農協おくりびと (最終回)エピローグ5 光悦とちひろ

半年後。光悦が2年の修業を終えて群馬へ戻ってきた。

戻ったという噂は聞いたものの、何時まで待ってもちひろのもとに連絡は来ない。

イライラしながら待つこと半月。

11時からはじまる葬儀の導師を務めるため、法衣姿の光悦がようやく

さくら会館に現れた。


 髪を伸ばし始めた光悦の中途半端な頭を、先輩女子が複雑な目で見上げる。

『こちらへどうぞ』と笑いをこらえながら、控室へ案内していく。

一般的な葬儀の場合。遺族や親族たちは1時間ほど前に会場へ入る。

導師がやってくるのも、その前後の時間帯。


 光悦は昨夜の通夜でも、導師をつとめている。

久しぶりに見た光悦は、最初から最後まで親族たちに取り囲まれていた。

ちひろと会話を交わす隙間は、まったくなかった。

『またな』と小さく唇を動かして、忙しそうに光悦が立ち去っていく。

恨めしそうな目で『フン!』とちひろが見送る。


 開式40分前。喪主が、導師の控室へ挨拶に行く。

5分ほどで喪主が出てくる。その直後を狙って、ちひろがドアの前に立つ。

コンコンとドア叩く。中から、『どうぞ』と光悦の乾いた声の返事が戻って来た。


 「なに緊張してるの。声が裏返っているじゃないの、新米導師さんは」


 「なんだちひろか・・・脅かすなよ。

 昨日の通夜はまったく平気だった。

 しかし、おおぜいがやって来る本葬となると俺も緊張してきた。

 読経を途中で間違えないか、すこしばかり、不安になってきた・・・」


 「分かりゃしません間違えたって。どうせ誰も聞いていないもの。

 そんなことより、あんた。

 群馬へ帰ってきて半月も経つというのに、あたしに電話ひとつくれないのは

 いったいどういうことなの!」


 「何かと忙しい。小さいことにかまっている暇はない。

 檀家まわりやら、近隣の寺への挨拶やらで、俺は毎日死ぬほど忙しい」


 「中学生の双子ともうひとりのちひろとは、もう合ったの?」


 「もう、会ってきた。群馬へ帰って来たその日、4人で夕飯を食った。

 あ。居酒屋の女将、ちひろにも昨夜あってきたぞ。

 あいかわらず着物の似合う美人だったなぁ」


 「3人いるちひろの中で、どうしてわたしの扱いが一番最後なのですか。

 軽い存在なんですねあたしという女は。情けないかぎりです」


 「真打ちはいつも最後に登場する。そう考えれば別に、腹も立たないだろう」


 「もうひとりのちひろさんとはどうでした?。

 素直にあんたのプロポーズを、受け入れてくれましたか?」


 「それなら速攻で却下されちまった。残念ながら」


 「呆れた。あんた本当に、もうひとりのちひろにポロポーズしたの!。

 あたしといういいなずけが居るというのに・・・」


 「先に絶縁宣言をしたのは、おまえだろう。よく言うぜ、まったく。

 最近資格を取った介護ヘルパーの仕事のほうが、男より、よっぽども楽しいそうだ。

 お前のほうこそどうだ。キュウリ農家の山崎とうまくいっているのか?」


 (とりあえず順調です)と応えようとしたとき、コンコンとドアがノックされた。

「導師様。開式の15分前です。ちひろさん。ご親族のみなさまが着席されました。

本日の葬儀、告別式、火葬場移動までの流れを、集まりの皆様に説明していただけますか。

よろしくお願いします」と、先輩女子がドアの向こう側からほほ笑む。


 「いよいよ俺たちの初仕事だな。胸がたか鳴る」


 「いいえ。わたしの胸はたか鳴りません。

 ああ、ここにいるかぎり、嫌でもあなたと仕事を続ける運命が続くのかぁ~」


 「いやか。俺といっしょに仕事するのは?」

 

 「うふふ。その件もノーコメントです」


 「ノーコメントかよ、冷たい女だな、お前ってやつは。

 待たせたなちひろ。やっとお前のそばへ、帰って来ることが出来た」


 「うん。お帰りなさい、光悦。

 さぁ行くわよ。ビビッてトチラないでよ、光悦。

 今日は450人の会葬者が、集まって来る予定ですからねぇ!」


 「よ、450人・・・聞いていないぜ。いきなりそんな大人数が集まるなんて。

 駄目だ、ちひろ。足がガタガタ震えてきた・・・」


 「光悦!」


 「冗談だ。450人の本葬儀か。

 俺たちの初仕事にしては、ちょっとばかり少なすぎる人数だ。

 行くぞ、ちひろ。今度こそ本当に、俺の胸がやる気まんまんで高鳴って来た!」


 「うふふ。それでこそわたしの光悦です」


 バタンと大きな音を立てて、控室のドアが閉まる。

長い廊下の先に、ふたりの初仕事を見守る満員の大ホールが待っている。



 農協おくりびと(完)

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農協おくりびと 111話から最終話 落合順平 @vkd58788

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