第3章
翌日は雲ひとつない晴天であった。
その日は早速、取材班と撮影班に別れ、行動開始となった。
キョウジたち撮影班は東浜マサシの運転するワゴン車に乗り、観光スポットになるであろう場所を片っ端から撮影する運びとなっていた。
事前に撮影場所の説明は聞かされていた。
そう多くはない観光スポットではあったが、とにかく出来るだけ沢山の映像を撮り、編集作業は都内へ戻ってからする考えであった。
浪浜村は日本海に面した漁村であるが、海水浴場と呼べるほどの砂浜は存在せず、岩肌がむき出しの海岸が続くばかりであった。
漁港として盛んであった頃の防波堤はあるが、訪れる釣り人も無く、寂しいかぎりだった。
東浜の希望により、この海岸をPR材料として使って欲しいとのことだった。
撮影機材を抱え、キョウジたちは海岸沿いの道路を歩いた。
「殺風景だが、それが逆にシンプルで心穏やかになる」
「砂浜は海水浴場としてやや魅力は劣るが、束の間の息抜きには申し分ない」
「あの岩肌なんかは夕焼けが落ちる頃になると、ワビサビを感じて心に訴えるものがある」
時折そうやって売り込むポイントを東浜が説明し、キョウジたちはその度にカメラをまわした。
正直言って、キョウジたちはこれが観光スポットとして成り立つのか疑念を抱いたが、他に撮るものも見当たらず、ひたすら画を残すことだけに集中した。
そうして足を止めながら海岸を南端に向けて進んでいると、海の見える風景は木々が生える高い崖に変わっていく。
足を止めて、そろそろ別の場所へ移動しようかと考え始めた。
そのとき、宇川が何かに気付いた。
「東浜さん、あれってなんですか?」
先を指差す方向に目を向けると、そこには無数の溶けたロウソクの痕と、一つの祠があった。
岩肌を平らにならした場所にその祠はあり、かなりの歳月を経た雰囲気がある。
祠の前には供物と思われる食べ物や菓子やらが並べられ、つい最近まで人が訪れていたことが見て取れた。
祠の扉は閉ざされ、何が奉られているのか分からない。
だが、キョウジは何とはなしに、不吉なものを感じ取っていた。
「ああ、あれは無縁仏の供養のためのものなんですわ」
キョウジたちは祠のもとまで歩いた。
「この村がまだ、部落の集まりだった頃に立てられた古いものでして。私ら地元のものは『
東浜は祠の前で膝を落とすと、手を合わせた。
キョウジたちもそれに倣い、手を合わせる。
立ち上がった東浜は、ハンカチで額の汗を拭き、説明を続けた。
「この祠は、かつてこの村で亡くなった旅行者や旅商人の魂を慰めるために、建てられたものと伝えられています」
「客死した無縁仏のためのものなんですね。今でも地元の方々はここを訪れているみたいですね」
メモを取りながらキョウジは尋ねる。
「この辺りの人間は信心深いというか、やはり高齢者が多い村ですから。こういった風習は守らなければならないと、そう教えられてきた人たちばかりなんですよ」
なるほど、とキョウジは相槌を打つ。
「この祠はお墓のようなものですから、そっとしておきたい場所でして。何卒、撮影のほうはご遠慮願います」
キョウジたちは頷いた。
「おーい。こっちにも何かあるぞ」
祠とは反対側の方から伊藤が声をあげる。
そこには、祠の正面を遮るようにそびえる大きな岩の壁があった。
壁は海岸沿いの山へ繋がっており、まるで砦のように見える。
伊藤はその岩壁の横に立ち、指を差す。
「ここから下に降りる階段がある」
キョウジたちも駆け寄ってのぞいてみる。
明らかに人の手によって削られ、作られた階段だ。
階段は岩肌に沿って下に向かって続いている。
岩肌の反対側には柵のようなものは無く、そのまま切り立つ崖となっていた。
崖下には白波が立つ海が広がっている。
踏み外せば、大怪我では済まないだろう。キョウジはすくみ上がった。
階段の幅は狭く、二人通るのが精一杯と思われた。
途中で曲がりくねっており、キョウジたちが立つ場所からは、どこまで続いているのか見えない。
「ちょっと降りてみようぜ」
伊藤がそう言って階段を降りようとする。
そのとき『ダメだ!』という厳しい声が響いた。
東浜マサシである。これまでの温厚であった表情は消え、険しいものになっていた。
「その先は柵も無くて危険です。絶対に行ってはならない」
頑として許さないといった口調だ。
その迫力に押され、伊藤も「すみません」と面食らったように答える。
「この先には何があるんですか?」
キョウジは尋ねた。
「この階段を降りた先には、『ウミナギ洞』と呼ばれる洞窟があります」
「洞窟、ですか」
「ウミナギ洞は漁が盛んであった頃に、海神さまを祀っていた場所です。奥には祭壇が残っていますが、漁が途絶えつつある今では誰も近寄りません。過去に階段から人が落ちた事故もあって、立ち入り禁止となっています。先に話すべきでした。大きな声を出してしまって、すみません」
東浜は頭を下げる。
「いや、俺のほうこそ事情も知らずに。すみませんでした…」
伊藤は素直に謝った。
それにしても、とキョウジは思った。
向かいの無縁仏には頻繁に手を合わせに来る村人が、海神を祀る場所には立ち入らないことに、少し違和感を覚えた。しかし、他所の土着信仰にあれこれと口出しするのも不躾と感じ、それ以上は何も訊かないことにした。
海での撮影は終了させ、キョウジたちはその場を去った。
正午を過ぎた頃には東浜と分かれ、予定よりも早く撮影は終了した。
もともと目ぼしい観光スポットもなく、いくつかの場所で自然の風景を撮るだけであった。
沖のほうに二隻ほどの漁船が遠目に見えたが、その他の村人といえば海岸通りを高齢者がまばらに歩いているだけであった。
昨日よりは村人を見かけるものの、やはり、寂しい村だなとキョウジは思った。
民宿に戻り、取材班に同行している江田と連絡をとった。
すると、予定外ではあるが、商店街の様子も撮影して欲しいと指示があった。
観光PRとなるような活気付いた画は期待できないが、それはそれで現状を伝える材料にもなるかもしれないとの考えだった。
一息ついた後、キョウジたちは機材を抱え、民宿から徒歩で出発した。
商店街は民宿を出てすぐ、国道沿いにあることを女将から聞いていた。
キョウジたちは教えられた方向を目指した。
間もなくして目的の商店街と思われる、開けた場所に出た。昨日、車で通った国道である。
少し先のほうに『なみはまむら銀座通り』と書かれた看板が見えた。
「ここのどこが銀座通りだってのよ」
伊藤が愚痴こぼしたように、商店街の店の殆どがシャッターを下ろしており、人の歩く姿も見えない有様であった。限界集落の多くがそうであるように、内需すら途絶えた寒村の商店街の例に漏れず、浪浜村の町中はシャッター街となっていた。
こうなってから随分と時間が経っていることは、容易に想像できる。
とにかく、カメラをまわしながら通りを歩くことにした。
時計店、魚屋、食堂、呉服屋、米屋。
いずれも錆びだらけの看板が、店が閉まって久しいことを物語っている。塗装が全てはげ落ちてしまい、なんの店舗だったのか分からない看板もある。
完全に赤茶けた街灯が立ち並ぶ光景は、どこか、墓場のような雰囲気さえ感じられた。
そういったなかを歩いていると、一軒の商店が開いていることに気付いた。
撮影がてら、飲み物でも買おうということになり、キョウジたちは店に入る。
「こんにちはー」
立て付けの悪いガラスの引き戸を開けながら、キョウジは声をかける。
来店者を告げるチャイムは鳴っているのだが、反応が無い。
店内にはおおよその商品が並んでおり、日用品も少ないながら置かれていた。
菓子パンや飲み物、酒類、魚、わずかばかりの調味料に、洗剤など。
棚の一番下まで見ると、いつの時代のものか分からない外箱の石けんなどが置いてある。
さして広くもない店内をキョウジたちは思い思いに眺める。
しかし、店主は一向に出てこない。
「もしかして留守なのかな」
「奥でミイラになってたりしてな」
厚い埃を被った洗剤をつつきながら、伊藤が冗談めいて言う。
「先輩!聞こえたらどうするんスか…」
まさかとは思ったが、キョウジはもう一度、今度は店の奥に聞こえるように声をかけた。
「ごめんくださーい」
すると、店の奥からどすどすという足音が聞こえてきた。
居住部分と思われる、すりガラスの戸が開くと、中から険しい顔をした老婆が出てきた。
「さしね!誰だば!」
怒気をはらんだ声をあげ、ヤッケを着た老婆はキョウジたちを睨みつける。
「大声出さねくても聞こえでらね!おめんど誰だば!」
キョウジもそうだったが、突然のことに宇川も伊藤も固まってしまった。
訛りがひどく、キョウジには全てを理解することができない。
それでも、目の前の老婆が強く怒っていることだけは分かった。
このままではいけないと思い、キョウジはできるだけ穏やかに話すことにした。
「おやすみしている所、突然お呼び立てしまって申し訳ありませんでした。僕たち、東京の大学から来たものです」
老婆は「ああ、役場で言ってた」とつぶやきながら、レジの所までやって来た。
どうやら、自分達の話は聞き及んでいるようだと知り、キョウジは少しほっとした。
「なんの用だの?」
老婆はぶっきらぼうにそれだけ言う。
「実は浪浜村の観光PRの…広告を作るために撮影をして周っていました。よろしければこちらのお店を撮影してもいいでしょうか」
老婆はキョウジたちをねめつけるように眺めて、それから言った。
「今忙しいはんで、おめんどさ構ってらいね。何がするんだば、勝手にしていけ」
そうしてまた、すりガラスの向こうに戻ろうとする。
「すみません!もうひとつ」
今度は宇川が呼び止める。
「これとこれと…これも。売ってください!」
冷蔵庫から缶ジュースを手にとって、老婆に見せる。
「…三百円」
宇川が小銭をレジの前に置くと、老婆は奪い取るようにして手に取り、すりガラスの向こうに消えていった。
「んだよ、あのババア。態度悪いな。さっさと出ようぜ」
伊藤は言い捨てて、一人で外に出て行ってしまった。
「どうするキョウジ。一応、撮っておくか?」
「…いや、これ以上の反感を買いたくないし、俺たちも出ようか」
結局、キョウジたちは缶ジュース三本だけを手にして、店を出ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます