[4] 後手からの一撃

 モスクワの「最高司令部」が中央軍集団に対する攻勢計画を立案している間、南西部正面軍に所属する各部隊の補給はいよいよ絶望的な局面に達しようとしていた。いずれの部隊も1942年の冬季戦から休む間もなく戦闘に駆り出され、人員・装備ともに激しく消耗していた。さらに、正面軍の兵站能力が攻撃方針の変更によって前線部隊に追随できておらず、弾薬や燃料が底を尽きはじめていた。

 マンシュタインによる「後手からの一撃バックハンドブロー」はこの時、始められたのである。まずは第1装甲軍とケンプ支隊の間で突出している南西部正面軍を南北翼から挟撃することによって、完全に殲滅することであった。

 2月20日、SS装甲軍団がクラスノグラード北方から、第4装甲軍の第48装甲軍団がパブログラード南方で総攻撃を開始し、第1親衛軍と第6軍に襲いかかった。同じころ、第4装甲軍の第40装甲軍団(ヘンリーチ中将)はクラスノアルメイスコエ周辺で弱体化していたポポフ機動集団を攻撃した。

 ポポフ機動集団はこの時すでに、どの部隊も深刻な損害を被っていた。燃料の枯渇で動けなくなった第4親衛戦車軍団は2月18日以降、第7装甲師団と第333歩兵師団、SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」による包囲攻撃を受けて壊滅的な打撃を受けていた。第10戦車軍団に代わって救援に向かった第18戦車軍団も敵の反撃に晒されて部隊規模をすり減らしていた。

 危険を感じたポポフは20日の夜、ヴァトゥーティンに全面的な撤退の許可を求めた。だが、ポポフの耳に届いたのは、激昂したヴァトゥーティンの怒号だった。

「貴様、首を賭ける覚悟はできているんだろうな!」

 ヴァトゥーティンはこの段階に至ってもなお、「ドイツ軍のドニエプロペトロフスクおよびサポロジェへの退却を阻止せよ」とする2月10日付けの「最高司令部」の命令が実行可能であると頑なに信じていた。

 また、当時ヴォロネジ正面軍司令部を視察中だった参謀総長ヴァシレフスキー元帥をはじめとする赤軍参謀本部の将校たちも、当初の計画と合致する形でドニエプル河方面に向かう攻勢の進捗状況に満足し、何ら疑いを差し挟もうとはしなかった。

 2月21日、「最高司令部」は南西部正面軍の第6軍に対し、「翌朝までにドニエプル河東岸に橋頭保を確保せよ」との新たな命令を下した。その際、赤軍参謀本部作戦部長第一代理ボゴリューボフ中将が「敵がドンバスからの撤退を実施している」との見解を示した。これに南西部正面軍参謀長イワノフ中将が同調する姿勢を見せ、ヴァトゥーティンは第6軍にドニエプル河の渡河を目指す進撃に継続命令を下した。

 2月22日、SS装甲軍団はサポロジェに迫っていた第25戦車軍団の後方連絡線を切断し、全部隊を包囲した。包囲されたソ連兵たちは戦車を放棄し、北方へと脱出を試みている友軍と合流することに成功した。ドイツ軍の兵力は包囲網を閉じるには弱すぎて、9000人の捕虜を得たに過ぎなかった。

 2月23日、第1装甲軍が北東に向かって進撃を開始し、第40装甲軍団との合流を果たした。ロゾワヤの西方では、補給不足で身動きが取れなくなっていた第6軍の第1親衛戦車軍団がSS装甲軍団と第48装甲軍団に包囲され、第6軍の主力部隊は司令部との後方連絡線を切断されてしまった。

 この事実を知ったヴァトゥーティンはようやく事態の深刻さを知り、「最高司令部」に第6軍の包囲を伝えた。第6軍を救出する手立てを取ろうとしたが、もはや手持ちの兵力は1個もなかった。

 2月24日、クラスノグラードからアルテモフスクにかけて、第1装甲軍、第4装甲軍、ケンプ支隊による戦線がひとつにつながった。第40装甲軍団はポポフ機動集団を全滅させ、バルヴェンコヴォ付近にまで到達した。ヴァトゥーティンは第6軍とポポフ機動集団が全滅した旨の報告を受けた後、「最高司令部」に打電した。

「南西部正面軍戦区における攻勢の続行は不可能」

 2月25日、ヴァトゥーティンは南西部正面軍の全部隊に攻勢の中止とドネツ河への撤退を命令したが、もはや手遅れだった。スラヴィヤンスク周辺にまだ第1親衛軍の残存部隊が展開していたが、正面軍には十分な防衛線を形成する兵力は残されていなかった。そのため、「最高司令部」はヴォロネジ正面軍の第3戦車軍を南西部正面軍に移して、第6軍の消滅によって失われた戦線を埋めようとした。

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