農協おくりびと (113)貴舟のスナック
夕暮れからはじまったライトアップが、消えはじめていく。
午後の8時30分を回ったからだ。
この時間帯になると、紅葉の前で立ち止まる人はほとんどいなくなる。
足元から寒さがしのび寄ってくるからだ。
ライトアップを満喫したひとたちが、ぞろぞろと貴舟の坂道を下っていく。
約束のスナックへ先頭で到着したのは、祐三と妙子の2人だ。
軒下にひっそりと看板がさがっている。その下に、古めかしい木製の扉が見える。
木製の扉を開ける。カウンターの中から40代後半にみえる美人ママが、
「おこしやす~」と笑顔を見せる。
6席あるカウンター席にタバコを吸う先客が、一人だけ座っている。
カウンターの隅に、金魚が泳ぐ大きな水槽が置いてある。
「宿から電話で予約した者だ。あとから3組の男女が来る」と祐三が言うと、
「ボックス席でも、ええどうすか」と、さらに追加の笑顔を見せる。
ママが、「お好きなお飲み物は、何がよろしいおすか」と問いかける。
「そうだな。ジンをベースにしたカクテルはできるかい?」祐三が、座りながら答える。
だが、「そないなものは、できませえーん!」と瞬時に却下が出る。
「ではウイスキーの水割りを、オールドパーで出してくれ」と祐三が食い下がると
「そないなものも、ありませえーん」とふたたび、即座に却下されてしまう。
「しょうがねぇなぁ。俺は焼酎は駄目だ。何かないか、飲めそうなウィスキーは」
「最近はウイスキーは飲む人が少なくて、ほとんど置いておまへん。
そうどすなぁ、探してみますからちびっと待って下さいな」
美人ママが、ボトルの棚を物色していく。
ようやく、埃をかぶったサントリーロイヤルのボトルを探しあてる。
「これでええどすか?」と美人ママが、艶っぽい視線をこちらに向ける。
「良いも何も、それしかないんじゃ仕方ねぇ・・・それで手を打とう。持ってきてくれ」
憮然としたまま、祐三が納得の仕草を見せる。
「無いものを無理に出せとは、やっぱりあんたも頑固ジジィやねぇ」
と隣に座った妙子が、(困ったものです)と苦笑いを見せる。
「お好きなものは何が良いと聞かれたから、ウィスキーが好きだと答えただけだ。
好きなものは譲れねぇ。
簡単に譲っていたんじゃ、上州男児に生まれた意味がねぇ」
「あらそう。あんたはおひとりでウィスキーをどうぞ。
ママはん。あたしはワインが呑みたいわ。銘柄はママに任せますから」
「なんだよ、君はワインにするの。それならそうと早く言え。
よし。俺もワインにしょう。ママさん、悪いがウィスキーは片づけてくれ。
俺もこちらの女性とお同じ、ワインで良い」
「あら、あんたもワインにするどすか、先ほどまでのこだわりを捨てて。
ふぅ~ん、優柔不断で単純なのどすねぇ、上州の男の人って・・・」
「うるせぇ。切り替えが早いと言え。知らない人が聞いたら誤解するだろう」
「素直ではおまへんなぁ、まるっきしもう。子供みたいどすな。うふふ」と妙子が笑う。
それにしても遅いなぁみんなと、祐三が腕時計を覗き込む。
約束の9時まで、まだ5分ほどある。
散策を楽しんでいる途中なのだろうが、無事な顔を見るまで落ち着かない。
「ええではおまへんの、みなはんは遅くても。
ここにこうして、いちばんの美女がとなりに居るじゃおまへんか。
それともなにかしら。ウチでは魅力が不足しとるのかしら?・・・」
妙子は今年で33歳になる。
33歳は大人の女性らしさと、可愛らしさが同居する年まわりだ。
その一方、18歳~20歳、32歳~33歳、36歳~38歳が女性の厄年になる。
30代で、なんと6年間の厄年がある。
なかでも33歳の本厄は、もっとも気を付けなければいけないと言われている。
33歳前後という年齢は、子育てに忙しく、精神的にも肉体的にも疲れている時期にあたる。
中には33歳を、散々(さんざんな歳)などと言うひともいる。
(114)へつづく
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