肆>- 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
彼女が家から出るのを待ち構えていたように、飛び掛かって来た数人の男たちを叩き伏せ、那智は冷静に己の敵を目算する。
(ひの、ふの――で、三十強。半分を賊だと見て、残りは村人の何割か、か)
ふんと、那智は鼻を鳴らす。
「随分とまあ命知らずが集まったもんだ。村側の首謀者は誰だ? 吾作か? 平八か?」
「おれだよ」
そう言って一歩前に出たのは、平八だった。平八は顎を上げ、その細い目で那智を見下す。
那智は意外そうな声を上げた。
「てめえは馬鹿の集まりの中でも、まだ頭が回る方だと思っていたんだがな。どうやら見込み違いだったようだ。吾作はどうした?」
「あの腑抜けなら、縛って閉じ込めてあるよ。このままの暮らしが良いなどと阿呆を抜かしていたが、あんたの首を見れば、多少は考えも改まるだろうよ」
平八は呆れたように鼻を鳴らし、視線を何処へかに向ける。
どうやら吾作を始め、反対する者はまとめて監禁したらしい。今残っている面子の中に、茶を運んで来た年嵩の男がいないことを那智は確かめる。
毒を盛られたのは明らかだが、運び手の男は何も知らされぬまま利用されていたようだった。
「別にあたしとしてはな、てめえらが山賊に戻ろうがどこかでおっ死のうが、見える範囲にいなきゃどうでもいいんだよ。単に気に入らないってだけなら、欲を出さずにとっとと逃げておけば捨て置いてやったのに、愚かな真似をしたもんだなあ、おい」
那智はくつくつと喉を震わせて笑う。
平八は、かっとしたように声を張り上げた。その糸目の奥に、怒りと憎しみの色が滲む。
「うるせえっ! あんたみてえなクソ
「別に馬鹿にしちゃいねえよ。てめえの性根がはなから愚かだったってだけさ。それで? 嘘ついてまであたしを呼び出して、勝算はあるのかよ」
「残念だが誰も嘘なんか、ついちゃいねえよ」
ずしりと、地響きがしたような錯覚が起こる。
ゆっくりと現れ出て来たのは、身の丈七尺はある、化け物のような大男だった。
「泣いて謝っても、もう遅いぜ。この人が、極悪非道で知られたナムチさんだっ」
まるで己のことのように胸を張ってから、平八はそそくさと距離を取る。那智は呆れたように、視線を外した。
「まあ、馬鹿は置いといて、だ。あんたがナムチってか? だがあたしの知る限り、ナムチって悪党は二年も前に死んでるんだがな」
「こんな女にいいようにされるたあ、情けねえ奴らだ。お前さんみたいな田舎者は知らねえだろうが、確かに俺様が非道のナムチで間違いネエよ」
腹に響く胴間声を張り上げ、男は那智を見下ろす。女にしては背の高い那智だが、相対するとまるで大人と子供のような体格差があった。
しかし、それでも那智は馬鹿にしたような態度を崩さない。
「ほお、それはそれはご丁寧に。ご紹介に預かり光栄だ。あたしは氏神初瀬比古に仕える巫女だよ。んで、てめえはいったいどんな芸を見せてくれるってんだ? ほら、お捻り弾んでやるから、その場でくるくる回ってみせろよ」
那智の言葉に、男は顔を険しくする。
「こいつぁ、随分と礼儀を知らない女狐だ。少しは手加減してやろうと思ったが、止めた。せいぜい痛い思いをして、己の言動を悔やむことだな!」
一方那智も、嘲るように短く息を吐き捨てた。
「はっ、恐れ入ったな。でかいのは声と図体だけかと思ったが、言うことも負けじとでけえじゃねえか。気に入ったぜ、ちょっくら本気で揉んでやるから、掛かって来いよ」
「泣いて後悔させてやる、この売女がっ」
ナムチは、背負った
「俺様の又の名は、大太刀のナムチだ! 六つに分けて、いや、
刀身が三尺を優に超える、普通よりも長く大きな得物であっても、巨人のごとき大男のナムチが持てば、普通の刀に見える。しかし、それを勢い良く自在に振り回す様は、さすがに脅威だった。
右から、左から風を切って襲いかかる刃の嵐を、那智はかい潜り、時に踏み込み、避け続ける。
「ええいっ、ちょこまかと! 偉そうなことをほざいて、貴様は逃げるだけか!」
「その馬鹿力を真正面から受けるのは、間抜けのすることだろうよ。そっちこそ、蠅が止まるぜ。ウスノロが」
鼻で笑う那智に、ナムチは顔から湯気を立ててさらに猛然と切りかかる。
那智はそれを、舞い上がった髪が削がれるほどのぎりぎりで、すり抜けていく。
「なあ、ナムチよ。てめえはいったい何の目的でこいつらの味方をしている? お前は何がしたいんだ?」
瀬戸際の攻防の最中にあってなお、涼しげに聞こえる声音で那智は尋ねる。大太刀のナムチは吼えるように声を張り上げた。
「むろん名声の為だ! この後、村の手勢の半数は俺様に付くことになっている。俺様は配下を集め、大盗賊団を結成し、都へ赴いて非道のナムチはここにありと、天下に遍く知らしめるのだ!」
威勢良く豪語するナムチの言葉に、彼らを取り囲む賊や村人たちも、やんややんやと喝采を上げて囃し立てる。
それは確かに、名の知れた大悪党であるナムチに相応しい、統率力だったかも知れない。
しかしそれを見て、那智は心底くだらなそうに吐き捨てた。
「……馬鹿じゃねえの?」
侮蔑の色も隠さない、呆れた彼女の言葉に、ナムチは凍りついたようにその動きを止める。
「悪名なんぞ轟かせて、何の意味があるってんだよ。せいぜい女子供が、井戸端話にきゃあきゃあ怖がるだけじゃねえか。しかも大盗賊団だぁ? 都に赴くだぁ?」
はっと那智はせせら笑った。
「まるっきり田舎者の大言壮語だ、勘弁してくれよ。だいたい悪事で粋がるなんて、ガキのすることだろうが」
ナムチはその広い肩を細かく震わせ、俯いたまま、黙りこくる。
那智は、顎を突き出し、見下げるように温度のない目を細めた。
「何にも残んねえんだよ。奪い尽くしても、殺し尽くしても。自分ん中に真っ黒な虚無しか残んねえの。その上、裏切られるか返り討ちに合うか、最後すら碌なもんじゃねえ。それを誇らしげにほざいてんじゃねえよっ」
「ぶっっっ殺してやるっ!!」
大太刀のナムチは咆哮すると、得物を振りかぶり那智に突進する。那智は大鉈を軽く握ったまま、今度は避けようともせずに男を待ち構えていた。
突撃の勢いのまま、大上段に振り下ろされた大太刀を、那智は大鉈で受け止めようとでもするように構える。
だが体重を乗せたその一撃は、那智よりも大柄の男でさえ受け止められるものではなく、那智はそのまま鉈ごと真っ二つに両断されるものと思われた。
「――
しかし那智は鋭く呼気を吐くと、刃筋から体軸を逸らす。そして鉈でからめ取るように大太刀を巻き込んで、それを跳ね上げた。
「……なっ!!?」
ナムチは唖然として言葉を失う。
斬撃の勢いが逆さに作用でもしたかのように、大太刀は主の手を離れ、くるくると回りながら頭上へ吹っ飛んだのである。
そして――真っ逆さまに落ちてきた大太刀を、地面に当たる前に素早く掴み取ったのは、那智だった。
「手入れはまったくなっちゃいねえが、なかなかの業物じゃねえか」
那智は、まるで重さを感じさせぬ仕草で、大太刀を一振りする。それは大鉈を手にしていた時以上に、しっくりと馴染んだ
「あたしも昔、同じようなもんを愛用してたんだ。手放しちまった今は、専ら持ち重りの近い大鉈を使ってるがな」
風切り音を立てて、那智は大太刀を振るう。
身の丈に合わない大物を彼女が振り回すその様子は、まるで大太刀そのものが命を持ち、自在に暴れまわっているようにも見えた。
「その時のあたしは、こう呼ばれたもんさぁ」
犬歯を剥き出しにして、那智はにやりと凶悪に嗤う。
「『大太刀の
空気が驚愕の色に、一気に塗り替えられる。
「ま、まさか本物が……っ!?」
自称ナムチは腰を抜かしたように尻餅をつき、這いつくばったまま後ずさる。
那智は、狂気に染まった瞳を愉しげに煌めかせ、周囲に向けて一喝した。
「久方ぶりに、十八番の得物で相手をしてやるよ! 死にたい奴だけ、掛かってきな!」
そこからは、阿鼻叫喚の嵐だった。
我先にと逃げ出す者。破れかぶれになって襲い掛かる者。
那智は、自分に向かって来る者だけを相手にする。
男たちの野太い悲鳴を貫くように、那智の哄笑が響き渡る。大太刀は生きているかのように疾り、舞った。
理性を無くした獣のように、嬉々として大太刀を振るいながらも、それでも那智は誰一人として殺していなかった。
もっとも、分厚い鋼の峰で殴打され、血反吐を吐いてのた打ち回ることが、一刀で切り捨てられるより楽かどうかは定かではないが。
「これで終わりか?」
気が付けば、那智の周囲に立っているものは残っていなかった。
大半は地面に転がり呻き声を上げ、ある者は逃げ出し姿を消し、またある者は遠目から怯えつつこちらを伺っている。
さすがの那智も、あまりの多勢に無勢に幾度かの斬撃を受け、少なくはない血を流してはいたが、それを露とも感じさせない張りのある声で周囲に問いかける。
「他に、あたしに刃向おうという馬鹿者はいるか?」
答えを返す者、返す気力のある者はもはやいない。
那智は鼻を鳴らして、言い放つ。
「これに懲りたら、二度とあたしに逆らおうなどとは思わねえことだな。次はねえぞ。ほら、てめえら暢気に転がってねえで、閉じ込めてる奴等の場所を吐いちまいな」
那智が倒れ伏す男の一人を、情け容赦なく蹴り飛ばした、その時だ。
「ま、待ちやがれ……っ!」
那智は背後から聞こえた声に振り返り、盛大に顔を引きつらせる。
「こ、ここいつの命が惜しかったら、大人しく武器を捨てろぉっ!」
「……ったく、とんでもない馬鹿どもが残ってやがったか」
深々とため息をつく彼女の前には、氏神である初瀬を羽交い絞めにし、短刀を突きつける平八の姿があった。
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