余 談  南北朝皇帝雑記

 ごきげんよう、最近やけに忙しいな。崔浩である。


 余談として南北朝も取り上げたのであれば、

 南北朝皇帝も取り上げねば片手落ちと言うものであろう。


 とは申せど、実はそれほどしっかりと紹介する気にはなれぬ。

 既にすさまじく面白き皇帝伝が存在しているからである。

 故に今までとは趣を変え、該当記事を紹介、

 その間を乱暴に埋める、という形式を取る。



紹介する記事は「与力」氏が開設されている

~ Literacy Bar ~

 http://ameblo.jp/zeppeki-man/

中の三記事。

昏君列伝~南北朝のイカれた皇帝たち~

前中後編である。

 前 http://ameblo.jp/zeppeki-man/entry-11220505462.html

 中 http://ameblo.jp/zeppeki-man/entry-11229359353.html

 後 http://ameblo.jp/zeppeki-man/entry-11246998058.html


 前編では劉宋の後廃帝、南斉の東昏侯、北魏の北海王が紹介されている。

「クズ」「ゴミ」「凶人」とのみここでは紹介させて頂こう。

 前者二名は諡号からして既にオモシロ感が満載なのを

 実感していただけるものと思う。

 そして、北海王も負けぬ人物である。


 中編は少し趣が変わっている。

 梁の武帝、及び宇宙大将軍である。

 梁の武帝を昏君列伝に叩き込んでくるあたり

 爆笑と納得と感動がある。

 また当解説中の「余談」における

 武帝宇宙大将軍の内容が

 多分に該当記事の影響下にあることも実感していただけよう。


 後編では「与力」氏の大本命が登場する。

 北斉の文宣帝こそがその人である。

 付録として北周の宣帝及び陳の後主、

 すなわち滅んだ王朝のオモシロラストエンペラーもついてくる。

 前者が群を抜いてドン引きと言う名の爆笑必至なのだが、

 後者二名も

「隋文帝の目からはどうこいつらが映っていたんだろう」

 と想像することでイヤな笑いを浮かべることができよう。

 いやはや、南北朝皇帝は素晴らしいな!


 では以下「余談」の流れに従い、

 宋斉梁陳代各皇統、北魏東魏北斉西魏北周の各皇統を

 実にざっくりとまとめて参ろう。

 なお五胡十六国時代とは違い、

 君主が明確に皇帝と位置づけられているので、

 当記事に於いては以下の人物をだいたい諡号にて記す。

 全部、と言えぬのは僭称の末滅ぼされていたり

 勝手に推戴されて勝手に殺されたので

 諡号のつく余地がなかった人物もいるためである。



〇南朝


・宋 420-479

武帝(劉裕りゅうゆう)-少帝(義符ぎふ)-文帝(義隆ぎりゅう)≫元凶(しょう)≫孝武帝(駿しゅん)-前廃帝(子業しぎょう)-明帝(いく)-後廃帝(いく)-順帝(じゅん

※≫部は、いわゆる弑逆僭称者。


 晋より皇統を簒奪、かつ晋帝を殺害という暴挙にでた武帝。禅譲とは体面上「お前凄いな、後は任せた」であり友好的継承と言うことになっている。なので曹丕そうひ司馬炎しばえんも前代の皇統は尊重、保存した。しかし宋のこの行いにより、以降禅譲という言葉が完全に敵対的M&Aの隠喩となる。オモシロ惨劇祭りの始まり始まり、である。

 武帝は即位後間もなく死去。その後、あとを継いだ少帝を殺した文帝を殺した元凶を孝武帝が殺した。大いに語弊はあるがおおよそこのような感じである。その孝武帝は後継者のライバル足り得る皇族を皆殺しにし、死亡。だがここに現れる皇帝が前廃帝である。諡号が示すようにひどかったので明帝に殺された。そして明帝はかしこいので、孝武帝と同じく後継者のライバル足り得る皇族を皆殺しにした。ここまで書けば後廃帝が蠱毒の超エリートであると実感して頂けよう。

 一方、そんな皇族に付き合っていられないと配下が考えるのは当たり前である。宮中で力を付けた蕭道成しょうどうせい、即ち南斉の高帝が後廃帝を倒すと、禅譲係の準帝を推戴した。「もう皇族なんてこりごりだよー!」が宋皇族の遺言であった。



・南斉 479-502

高帝(蕭道成)-武帝(せき)-鬱林王(昭業しょうぎょう)-海陵王(昭文しょうぶん)-明帝(らん)-東昏侯(宝巻ほうかん)-和帝(宝融ほうゆう


 高帝、武帝はそれでもまだ、まともな皇帝であった。もちろん宋の皇族を殺戮はしているのだが。しかし武帝の死後、隠然たる権力を獲得していた明帝が傀儡として鬱林王、海陵王を立てては殺害、権勢を伸ばし、皇位につく。そしてこちらの明帝もかしこいので、見事に東昏侯を蠱毒エリートに育て上げた。素晴らしい天丼である。

 以降の展開もまた天丼である。高帝のいとこ筋に当たる簫衍しょうえん、後の梁武帝が以下略。



・梁 502-557

武帝(蕭衍)-簡文帝(こう)-豫章王(とう)-元帝(しゃく)≫僭称皇帝()≫閔帝(淵明えんめい)-敬帝(方智ほうち


 一応、ここで一旦風向きが変わる。武帝は本当の意味で賢かったので、天丼はご勘弁願いたいと、宋斉の創建者に較べれば比較的穏当に禅譲劇を行ったのだ。ところで全く関係のない話だが、この人の治世のさなかには「普通」と言う元号がある。実に普通ではない元号であるな。

 そんな天丼を無事回避した武帝に降ってくるのが宇宙大将軍である。無惨。宇宙大将軍無双によってよく分からぬ事になり、それに対抗した王僧弁おうそうべん陳覇先ちんはせん(陳武帝)ホットラインにより更に訳が分からなくなり、気付けば梁帝国は分裂の上滅んでいた。

 正直なところ、西晋のドタバタ自殺ギャグたる八王の乱並に武帝死後の梁はどうでもよい。系譜を書いてはみたが、宇宙大将軍と、宇宙大将軍打倒の主導者たる王僧弁と、王僧弁に従ってはいたが後日下克上を決めた陳覇先のキャッキャウフフの結果である、としか言えぬのだ。

 なのでポスト武帝期の各皇帝の解説は放棄する。



・陳 557-589

武帝(陳霸先)-文帝(せん)-臨海王(伯宗はくそう)-宣帝(ぎょく)-後主(叔宝しゅくほう


 宇宙大将軍を倒し、王僧弁をも倒した武帝。だが彼らを倒したところで力尽きた。あとを継いだ文帝は北朝の侵攻を跳ね返すなど、かなり頑張ったが早世。文帝を継いだのは臨海王であったが、宣帝はその力不足を痛感し、臨海王を廃して即位した。国力回復のため内政外征に尽力する。だが焼け石に水、色々無理ゲーモードに突入していった。そこへ満を持しての後主登場である。

 あるいは、後主にもそれなりには同情の余地があるのやもしれぬ。と言うよりも、かれが一応苦悩したことにしておいてやらねば、陳朝緒士の尽力が浮かばれぬ。


 南朝皇帝の系譜を眺めていると、寧ろよく宋の時代に滅びなかったな、ぐらいの勢いである。即ち、北朝は北朝でどうしようもなかったが故に南朝は偶然命脈を保ち得たのだ、と言えよう。


 そんな北朝の皇帝を、ここから眺めてみよう。 



〇北朝


・北魏

道武帝(拓跋珪たくばつけい)-明元帝()-太武帝(とう)-南安隠王()-文成帝(しゅん)-献文帝(こう)-孝文帝(拓跋宏たくばつこう元宏げんこう)-宣武帝(かく)-孝明帝()≫僭称皇帝(法僧ほうそう)≫皇女某-幼主(しょう)-孝荘帝(子攸しゆう)≫北海王(こう)≫東海王(よう)-節閔帝(きょう)≫汝南王(えつ)≫後廃帝(ろう)-孝武帝(しゅう


 道武、明元、太武までは五胡十六国。では太武帝が殺された後の北魏はどのようであったか。太武帝を殺した宗愛そうあいが南安隠王を立てては殺しと好き放題に振る舞ったので文成帝に殺された。文成帝は、宗愛にズタボロにされた北魏を何とか立て直そうとしたが夭折。ここで馮太后が登場する。文成帝の皇后であった彼女は一応献文帝を立てるが、主導権は自身が握っていた。恐るべき女傑である。その女傑が「この子ならば」と目したのが孝文帝である。「余談」で書いたとおり、馮太后-孝文帝ラインは北魏の最盛期と呼ばれている。つまりここからは滑り台である。

 孝文帝の、鮮卑としてのルーツ否定が火種となり、その火種は宣武孝明の二代の内に徐々に大きくなる。六鎮の乱。乱が深刻化し、北魏帝の権勢が落ちる。ともなれば、一方で権勢を拡大する人間も出てくる。爾朱栄じしゅえいと言う。六鎮の乱を鎮圧したころには簒奪もせんかと言う勢いであったが、ところが彼は結局孝武帝に殺されてしまう。残った勢力は配下の高歓こうかんに吸収された。のちの東魏西魏の分裂は、大雑把に言ってしまえば高歓派とアンチ高歓派の対立と言ってしまえばよい。アンチ高歓派の首魁の名が宇文泰うぶんたいである。

 僭称皇帝以下の流れは、梁のポスト武帝期に被るものがある。すなわち、周辺の都合で皇帝が好き勝手に差し替えられたのである。北海王はその流れの中で真っ黒い輝きを放っている。陳慶之の引き立て役、と言ってしまえればまだいいのだが、アレはそう可愛いものでもあるまい。



・東魏~北斉

孝静帝(元善見げんぜんけん

高歓(献武帝)-高澄こうちょう(文襄帝)-文宣帝(よう)-廃帝(いん)-孝昭帝(えん)-武成帝(たん)-後主()-幼主(こう


 北魏のラストエンペラー孝武帝は高歓を嫌い、宇文泰を頼った。なので高歓は新たな傀儡を立てた。孝静帝である。東魏はすでに実質高歓の国であったが、禅譲には踏み切れなかった。高歓が死に、高澄が家督を継ぐと孝静帝はリベンジを図る。失敗して幽閉された。その高澄は部下に殺され、部下は文宣帝に殺された。なお、これら混乱のさなか宇宙大将軍が梁に出奔している。良かったのやら悪かったのやら。

 こうなれば文宣帝としても、もはや孝静帝を頂く理由がない。禅譲を強要、そして殺す。その後の文宣帝の偉業は、ぜひブログにて確認していただきたい。登場までで既に頭おかしいのに治績はそれ以上である。お陰で北斉の国力は盛大に傾いた。いきなりド級の国難に向き合わねばならぬ廃帝であったが、どう見ても実力不足であった。なので孝昭帝は廃帝を蹴落とし、そんな北斉を立て直そうと奮闘する。しかし間もなく落馬死。落馬死。魏書を読んで[要出典]がついていないか疑った。何せ続いた武成帝~後主の放蕩皇統リレーこそが北斉に止めを刺すからである。

 特に後主の事跡は出色である。驍将斛律光こくりつこう、蘭陵王高長恭こうちょうきょうの排除により、北西の軍事力低下に大きく寄与。結果陳からも攻められ、あげく北周に攻め滅ぼされた。わずかな伴と共に逃げ出し、何故か息子に皇帝位を押し付ける。結局捕まり、殺される。時に後主二十二歳、幼主九歳。うーんこの。

 


・西魏~北周

文帝(元宝炬げんほうきょ)>廃帝(きん)>恭帝(かく

宇文泰(文帝)>孝閔帝(うぶんかく)>明帝(いく)>武帝(よう)>宣帝(ひん)>静帝(せん


 さて宇文泰を頼った孝武帝は普通に宇文泰に殺された。その後に立った文帝は当然宇文泰の傀儡である。文帝の死後立った廃帝は宇文泰排除を図り返り討ち。ともなれば恭帝のお仕事は禅譲の詔作成、である。ところがそれを作成している間に宇文泰が死亡。なので息子の孝閔帝に向けてしたためた。

 かくて北周が建つが、実権は孝閔帝にはなく、いとこの宇文護にあった。宇文護の専横を嫌った孝閔帝は排除を画策して返り討ちに遭う。代わりに立てられたのが明帝である。かしこかったそうなので宇文護に警戒され殺された。次いで立てられた武帝ははじめ凡夫の振りをして宇文護を油断させ、隙をついて排除に成功。この武帝が北斉を滅ぼし、華北を統一した。さあ天下統一、と意気込もうとしたところに現れる次の皇帝が宣帝なのだからもう、という感じである。

 斯くして北周は楊堅ようけん、すなわち隋文帝の独壇場となった。



〇そして隋唐へ…


 折々を眺めれば名君も少なからぬ印象はあるが、それ以上に昏君無双がどうしても目を引いてしまう。それを踏まえれば、隋の文帝煬帝リレーもなかなかの天丼である。とは申せ、史上最悪の暴君と呼ばれることもある煬帝については特技:史書編纂の唐太宗・李世民りせいみんが次に控えていることを考えると、太宗のプロパガンダに盛大に利用されているであろうことは間違いがない。


 まぁ、歴史をエンタメとして楽しむ分には、別に史書の記述を疑う必要もあるまい。面白い小説としてさえ読めばよいのである。なので名君も昏君も、実像に無理に迫ろうとせず、そう言うキャラクタがいたんだな、とのみ捉えるのがよかろう。


 面白いキャラクタ、となると、どうしても権臣たちになるのはもはやどうしようもないな。現在作者は劉裕に焦点を当てているが、簫衍、侯景こうけい、爾朱栄、高歓、宇文泰と言う濃すぎる面子の集まる梁東魏西魏の鼎立期もかなりおいしい時期であるように思っている。


 まったく、人間は集まるとろくなことにならぬな。



 では、またいずれの機会に。

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