農協おくりびと (117)エピローグ4 ちひろと山崎

ちひろとキュウリ農家の山崎が戻って来たのは、それからさらに10分後。

これでスナックに、4組のカップルが勢ぞろいしたことになる。


 (ようやく帰って来たぜ。本日のメインゲストが)


 (そうどすなぁ。いい顔をして戻ってきました、2人とも)


 (妙ちゃんもそう思うか。うん、たしかにいい顔して戻ってきたな、2人して)


 「お前ら大遅刻だ。ガキの身分で、大人を待たせるとはいい根性だ」

罰ゲームだ。覚悟は出来ているだろうなと、祐三が立ち上がる。

「先頭を切って唄を歌え。ママ、『捨てられて』を入れてくれ。

歌うのはもちろん、さくら会館のアイドル、われらのちひろちゃんだ」

問答無用だと、祐三がちひろにマイクを手渡す。


 「おお~」という大歓声が、スナックの中に湧き上がる。

ちひろは歌がうまい。ちひろの声は、マイクを通してよく響く。

それが認められて斎場に赴任した翌日から、司会の大役に抜擢されている。

選ばれた曲は、長山洋子が歌う『捨てられて』だ。

光悦に終息宣言してきたばかりのちひろには、いかにも皮肉すぎる選曲だ。


 だがマイクを持ったまま、躊躇している余裕はない。

イントロは刻々とすすんでいく。歌い出し部分は、すでに数秒後に迫っている。

覚悟を決めたちひろが、腹の底までたっぷりと空気を吸い込む。


 ♪~でもね あのひと 悪くないのよ 噂 信じた わたしが悪い~♪


 (悪いわよねぇ・・・勝手にいいなずけに、絶縁宣言しちゃうんだもの。

 いきなり絶縁宣言を突き付けられた光悦クンこそ、たまったもんじゃないわ・・・)


 ♪~そうよ ひとりに なるのこわくて 尽くしすぎて 捧げすぎて 捨てられたの~♪


 (自分から勝手に捨てたくせに、平気な顔してよく言うわ、この女は・・・

 厚顔無恥と言うのは、ちひろのような女のことを言うのよ)


 ♪~どんな愛でもいい すがれるものなら どんな愛でもいい やりなおせるなら~♪


 (図々しいたらありゃしない。しおらしい顔して、男なら誰でもいいのかしら。

 山崎クン、駄目だよ、性悪女に簡単に騙されてしまったら)

 

 ♪~でもね 返れる部屋は 部屋はもうないの だから だから今夜は つきあってね~♪


 (付き合ってあげてるじゃないの。わざわざ群馬からこんなところまで飛んで来て・・)


 「ねぇ!。お願いだからみんな、わたしの歌を聞いて。

 ごちょごちょと、陰口みたいにわたしのことを、悪く言わないで・・・・。

 みんなにはとっても、感謝しているんだから・・・」


 ぐすんとちひろが、鼻を鳴らす。

間奏が間もなく終わる。2番目の歌い出しが、また数秒後に迫ってきた。

ちひろが2番目の歌詞を唄い出そうとする。しかし声がかすれて、言葉が出ない。

だがカラオケはとまらない。正確なリズムを刻んで、さらにその先へすすんでいく。

「おお馬鹿者ですね、わたしの可愛い後輩は・・・」先輩女子が、見かねて立ち上がる。

「貸して、マイク。私が歌ってあげるから」ちひろの耳へ、先輩女子がそっとささやく。


 ♪~でもね あの人 憎めないのよ ひどい男と 言うのはやめて~♪


 トマト農家の松島の隣から、圭子が立ち上がる。

ちひろの隣にやって来た圭子が、先輩女子からマイクを奪い取る。


 ♪~そうよ 悲しい 嘘がなければ あの人より 優しい人 いないはずよ~♪


 「あらら。女たちの競演がはじまりました。となると最後はやっぱり、

本命のウチの出番かしらねぇ・・・」祐三の隣から立ち上がった妙子が、

ひとフレーズを歌い終えた圭子から、マイクを受け取る。


 ♪~どんな愛でもいい つめたくされても どんな愛でもいい そばにいられたら~♪


 男たちもくわわりはじめた。やがて全員による大合唱がはじまった。


 ♪~でもね 大事なカギも カギも返したの だから だから今夜も つきあってね~♪



     引用 長山洋子・楽曲 『捨てられて』より

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