第一部 八王の乱

ごきげんよう、崔浩さいこうである。


五胡十六国ごこじゅうろっこく時代の幕開けを概観せば、

見事天下を統一したしん国さまが

八王の乱をきっかけにグダグダとなり、

五胡勢力にボコされた、となる。


このカオスの端緒たる乱は、

先にあらましでも語ったとおり、

晋室皇族のオモシロ集団自殺、

バカ kills バカの連鎖であり、だるい。


故にこの乱については

「ぐちゃぐちゃなアレ」で

理解を止めるのも、正しき処方箋である。


が、踏み込んでみると、存外、

のちの時代の流れについての

ヒントが秘められている。


極端に言ってしまえば、

「なぜ南北に大国が成立し得たか?」

をも語りうる内容ともなりうるのである。



○八王の乱 概括


八王という名前に惑わされる必要はない。ざっくり言えば皇后系=南派と、反皇后派=北派の勢力争いである――まぁ、さらに内輪もめが混じってくるのだが。


そして一応の勝者は南派の司馬越しばえつだが、北派が取り込もうとした騎馬民族、即ち劉淵りゅうえんとそのゆかいな仲間たちに踏み潰され、その一派は江南に逃亡。そして北派は騎馬民族らの下に付き、あるいは影で操り(?)、やがては隋唐ずいとうを生み、再び天下を一つにまとめ上げた。これが実に粗暴極まりなき魏晋南北朝時代のまとめとなる。


では、このオモシロ集団自殺に、どんな人物が関わり、どう愉快に滅んでいったのか。これを追ってまいろう。


なお、あらかじめ申し上げておく。登場人物が司馬氏ばかりである。司馬、の文字のゲシュタルトが崩壊するのも楽しんでいただければ幸甚である。



○八王の乱 登場人物


・晋皇室

八王の乱について見ようとすると、だいぶ上の世代から見なければならぬ。全く、どうなっているのだ。


景帝 司馬師しばし

かの司馬懿しばいのあとを継ぎ、司馬氏の権勢を確かなものとした。ただし息子をなさずして死亡。基本こいつが息子を産まなかったのが悪い。おかげで晋の皇統がグダグダとなったのだ。


文帝 司馬昭しばしょう

後継者なくして死んだ兄の跡を継ぎ、司馬氏頭領に。ここで司馬炎しばえんを後継とし、その弟の司馬攸しばゆうを司馬師封爵地の継承者とした。この措置もまた、八王の乱のぐだぐだ感を生んだ、と言ってよい。それにしても司馬師がry


武帝 司馬炎

最終的に皇帝にこそなったものの、「司馬師の養子」と言う、皇位継承権的にかなりやばい弟と政争を繰り広げねばならなかった。当人同士はさておき、その権勢のおこぼれにあずかりたい臣下たちは色気を出して良からぬことを企んだことであろう。ともなれば、司馬攸については早い段階で殺すしかなかった気もせぬではない。


外戚 よう

楊駿ようしゅんと、その娘とか諸々。その権勢を確保するためにガンガンに司馬氏に自分の親類を送り込み、ひどいことになっている。だいたい賈南風かなんふうに殺された。後に名前を出す二人、司馬亮しばりょうおよび司馬瑋しばいの死は、むしろこの楊氏殲滅の文脈で語られるべきものである。


斉王 司馬攸

司馬炎の弟。子がいなかった司馬師の養子となり、あとを就いだ。八王の乱のぐだぐだの根っこのところにいる人である。司馬炎と皇位を争ったあとは、司馬衷しばちゅうとも微妙に皇位を争う羽目に陥っている。なので左遷され、失意の中死亡。


恵帝 司馬衷

暗愚の代名詞として有名ではあるが、そこにはあまり深く立ち入らぬ。事実から言えるのは、「こんなクッソグダグダな事件のときの皇帝なんか、そりゃ暗愚として書くしかねえだろうよ」である。


皇后 賈南風

西晋樹立の元勲、賈充かじゅうの娘。楊氏の牽制バリバリの宮中にぽんと放り込まれた。そこで司馬衷の助けを借り、外敵を排除、身の安全を図る。ところでここで排除されるべき相手が自らの地位=命を脅かす相手、となるわけで、すると賈南風、殺される前に殺さねばならぬ。そうするとターゲットがやんごとなき方々ばかりとなり、かくてその結果から、世紀の大悪女の称号を得た。晋書の批判も基本的にゴシップまみれであり、読み物としての面白さはさておき、事績としていちいち付き合う気にはなれぬ内容ばかりである。


皇太子 司馬遹しばきつ

司馬衷と側室しゃ氏との間に生まれた。つまり彼が皇帝になると賈南風は立場を失うわけであり、一方で反賈南風派は彼を担いで勝たせれば、あのクソヤバ毒女を排除できるわけである。よってかれは「英明だけど可哀想な人」扱いとなった。


以上より、司馬衷即位の段階で賈南風派対司馬遹派、という宮中の勢力図が生まれた。が、先にも語りたる通り、そもそも皇帝権が非常に脆弱。よってここに司馬氏皇室の中でも玉座を窺うやつが出てくる。こんなグダグダな皇帝権なら、俺にだって奪い取れんじゃねーの? と言うわけである。


雑に語れば、それが八王である。

が、あまりにも雑すぎるので、もう少しちゃんと紹介しよう。



・八王

「八人の王が争った」ではない点に注意が必要である。先に「たくさんの」王がケンカしました、的な意味で「八」王の乱なる名が付き、のちの世に、数字に辻褄を合わせるため、ストーリーを追いやすくなる八人の王を選んだ、が実態に近い。

そして、後世の人間はこの八人のバトルロワイヤルと誤認識し、混乱する。つまり作者である。困ったものだ。



汝南じょなん王 司馬亮

王  司馬瑋

忘れてよい。

上で書いた通り、賈南風が権力を掌握せんとする過程で殺されている。一応反乱を起こしてこそいるものの、さくっと潰されている。 


ちょう王  司馬倫しばりん

バカ。賈南風打倒を旗印とし、実際に倒したはいいが、自ら皇帝を名乗ってしまった。皇帝の権威を軽んじておれば、当然自分の権威も軽くなる。あっさり殺された。


せい王  司馬冏しばけい(南)

司馬攸の息子である。司馬倫打倒の旗頭として決起。ただし出自が出自であるため、司馬炎の息子たちとしては厄種アンド厄種であった、と思われる。


長沙ちょうさ王 司馬乂しばがい(北)

成都せいと王 司馬潁しばえい(北)

ともに司馬炎の息子。よって司馬衷がどうにか引きずり下ろされれば、正統な皇位も巡ってくる。司馬冏とともに司馬倫を倒しこそしたものの、あの司馬攸の息子なぞにデカいツラはさせられぬ。なので司馬冏を殺し、その後キャッキャウフフと殺し合った。

なお、このとき司馬穎は戦力として匈奴を引き入れていた。フラグである。フラグであるぞ。


河間かかん王 司馬顒しばぎょう

トランプで言えばジョーカー、百人一首で言えば蝉丸せみまるである。はじめ司馬倫についたが裏切り、ついで司馬冏についたが裏切り、更には司馬穎の率いる匈奴兵が強力なのを見て司馬穎に合流。その後司馬穎を追い落として最終勝者にリーチをかけるも、司馬越に絡め取られ、敗死した。


東海とうかい王 司馬越しばえつ(南)

八王の乱の最終的な勝者。八王の中ではかなり上の世代であり、賈南風政権の段階で既に重んぜられていた。その流れで司馬冏サイドに付き、司馬冏が敗死すると司馬乂幕下にスライド。ただし元々が司馬冏寄りの立場であったため、司馬乂を裏切って殺す。

その後司馬穎と喧嘩し敗北→体制を整えて逆襲、と動いた。こうして八王の乱を制覇する。


以上を雑にまとめると、下記の如き関係図となる。名前に@でルビを付けた人物が八王。ただし司馬顒のスタンスの異常さについてはどうにもこの図に入れ切れぬため、かれの関わった殺害劇(Xで表示)に、ルビという形で登壇していただいた。



        昭   師

        │子  │(養子)

    子   ├─┐ │     子

    ┌───炎 ○→攸─────┐

    │   │   ┌─┬X→

    │謝氏=衷=賈南風┐└X→

    │  │  ││↑└─┐  │

    │  遹←X┘│  │伯 │

  ┌─┴─┐    ││  │母 │

 ┌    │  │・ │

 │↑   │   配│↑  |甥 |

 ││   │   下│└──┘

 ││   │    │   ↑ 

配││   └───)│)──X

下│└─X─────────X→

 │         ↑

 劉淵───攻撃───┘     




○北派と南派

以上を踏まえ、南派北派の系統を確認しておこう。


南派:賈南風→司馬冏→司馬越

司馬冏の母(賈荃かせん)が、賈南風の妹。そのため賈南風の親族として引き立てられていた。ただし傍目から見て賈南風が厄種なのはあきらか。大人しく付き従えば身に危険が及ぶ。故に司馬倫の賈南風討伐にも参加はしている。その際賈南風陣営の幕臣を吸収、その中にはしれっと司馬越も混じっていた。


北派:司馬遹→司馬潁→劉淵

司馬遹と司馬潁は陣営的なつながりはない。ただし賈南風の甥、賈謐かいつを前にタッグを組むエピソードが見えており、両名には幾分かの連帯の気配が感ぜられる。少なくとも、八王の中では最もアンチ賈氏陣営を吸収しやすい立場にはあっただろう。故に、仮にではあるが、司馬遹と司馬潁を接続しておく。

そしてその司馬穎が戦力として引き込んだのが匈奴騎馬軍団、即ち、劉淵。オチの準備は万端、というやつである。



○八王の乱


この手の話は、勝者の存在を柱とするのがわかり易かろう。が、どうにもそれをやると、前半部分がわかりづらくなる。故にはじめの内は、大まかな流れとともに「その頃の司馬越さん」をつけておきたく思う。


a 賈南風専横(291)

晋の武帝、司馬炎亡き後に皇帝となった司馬衷は暗愚で有名であった。しかし司馬炎は、司馬衷の世子司馬遹の甚だ聡明たるを見、司馬遹に皇統を継がせるためにも司馬衷を皇帝に据えておく必要があった。

だが司馬炎の思いなど、周りの人間にとっては関係がない。事実は暗愚な司馬衷が皇帝として絶大な権力を握っていること、この一点である。故にその周囲には常に腐臭が漂う。はじめに司馬衷を利用し、権勢を拡大したのは母親の一族、楊氏。これを憎んだのが妻の賈南風である。彼女は司馬亮、司馬瑋の二王を陣営に引き入れ、楊氏を一掃。ここで二王に賈氏を軽んずる風があったため、両名とも謀略に掛けて殺した。

賈南風の権勢が拡大すれば、賈南風の息子ではない司馬遹が邪魔になってくるのは明らかである。故に 299 年、賈南風は先手を打ち、司馬遹に謀反の罪を着せ廃嫡、更には暗殺した。

ただし、あくまでこの辺りは権勢争いである。政治手腕について言えば、賈南風の主導した政権はそれなりの安定を晋国内にもたらしている。アンチ賈南風派であったはずの敏腕官僚、張華ちょうかを顧問に据えるなど、人材登用を見ても、非常にバランス感覚に富んでいた、とすら言ってよい。


その頃の司馬越さん。

司馬遹の教育係なども努めてはいたが、賈南風の楊氏討伐で大きな功績を挙げていた。政権内の割と要職に就く。



b 司馬倫起義(300)

割と司馬顒にそそのかされるような形で、司馬倫が起こした大義は「司馬遹殺害の罪を問う」であった。賈南風一派を粛清後、更にはこれらを傍観するしかなかった司馬衷の凡愚も糾弾。廃位の上幽閉する。その上で皇帝を僭称、中枢を握った。しかし国家運営などまったく視野におさめず、その権力を郎党を潤わすことにのみ浪費した。

皇帝を僭称するバカ、である。見事に向こうから大義名分を打ち立ててくれている。そこで司馬冏は義旗を打ち立て、司馬倫を打倒した。この時司馬倫を裏切った司馬顒について司馬冏はキレているが、殺すのは思いとどまった。


その頃の司馬越さん。

司馬泰しばたいの喪中につき不参加。



c 司馬冏決起(301)

この辺りが馬鹿 kills 馬鹿の極致と呼んでも差し支えなかろう。司馬冏が政権を奪取したら結局司馬倫と似たようなことを始めた。……と書かれているが、先にも述べたとおり、司馬炎系の諸皇族が司馬攸系に主導権を握られたままで収まりがつくはずもあるまい。なので早々に司馬乂に殺された。更に兄のことが大っ嫌いな司馬潁はこいつに主導権握られるのは最悪と司馬顒と示し合わせて攻め、倒す。


ここで、存在感のなかった恵帝司馬衷が動く。「かわいい弟の乂を殺したお前らなんぞクソだ!」と言うわけだ。こうして司馬衷は、この頃に陰然たる勢力をキープしていた司馬越と結び、穎顒と対立する。

……いや、司馬乂さん、司馬越に売られたおかげで破滅しておるのだが?


この頃の司馬越さん。

喪が明けてから、司馬冏政権下で司空しくう位に就いている。三公である。司馬冏が大司馬だいしばであるから、名目上はほぼ同格の扱いとなる。司馬冏死後にはあっさり司馬乂の幕下に収まっているのだが、ただし最終的には司馬乂を裏切り、破滅に追い込んだ。なにこの人怖い。しかもこの後アンチ司馬潁司馬顒勢力の首魁に押し出されている。いったいどういうバランス感覚があればこのような世渡りを為せるというのか。

ともあれ、ここまでくると司馬越もすっかりメインステージに上がっている。以降「その頃の司馬越さん」はもう不要であろう。



d 司馬穎台頭(302)

司馬穎はろくし文字も書けぬ乱暴者、という悪評賑やかなる人物であった。しかし、その武力は強大。何せその配下に劉淵、即ち匈奴きょうど騎馬兵を抱えていたわけである。到底恵帝ひとりで倒せる相手ではない。そこで手を組んだのが、司馬越。こうなると、どう考えても大義名分は司馬越側にある。が、匈奴兵たちはそんなもんお構いなしである。散々に恵帝司馬越軍を破り、恵帝を捕縛。司馬越は逃亡。これによって司馬穎の最終的勝利が近づいた、ように見えた。

が、結局のところ司馬穎はろくに文字が読めぬ蛮人であり、対する司馬越は世論を巧みに操る高い政治力を持つ論者である。戦に勝ったとはいえ相変わらず司馬穎は勝手に名声を落としていく。

司馬穎の没落は既定路線であったと言える。



e 司馬越収束(306)

敗走した司馬越であったが、一方では周到に司馬穎包囲網を構築した。のちに石勒と覇を競うことになる武将、王浚おうしゅん。北方に目を向ければ、匈奴に敵対する勢力の烏丸うがん。また鮮卑せんぴのうちだん部、宇文うぶん部。これらの諸勢力を、弟の司馬騰しばとうの協力も得て味方に引き込む。そして司馬穎を襲わしめた。

驚いた司馬穎は逃げようとした。これを劉淵が諫める。「いやいや、アンタここで逃げたら一巻の終わりですよ。まぁ見てなさい、あたしが匈奴本国の軍勢連れてあいつらぶっ殺しますから」。そう司馬穎に建言した。追い詰められた司馬穎はその言葉にすがるしかない。暫し迷ったが、劉淵の建言を採用する。


ところで劉淵であるが、その立ち位置は匈奴の長である。しかし、匈奴諸部族がみだりに叛乱できぬよう、長なのにもかかわらず人質として晋に身柄を拘束され、いいように使われていた。要は、アンチ晋感情を一手に集めやすい環境に、彼はあった。

劉淵は司馬穎の元を離れた後、匈奴の本拠・離石りせきにて独立を宣言した。司馬穎の強勢たるの原動力が捥がれたわけである。

いよいよ進退窮まった司馬穎。司馬顒の元に逃げ込んだ。なので、この段階で司馬顒と司馬穎の立場が逆転する。とは言え司馬越サイドとの勢いの差はいかんともしがたい。あっさりと恵帝を奪い返された。そして司馬穎、司馬顒も捕えられ、殺された。

こうして、司馬越が最終的な勝者となる。



f 争いは終わらない


勝者は司馬越であるが、あくまで「八王の乱」の勝者に過ぎぬ。後の世に生きる我々であるから、争乱はむしろその後の方が本番であったことをよく知っている。

八王の乱収束の直前、恵帝司馬衷が死亡。あまりにも突然のことであったため、碌々に周旋も為せぬまま、この時に皇太弟の座にあった司馬熾が帝位に就く。


これで司馬熾の号令のもと司馬越が天下を平定出来れば物語は大団円であった。しかし、司馬熾にとり司馬越と言う老練極まりない存在は恐怖の対象でしかなかった。いつ寝首をかかれるとも知れぬ。故に司馬熾は、司馬越が匈奴らと対峙していたところで、敵対の意思を明示する。これにより、突如司馬越は前後から敵に付け狙われることとなった。

この窮地に、司馬越は撤退の意思を示した。行く先は不明。封地の東海か、あるいは江南こうなんで基盤を確保しつつあった司馬睿、のちの東晋元帝のもとであったか。ともあれ、その途上で病死。首魁を失った司馬越一派は、匈奴らに一網打尽にされた。生き残った官僚たちはほうほうの体で司馬睿の庇護下に入った。


そして司馬越と言う最後の砦を自ら手放した司馬熾は、そのまま匈奴に攻め滅ぼされたのである。これが、永嘉の乱。

司馬熾の自爆が、永嘉の乱と言う最悪の結果を招いた、とも言えるやも知れぬ。



○南派と北派、その後


結果だけを申し上げる。旧司馬越派、すなわち南派は、八王の乱、永嘉の乱の展開を経て司馬睿のもとに合流、かれの傘下となった。これらと江南土着の豪族らが衝突融和を繰り返し、東晋朝が成立する。


東晋の北にあったものは何か。五胡十六国である。その時代の幕を開いた劉淵は司馬穎の下で活躍をしていた。また晋書劉元海げんかい載記たいきにおいて、劉淵(※あざなが元海)の元には多くの漢人知識層が集ったことが書かれている。例えば劉淵が漢王即位を宣言した際に范隆はんりゅう朱紀しゅきと言う人物がその側近として挙げられている。両名は若き日の劉淵が洛陽で就学していた時以来の学友でもあった。


匈奴王朝とは言え、その諸事取り仕切りには多くの漢人官僚が関わっていたのである。そしてのちの王朝でも、漢人官僚は大きな存在感を示している。張賓、王猛、そして我ら親子。北派は五胡勢力の中に溶け込み、やがて北朝を支えた。南派は東晋を形成、陰に日向に南朝を運営する。その終点が、ずいによる天下統一。


すなわち八王の乱に始まった争いの最終的な勝者は、司馬越でなどなく、北派の皆さんであった、と言うことができよう!


……これ、石を投げるでない。



○おわりに


結論を言う。

立ち入る価値がない。


無論、いったん踏み込んでみれば、

確かに途轍もなく面白い。

人間の腐臭が凝縮されている感がある。


この乱は、確かに中原のもと覇者を

南北に分断する、その契機となったのだ。


しかしながら、このような部分は

「バカがバトロワしてるところを

 騎馬民族共にぶっ叩かれた」

なる大勢に対し、さして大きな

影響をもたらすまい。


故に、好事家以外には

「八王の乱はさておき、このあとの

 石勒バーサス劉曜が最高でさぁ……」

と、切り上げてしまうのがよろしかろう。


その後、

北派が付き従った匈奴漢→前後趙と、

南派が乗り込んだ東晋とでは、

いかなる物語が展開したのであろうか。


これらを、次話以降に伺ってまいろう。


では、また次回。

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