農協おくりびと (114)エピローグ・その1 妙子と祐三

不倫は、人が踏み行うべき道からはずれることを言う。

道徳から外れること全般に使われてきた言葉で、日常のすべてに摘要されてきた。

だが最近は配偶者でない者との男女の関係を、特に不倫と呼んでいる。


 「不倫願望があるわけではおまへん。

 かといって、女が枯れたわけでもおまへん。

 33歳と言えば、女の盛り。

 人並みに、それなりの欲望は持ち合わせております」


 「尼僧の発言とは思えないな、妙ちゃん。

 私を口説いて、不倫してもいいと聞こえてきたぜ、たったいま」


 「旅の恥はかき捨て。肯定しませんが否定もしません。うふっ」


 妙子がワイングラスを片手に、はんなりと笑う。

酔いが回ってくると妙子は、妙に女っぽくなる。普段以上に艶っぽい。

口角がきゅっと上に向く。

ひとつひとつの動作が、まろやかになる。なによりも、聞き上手に変身する。

頬杖を突いて、話をうながす。

ちょっとした合間に、さくっと自分の意見を言う。

すこし伏し目がちに話を聞いている妙子に、祐三の警戒心がメロメロになっていく・・・


 「天台宗の尼僧、瀬戸内 寂聴はんは知っとるでしょう。

 初期に書かれた受賞作『花芯』は、ポルノ小説みたいと酷評されました。

 修道女を志すも、教会から拒否されます。

 乳児を残して男性と逐電した過去の行状が、問題になったからです。

 出家を志して今度は、ぎょうさんの寺院をあたります。

 しかし、こちらも拒否されてしまいます。

 そんな寂聴はんが、1973年。今春聴(今東光)大僧正に救われます。

 中尊寺で得度して、法名を寂聴と名乗るようになります。

 尼僧になったのちも、ご自身の欲望を隠しません。

 『僧侶になったあとも肉食しとるし、化粧もしています。

 男もごめんなさいといいながら、肉食しています』と語っています。

 寂聴はんの座右の銘は『生きることは愛すること』どす。

 ウチも寂聴さんのように生きていきたいと、心から願ってるのどす」


 「寂聴の事は知ってる。

 21歳で見合い結婚して、翌年に女の子を出産する。

 夫の任地、北京に同行して、1946年に帰国する。

 だがやがて、夫の教え子との不倫が発覚してしまう。

 夫と3歳になった長女を残して家を出る。その後は京都に住みはじめる。

 1950年。離婚が成立する。

 これを機会に東京へ行き、本格的に小説家を目指す。

 東京に住みはじめたのちも、2人の男性と恋愛関係に落ちたという。

 たしかに恋多き女だ、寂聴という尼僧は」


 「はい。ウチは、恋多き尼僧の寂聴はんに憧れて尼僧の道へ入りました」


 「ますますもって、穏やかじゃねぇなぁ、妙ちゃん。

 俺がその気になったら、あとで困ることになるかもしれねぇぞ」


 「黙っていれば、誰にも分かれへんことどす」


 「墓場まで秘密を守るというのか、君は・・・呆れたな覚悟だぁ。

 そこまで言い切るからには、何か、人には言えない事情があるんだろう。

 言ってみな。俺でよければ聞き役になる」


 「実はな、ウチ、いまんまで人を恋したことがないのどす」


 「なに、今年で33歳になるというのに、いままでに人を好きになったことがない!。

 本当かよ妙ちゃん。・・・

 いやいや。いまからでも遅くない。

 誰かいい人が見つかれば、いまからだって人並みに恋をすることが出来る。

 まずは出会いが肝心だな、どんなタイプがいいんだ。

 俺が、良い男を紹介してやろう」


 「わたしの目の前にいるようなお方が、好みどす」


 「お、俺か・・・じ、冗談も休み休み言え。俺には妻も子供もいる!」


 「不倫はいたしません。奥様が亡くなるまでじっとお待ちいたします。

 ええでしょう、それくらい。

 奥様が亡くなるまでは、仲のええ大人として、若い者の恋愛を見守りましょう。

 うふふ。奥様が早めに亡くなることを、心から願っております」


 「な、なんていう不心得者だ。君と言う尼僧は・・・」


 「ええやないですか、こんな尼僧がひとりやふたり、この世に生きていても。

 うふふ・・・惚れてしもうたんどす、心のそこから祐三はんに」


(115)へつづく

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