[3] 「鉄環」作戦
マンシュタインによる救出作戦が失敗に終わり、第6軍に残された道は空路補給された物資で次の応援部隊が来るまで持ちこたえることだったが、それも絶望的であった。南西部正面軍の戦車部隊によって、タツィンスカヤに続いてモロゾフスカヤも制圧され、ドン軍集団はドン河上流の陣地を放棄しなければなくなった。
12月28日、第14装甲軍団長フーベ中将は孤立地帯からドン軍集団司令部に飛ぶよう命令を受けた。東プロセインのラシュテンブルクで、ヒトラー自らがフーベに柏葉付騎士十字章を授与するという。パウルスはシュミットに命じて、燃料から医療品まであらゆる件に関する「全必要書類」をフーベに持たせた。フーベはヒトラーが尊敬する数少ない軍人であり、第6軍の幹部たちはフーベの訪問に希望を託した。
その間に、スターリングラードの市街地で防衛戦を続けていた第62軍はヴォルガ河の氷結にわき立った。これで負傷者が出ても今後はすぐに氷の上を通って野戦病院に運べるようになる。北部の工場地帯における膠着した戦況を打破するため、必要な火砲が半装軌車やトラックで西岸に運ばれた。
12月19日、第62軍司令官チュイコフ中将は初めてヴォルガ河東岸に赴いた。2か月前に司令部を移動して以来のことだった。初めてヴォルガ河東岸に赴いた。徒歩で氷結した河を渡って東岸にたどり着いたチュイコフは西岸を振り返った。自軍が守っていた廃墟をつくづくと眺めた。
スターリンはこの日の朝、「最高司令部」代表として「小土星」作戦の監督にあたっていたヴォーロノフ上級大将に電話を入れ、第六軍の陣地壊滅とスターリングラードの解放を目的とした作戦の立案に取りかかるよう命じた。
12月27日、ヴォーロノフは「
第6軍にとどめの一撃を加える「鉄環」作戦を担うことになったドン正面軍には兵員28万8000人、戦車169両、火砲5610門、航空機300機が与えられた。しかし同正面軍の兵站能力が貧弱なため、物資の配送や部隊の移動に遅れが相次いだ。ヴォーロノフは4日間の猶予を要請した。スターリンは怒りを爆発させた。
「君はそこに安穏と座って、ドイツ軍が君やロコソフスキーを捕らえに来るまで待っているのか!」
スターリンは腹ふくるる思いを抱えていたが、ヴォーロノフの要請に同意した。攻撃開始日は1月10日に変更された。
1月8日の晩、ドン正面軍司令部は第6軍に対して正式な降伏勧告を行った。もし包囲された第6軍が降伏すれば、「鉄環」作戦に参加予定の7個軍を他の戦区に投入して、さらに戦果を拡大できるという思惑があった。ドイツ軍の陣地に上空から次のような文面のビラがばら撒かれた。
「本勧告が貴官(パウルス)によって拒絶された場合、我が軍の陸上および航空部隊は包囲下のドイツ軍に対して殲滅作戦を開始することになる」
さらに、ヴォーロノフは2人の軍使に対し、パウルスに宛てた信書を持って停戦交渉を行うよう命じた。真夜中に出発した2人のソ連軍将校は第24軍の戦区でドイツ軍の前線を越えた。ドイツ軍の兵士に見つかった2人は目隠しをされ、内側を木の幹でしっかり覆ってある掩蔽壕の中に通された。
ドイツ軍の大佐がやって来る。大佐は「軍使をよこしたのはどんな機関か?」と尋ねた。ソ連軍将校の1人が「赤軍総司令部である『最高司令部』だ」と答えた後、大佐は電話をかけるためか壕を出て行った。大佐がなかなか戻って来ない。ソ連軍の将校2人は身体が次第に緊張していくのを感じた。
大佐は厳しい表情を浮かべたまま戻って来た。大佐は2人に向かって言った。
「私は次のような命令を受けた。諸君をどこへも連行するな。同行してもいけない。何であろうと諸君から受け取ってはならない。諸君を元のところに案内せよ。武器を返して安全を保障せよ」
結局、ドイツ軍の大佐はパウルスに宛てた信書を受け取らなかった。敵味方の将兵は前線まで戻り、互いに顔を見合わせて敬礼した。
ドン正面軍司令部に帰った2人の将校はみじめに疲れていた。任務は失敗に終わり、大勢の兵士が無駄死にする運命にあることをあらためて認識したからである。
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