第4章
商店街を抜けた先に公園があり、キョウジたちはそこで休憩をいれることにした。
かつては子ども達が遊んでいたと思われる遊具は、所在なげに立つ墓標のようであった。
キョウジは遊具をぼんやり眺めながら、ベンチに腰掛けて缶ジュースを口にした。
少し離れたところから、伊藤の愚痴が聞こえてくる。
「さっきの婆さんといい、この村はなんなんだよ。辛気臭いし、どこ行っても時間が止まってるみたいだ。頭おかしくなりそうだよ…」
とっくに飲み終えた空き缶を、くずかごに放り込む。
「たしかに、さっきのおばあちゃんはインパクトありましたね。何言ってるかわかんないし。去年、映画を撮りに行った村もこんな感じでしたよ。あそこまで露骨に拒否する人は居なかったですけど」
「俺はその撮影には行ってねーし。なんでこんなとこ来ちまったかな。こんな思いするなら東京に残ってたほうがマシだったぜ…」
伊藤はそう言って、ポケットから取り出したタバコに火をつける。
それから、自身の左肩に彫ってあるトライバルタトゥーのあたりをぼりぼりとかいた。
イライラしているときの癖だ。
「昨日と全然違うこと言ってるし。キョウジ、商店街の撮影はこの辺でいいだろ。これ以上続けてもめぼしい画は撮れそうもない。俺もなんだか疲れてきたよ」
宇川もキョウジの隣に腰を降ろす。
「そうだな…。江田さんから指示のあったものは撮れたと思うし、休んだら宿に戻ろうか。伊藤さんも限界っぽいしな」
宇川と顔を見合わせて苦笑する。
「シンジ。さっき、お前が言ってたことだけどさ。この村って、去年撮影に行った場所と比べて、異質だと思わないか」
「どういうことだよ」
「過疎化の進んだ限界集落。その点ではここも同じだ。…ただ、うまく言えないんだけど。この村はそもそも変わろうとしているのかな」
公園の向かい側に、閉ざされた薬局がある。
薬局の入り口には、色あせてヒビ割れたカエルの人形が立っていた。
キョウジはそれを眺めながら続ける。
「俺たちは東浜さんの依頼で、観光PRのためにここに来てる。だけど、村のどこを見ても、外部の人間に来て欲しいっていう雰囲気が感じられないんだよ」
「ムラ社会っていうのは、保守的な考えを持つ人間が多い。村人が俺たちを受け容れない雰囲気の方がむしろ自然だ。東浜さんのように、変えていこうっていう考えの方が少ないはずだよ。役場広報と村人の思いに乖離があるんだろ」
「それは俺も同じことを考えたけど。なんだかモヤモヤするんだよ」
「キョウジまで村の雰囲気に飲まれたのか?ここは仕事と割り切って頑張ろうぜ。まだ五日も残ってるのに、それじゃ身が持たない…」
そこまで言って、宇川が何かに気付いて言葉を止めた。キョウジも宇川の視線の先を追う。
公園に一人の老人がやって来たのだ。
その風体は異様だった。
伸びきった白髪はボサボサであり、目の焦点はどこか合っていない。
サイズの合わない青いTシャツからは、だらしのない腹の贅肉がはみ出していた。
千鳥足で歩いているが、足が悪いわけではなさそうだ。おそらく泥酔しているのだろう。
左手に白いビニル袋、右手にはカップ焼酎を持っている。
キョウジたちが座っているベンチの反対側の東屋に腰掛け、手にした酒を飲みながら、何かぶつぶつ呟いている。
キョウジたちはこの老人に係らないほうがいいと感じた。
隣の宇川と目配せし、その場を去ろうとしたときである。
「そこの
老人は伊藤のほうを見やり、手招きをする。
伊藤はそちらを見ないようにしていたが、老人が自分に向かって手招きしていることに気付く。
「俺ですか?」
突然のことに目を丸くしながら応える。
「おめだね、おめ。火、貸してけねが?」
老人はそう言って、ビニル袋から取り出したタバコの封を切る。
伊藤は老人の言葉を理解できなかったが、その動作を見てどうやらライターを貸して欲しいことに気付いた。
仕方なく、自分のガスライターを貸す。
老人はライターを受け取り、くわえたタバコに火をつけて大きくふかす。
満足そうに一息つくと、ガスライターを伊藤に返して、口を開き出した。
「おめんど、役場のマサシが言ってた東京の
口調は粗いが、笑みを浮かべている。
「はい、そうですけど…」
キョウジたちはその笑みを見ても、この人物が決して気を許せる相手ではないと感じた。
それは、人を品定めする類の笑みであるからだ。
「村のこと調べてけでらんだべ。遠くから来てもらって、たいぎだの。この辺の
伊藤はすっかり老人の言葉がわからず、答えあぐねていた。
それを見て取ったキョウジは代わりに答える。
「そんなことはありませんよ。今日もこうやって撮影して周っていますが、みなさんにはご協力いただいています」
努めて自然に話す。
「ふーん…」
老人はまた煙をくゆらす。
「おめんど、この村の成り立ちとか聞いてるが?」
「ええ、少しは。東と西で別れていた集落がひとつになって、
「んだんだ。よく調べてるじゃないの。へば、この村の『おっぱぎ』の話も聞いてるのが?」
「おっぱぎ…ですか。それは聞いていませんでした。風習かなにかですか」
キョウジが尋ねると、顔の皺をより一層深めて老人は笑った。
「おっぱぎの話は聞かされでねえのが…。ふーん…」
「あの、よろしければ聞かせてもらえませんか。そういえばお名前は…」
「
西浜ということは、昨日、宿に来た西浜トヨの親戚だろうか。
彼女は本家の人間だと言っていた。
村の成り立ちについて西浜トヨは語ってくれたが、目の前の老人は別のなにかを教えようとしている。聞く価値があるかもしれない。
「この村が、行浜っていう部落だった頃の話。昔々のことよ。漁はしていたけども、それだけだば苦しい生活続けるしかなかったんだど。それでも幸い、街道があって…いまの国道な。街道を通る人間はそれなりに多くて、宿場やなんかにお金を落としてくれたんだど」
ロクロウはタバコの灰を落とした。
「だけども、ご先祖さまはそれだけじゃ満足できなかったみたいでな」
「どういうことです」
「外から来る人間の豊かさが羨ましかったのさ。街道の北と南さある、大きい街から来る旅商人や旅行者は、羽振りが良かった。ご先祖さまはその裕福さが妬ましかったんだど。そこで始まったのが、おっぱぎよ。…追い剥ぎだね」
「追い剥ぎって、強盗ですか」
「んだ。金、
「ちょっと待ってください。いくら口封じのために殺しをしたとしても、村のなかでそんなことが起これば、住んでいる誰かは気付くじゃないですか」
「そこよ。この村のおっぱぎは村ぐるみ、全員でやり続けたことよ」
キョウジたちは絶句した。
人殺しが横行し、しかも、その犯罪行為に村人全員が関与していた。
およそ信じられないことだ。
しかし真実であれば、自分たちが今いるこの村は、殺人が繰り返された地なのだ。
キョウジたちの反応を楽しむかのように間を空けてから、ロクロウは話を続けた。
「街道を挟んで東側。宿場はそちらの方にあった。旅で疲れた外の人間はそこに泊まるわけだ。そうしたら、ここからは西側のもんの仕事よ。宿場の人間の手引きで夜に入り込み、すっかり寝込んだ旅人を襲う。何人かで囲い込んで、出刃包丁で喉を掻っ切る」
ロクロウは身振りを使って、首を切る真似をして見せる。
「なんてことはない。何代も何代も前からやってること。魚
キョウジは気付いた。
このロクロウなる人物が何故、このような話を自分たちに聞かせるのか。
彼にとって、おっぱぎとはこの村が誇る自慢話なのだ。
ロクロウの語り口には、後ろめたさや罪の意識が感じられない。
彼自身が殺人を犯したわけではない。しかし、彼は自分のことのように自慢している。
キョウジは目の前の老人に薄ら寒いものを感じた。
「死体の始末はもっと簡単でな。この辺りの沖は昔からフカがうようよしてる。船さ乗せてフカの餌にすればいい。死体が残ったとしても、ここの潮の流れは大陸に向かってるはんで、まず戻ってくることはながったそうよ。…でもな、あるときになって、ご先祖さまたちはそのツケをいっぺんに払うことになった。祟りが始まったのよ」
「祟り…」
「西と東が合併してもおっぱぎは続いた。それから間もなくして、村を様々な災いが襲ったのよ。不漁が続き、長雨が続いて作物は腐り、流行り病が広まった。そのうちに高波がやってきて水害が起こる。村が無くなるんでねえべか。そこまで追い詰められたんだど」
ロクロウは視線を落とす。
「ご先祖さまたちは、今までおっぱぎで殺してきた人間たちの祟りだと思ったそうだ。そうした怨霊の祟りを鎮めるために、作られたのが『祠』よ。おめんども見てきたんでねえが?」
「あの海岸沿いの端にある祠のことですか」
「そう、それよ。あれはな、外から来て死んだ人を慰める、無縁仏の地蔵を祀ってることになってる。でも、この村の人間はみーんな知ってらのよ。あれはご先祖さまたちが殺してきたもんの、怨霊を鎮めるためにあるってな」
ロクロウはヤニで黄ばんだ歯をむき出しにして笑った。
「恐ろしい村だべさ。そういう場所だのよ、ここは」
ロクロウはカップに残った酒をあおった。
それから立ち上がると、表情を無くしたキョウジたちを残して去っていた。
口数の少ないまま宿に戻ったキョウジたち撮影班は、取材を終えた江田たちと合流し、昨夜と同じ宴会場で夕食をとった。
昨日までは食欲を誘った目の前のご馳走も、ロクロウから話を聞いたあとのキョウジには箸が進まないものとなっていた。見れば、宇川や伊藤も同じ様子である。
「どうしたの伊藤くんたち。夏バテかしら?ご飯、全然進んでないじゃない」
上沼が心配そうに声をかける。
「ちょっとな…。撮影の合間に間食したせいか、なんかあんまり食欲ないわ」
「子供じゃあるまいし。仕方ない人たちね」
呆れたように上沼は返すが、納得はしたようだった。
公園で聞いた話は、女性陣に伝えないように撮影班のあいだで決めた。
無駄に不安をかけたくないという、伊藤の提案である。
ロクロウから聞いたことは伝承に過ぎず、その情報をどう取り扱うかは部長である江田に相談することにしていた。
夕食の後、伊藤から江田に話すようだ。
「それより、取材の方はどうだった?なにかいい話聞けたのか」
「あんまり収穫と言えるような話は無かったわね。漁協にお邪魔して話を伺ったけど、漁業は跡継ぎが年々減っていて、今は数軒の家でしか船を出していないみたい。一次産業においては、後継者問題が必ずつきまとうわ。予想はしていたのだけれど」
「そっか…。コマーシャル制作って言っても、そもそも売り出すものが見つからないと話にならないよな。こっちも役場のおっさんについて周ったけど、正直言って海しか撮るものなかったぜ」
「まだ時間はあるし、焦らないでいきましょう。キレイな海は撮れたの?宇川くん」
「そこは任せてくださいよ。こういう時こそ、カメラマンの腕の見せ所っス」
宇川は明るく答えた。しかし、やはり内心は穏やかではないだろう。
しばらくして宴会場に女将がやってきた。
両手に持ったお盆に、ガラスの切子が美しい茶瓶をのせている。
「あら。今日はこちらの学生さんたち、ご飯が進んでないね。嫌いなものあったのかしら」
「すみません。なんだか食欲が無くって」
キョウジは申し訳なさそうに答えた。
「んだの?残してもいいから少しは食べてね。でないと、暑さに負けちゃうよ?」
女将は屈託なく笑った。
そうして、これもまた切子が施された小さなコップに、先ほどの茶瓶からお茶を注いで振舞った。
キョウジはそれを受け取り、一口味わった。
「おいしいお茶ですね。麦茶かと思ったら、これはハーブティーですか。すごく飲みやすい」
「本当だ。すごく美味しい。喫茶店に出るレベルの味だよ」
荻上も感嘆の声をあげる。
「冷やしてあるからスッキリするでしょ。うちで自家栽培しているカモミールを使ってるの。暑いからビールもいいかと思うけど、お酒飲むとかえって汗かいちゃうでしょ。カモミールはリラックスできる効用もあるのさ。一日中歩いて疲れたでしょう。これ飲めば、後はお風呂入ってグッスリ眠れるよ」
「お気遣いありがとうございます」
江田が頭を下げる。
その隣へ、伊藤が座った。
江田に耳打ちしているようだ。おそらく、ロクロウから聞いた話を伝えるつもりなのだろう。
頷いた江田は伊藤と共に、宴会場をあとにした。
二人が出ていったあと、荻上がキョウジのもとにくる。
「タツ先輩とヒロト先輩どうしたの。何かあった?」
「俺はなにも聞いてないけど。もしかしたら明日の打ち合わせでもしてるんじゃないかな。今日はあまり収穫も無かったし、計画変更とか考えてるのかも」
ふーん、と荻上は少し疑問を残しながらも、自分の席に戻っていった。
それから何事もなく夕食は終わった。
江田も伊藤も戻ってきたが、これといって部員へ話すことは無かった。
部屋に戻ったキョウジは横になる。
菊池とメールのやり取りをしばらくしていたが、やがて眠くなり、文面でおやすみを伝えるとそのまま布団に沈んだ。
キョウジは眠りに落ちる寸前、伊藤が広縁から中庭へ出て行くのを横目に見た。
きっと、またタバコを吸いに外へ出たのだろう。そう思い、眠りについた。
翌日、伊藤ヒロトの姿は消えていた。
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