さえたあか
魚住ハク
ビビット・レッドの表紙は未来への扉
「――で、志望校は決まってるのか。」
「――――いや、まだ何とも…近場に、しようとは思ってるんですけど。」
刑事ドラマで取り調べを受けている犯人も、こんな気持ちなんだろうな。冴えた赤い色をした本がギッシリと収められた本棚に囲われた部屋で、決して逃がしてはくれないセンセイと、机を挟んで二人きり。ここは、高校三年生という名の逃げられない現実を突き付けるための、檻。
「悠長なことは言ってられんぞ。」
「―――わかってます。」
「とりあえず、パンフレットと……これ、借りていきなさい。」
「これ……。」
檻の壁の一角を成していた赤が、引き抜かれて机に乗せられる。
「赤本ってやつだな、参考に持ってけ。あと、地元出ることも考えてみろ。お前の学力ならもっと上も狙える。」
近場の大学の赤本だった。
「はい……。」
手に取った本は、ずっしりと、いやに重い気がした。
「―――重い、なぁ。」
放課後の教室、席について一人つぶやいた。
机に覆いかぶさるように体を伏せて、伸ばした両手には先ほどありがたく拝借した赤本がある。目に飛び込んでくるその色に、なんだか憂鬱な気持ちが込み上げてきて、はぁ、と吐いた息とともに体まで重く、床にめり込んでいくような気さえした。
「何が重いんだ?」
飛び上がるようにして体を起こした。
「あー、今日の進路指導、お前の番だったのか。」
仲の良いクラスメイト。最近は、所属している運動部で目覚ましい活躍を見せているという。将来はその道のプロだろうと、今や誰もが思っている男子生徒。
「……そうだよ。」
「そっか。それで、何が重いんだ?」
「……そんなこと言ったっけ。聞き違いじゃない?」
「そうかな。」
「そうだよ。」
何だこいつ。
「話はそれだけ?用が無いなら早く帰りなよ。私も帰るし。」
面倒なことにならないうちに、帰ろう。
「……赤本が重いのか?それとも、未来が重い?」
帰るために鞄をつかもうとした手が、止まった。
「―――そこの大学受けんの?」
「……たぶん、そうなるんじゃないかな。」
「専門学校、行きたいんじゃねーの。」
「そんなはずないじゃん。このクラスは大学進学クラスでしょ。」
「…怖い?」
「何が。」
「好きなことやろうとするの。」
「好きなこととか無いし。」
「料理本、休み時間に読んでるよな。それに家庭科の実習、いつも楽しそうにしてる。」
「………。」
「料理、好きなんだろ。そんで、専門学校行きたい。」
「………………。」
「ちがう?」
だったら、――――――。
「だったら何。私がしたいことがあって、それを見ないふりして別の道に行こうが私の勝手じゃない。」
「確かにお前の勝手だよ。でも、お前はきっとそれで後悔するだろ。諦めて、別の道選んで、それが最善だって思いこんで、それでも、後悔するだろ。」
「そんなことないよ。」
「そんなことあるよ。」
「そんなことないってば。」
「ある。」
「ない。」
「あるだろ。」
「ないって言ってるでしょ!!」
「あるよ。」
「うるさいうるさいうるさい!!あんたには分かんないよ。将来決まってて周りも賛同してくれてて自分の好きなことやれる未来が見えてるあんたとは違うの。いい大学行って就職して自立してそのうち誰かと結婚するのが私の未来で周りの期待なんだよ!それが最善で当然の私の道なの。」
「本当にそうか?確かに俺はお前とは違うし、お前のことを完全にわかってなんかやれない。けど、お前の選ぼうとしてる道が、当然じゃないってことはわかる。捨てようとしてるものが、諦めようとしてるものが、すげー大事なもんだってことも、わかる。」
「……あんたなんて嫌いだ。」
「いいよ、嫌いで。嫌いでいいから諦めんなよ。」
「きらい。疲れた。もうやだ。」
「……俺だって、初めから運動できたわけじゃないし、活躍できたわけでもない。――――案外さ、死ぬ気でやればどうにかできるようになって、そのうち周りも認めてくれたりするもんだよ。初めは、しんどいけどな。」
「…………………。」
彼は困ったように笑っているのだろう。俯いていても、それくらいは分かった。
それから数秒。返事のない私の頭を乱暴に撫でてから、「下校時刻までには帰れよ。」と告げて離れていく。それからガラガラと教室の戸が開き、またガラガラと閉まった。靴音がだんだんと遠くなっていくのを聞きながら、私はまた机に覆いかぶさるように伏せた。
手元に残った赤本は、夕日を反射して眩しい。目が覚めるような冴えた赤色が目に染みて涙が溢れそうになる。
ビビット・レッドの表紙は未来への扉。
その扉をくぐるかどうかは、私の自由なのだ。
さえたあか 魚住ハク @fish02171
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます