすぐ傍にあって、二つ並んだ痕は本当に痛々しかった。
とらじろうの首輪を警察の人に返してもらって、ぼくと、じいちゃんと、佐伯さんで秘密基地の庭にお墓を作った。朽ちたり、風で飛ばされたりしないように、大きな丸い石を持ってきて墓石にした。お線香をあげて、目を瞑ると、とらじろうの思い出がいっぱい浮かんできて、じわりと涙が滲んだ。
ごめんね、とらじろう。ぼくがじいちゃんに、とらじろうを連れて行こうとか言ったからだよね。だから家の中に入れるようになっちゃって、そこで捕まっちゃったんだよね。ごめんね――
「こんなの、酷すぎるよ」
目を開けて横を見ると、佐伯さんが、手を合わせながら大粒の涙を流していた。
「どうして、とらじろう君が殺されなくちゃならないの?」
それは、ぼくのせい。ぼくがいなければ、とらじろうは死ななかった。ぼくはキュッと唇を引き締める。
「石田君が考えてること、わたし、ぜんぜん分からない」
佐伯さんが涙声で吐き捨てる。じいちゃんがその肩を、ポンと叩いた。
「分からなくていいさ。もう、ここまで来ると、分からない方がいい」
そしてじいちゃんは、今度はぼくの方を向いて、口を開く。
「お前もだぞ」
じいちゃんの声は刺々しかった。ぼくを注意する時の、学校の先生の声と同じ。
「何も知らないのに話をしろとか言って悪かった。あれは忘れろ。世の中には、話をすると、こちらが飲み込まれてしまう人間がいる。とらじろうを殺した子は、きっとそういう子だ。お前の手には負えない」
飲み込まれる。何もないがある、世界に空いた穴みたいな、真っ黒な目。
「忘れるんだ。いいな」
じいちゃんがぼくの頭に手を乗せる。押さえつけるような強い力。ぼくは、頷くことしか出来なかった。
◆
とらじろうのお墓を作って家に帰ると、母さんが夕ご飯を作っていた。今日のご飯は豚にくのしょうが焼き。甘いたれの匂いが部屋中に充満している。
もう秘密基地のことは家族には隠せなくなった。だから母さんは、ぼくがどこで何をして来たかを知っていて、帰るなり「お墓、ちゃんと出来た?」と聞いてきた。ぼくは「うん」と答えて、そのまま自分の部屋に向かった。
しばらくすると、玄関の扉が開く音が部屋の向こうからうっすらと聞こえた。
父さんだ。あの日以来、父さんは家に帰るようになった。まだあれからぜんぜん日にちは経っていないから、これからどうなるかなんて、分からないけど。
「ごはんにするよー」
母さんに呼び出され、部屋を出る。三人分のお箸とご飯が並んだ食卓。みんなで「いただきます」と言ってから、ご飯を食べはじめる。
そして、無言になる。
母さんと二人の時はそれなりに喋っていた。でも父さんと三人になって、会話が全くなくなった。母さんは、父さんとぼくが会話して欲しいと思っているから黙る。父さんは、ぼくと何を話していいか分からないから黙る。ぼくは、いつもあまり自分からは話しかけないから黙る。そしてテレビの音だけが響く、寂しい食卓が出来上がる。
昨日の夜は、そのことで父さんと母さんが喧嘩していた。父さんがぼくと話さないことを怒る母さん。もともとベラベラ話すような間柄ではなかったと主張する父さん。それを変えろと怒る母さん。男親なんてそんなものだと主張する父さん。
僕には、母さんの気持ちも、父さんの気持ちも理解できる。だからこそ、どうしようもないと思う。喧嘩の理由は同じでも、目的が全く違うのだ。そこをまとめないまま、一つにまとまることなんて、出来るわけがない。ぼくにもそれは、薄々と分かっている。
ぼくは黙々と食事を続ける。しょうが焼きは好きなんだけど、父さんと一緒に食べるご飯は、もそもそしていて何だかいつもよりおいしくない。そんなことを考えていると、父さんがぎこちなく笑いながらぼくに話しかけてきた。
「なあ」
ぼくのご飯を食べる手が止まる。自分が緊張しているのが分かる。父さんがそれ以上に緊張していたことも、僕には分かる。
「お前、テレビ出るんだろ。あれ、どうなったんだ?」
心の奥底が、すっと冷えた。
いつの話だよ、それ。母さん、話してないのかな。それとも、ぼくの話なんてちゃんと聞いてないのかな。興味ないなら、興味あるふり、しなくてもいいのに。母さんもそんなこと、させなくていいのに。
「だいぶ前になくなったよ」
ぼくはぶっきらぼうにそう答えて、食事を再開する。父さんも「そうか」とポツリと呟いただけで、会話は終わり。そのまま食事も終わって、ぼくはさっさと自分の部屋に引きこもった。
部屋の中でゲームをしていても、リビングからはテレビの音しか聞こえない。父さんと母さん、二人いるはずなのに、聞こえてくる人の声は芸能人の声だけ。
パズルのピースを嵌らないまま無理矢理嵌めたから、出来上がった絵が歪んでいるのが、良くわかる。まだすぐに父さんは帰らなくなるな、とぼくは思う。実際、この翌日から帰らなくなるのだから、ぼくの勘はよく当たっている。
――時間は最強なんだよ。
いつかの佐伯さんの言葉が頭に蘇る。父さんと母さんの問題も時間が解決するのかな。ずっと前からこの調子で、時間が経てば経つほど悪くなっていくから、それはないな。時間が解決するのはきっと、思い出だけ。過去になったものだけ。
とらじろうは過去になってしまった。秘密基地も、安藤さんが頑張ってくれないと過去になってしまう。とても時間が解決してくれるとは思えないほど苦しいけど、きっと解決してしまうのだろう。そういえば昔こんなことがあったと、もしかすると軽く笑ったりなんかしながら、話せる日が来るのだろう。
石田のことだって、放っておけばそうなる。
石田がどんなに抵抗したって、大きな流れは変えられない。きっと親のいない子どもが集まる施設に行く。そうなればもう、ぼくと関わることは出来ない。ぼくは石田を過去にして、石田はぼくを過去にして、それぞれで生きて行くことになる。
それで、本当にいいんだろうか。
ぼくはそれで、本当に納得出来るんだろうか。
じいちゃんは石田をモンスターみたいに言った。ぼくも、近いものは感じる。悪魔だと思ったこともある。でも石田が本当にモンスターなら、悪魔なら、あんなあざや腫れは出来ない。あの身体を見たぼくには分かる。石田は、人間だ。
ぼくはポケットを探って、プテラノドンのキーホルダーと鍵を取り出した。キーホルダーの金属の輪っかに指を通して、二つの鍵をじっと眺める。
家の鍵と秘密基地の鍵。厳しい場所と優しい場所。石田には二つ目の鍵が無かったのだろうか。どこにも行く場所がなかったのだろうか。
でも、ぼくが秘密基地に泊まったあの夜――
あいつも、秘密基地に来た。
二つの鍵をまとめてギュッと握る。角が柔らかい手のひらに食い込む。その痛みを感じながら、ぼくは決心した。
決めた。
石田と、話をしよう。
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