移り香

天空の暗闇から源氏と柏木が現れます。


「なんちゅうやっちゃ薫は?いらいらする」

「まま、そこがまた奴のいいところで」

「結局女を死なせてしもうた。わるいやっちゃ

こういうやつが一番悪い」


柏木は黙って聞いています。


「それに引き換え孫のほうは調子もんの尻軽で

能天気や。自分も周りもそう認めておりゃあそれが

一番幸せかもな。なまじっか真面目ぶると自分も

みんなも傷つく。中途半端が一番いかん薫のように」


どうも地上では匂宮が中の君を京へ呼ぼうとしているようです。

中の君の後見はやはり薫の君ですから親ぶって構わずにはいられません。


かえすがえすも大君の言うことを聞いて中の君と結婚して

おけばよかったのにと今更ながら後悔します。


そして実際夕霧右大臣の六の君がお輿入れになりました。

例によって匂宮はまんざらでもありません。

夕霧邸の監視は厳しくなかなか抜け出せません。


一人ぼっちの中の君は何とかして宇治にこっそり帰ってしまおうか

とお思いになって薫の君にお手紙を出されました。

「昔のよしみで今も変わらぬあなた様のご厚意、

誠にありがとうございます。もしよろしければ

直々にお会いして御礼申し上げたく存じます」


薫の君は胸躍らせて何度も何度も繰り返し

中の君からのお手紙を読まれて、


「お手紙拝見いたしました。昔のよしみなどと

水臭いことはおっしゃらずに。詳しいことは

万事参上いたしました上で。あなかしこ」


と生真面目にお返事なさいました。

さて次の日の夕方、いつもよりは念入りに身づくろい

をされて薫の君は中の君を訪れになりました。


翌日、久しぶりに突然匂宮がお見えになりました。

中の君は昨日そんなことがあったのでお召し物は

すべてお着換えになっておられます。


心の内も開き直っていつになく匂宮にお甘えになります。

匂宮も御無沙汰を申し訳なく思っています。


ところが薫の君の移り香がたいそう深くしみついています。

「ななな、何としたこと?この移り香は?これはこれは情けない」


中の君は申し開きもできずに泣くばかり。匂宮はえも言われず

いとおしくなってそっとやさしく中の君をお抱きしめになるのでした。


天空の源氏が呟つぶやきました。

「あほや、こいつも」


それからほどなく。中の君は薫の君に話します。


「このたび、わたくしには実は異母妹がいてこちらを

頼ろうとして見せに来ました。ちらと見に似ています」

「だれに?」

「大君に」

「えっ?」


薫の君の顔色はいつもの賢人ぶった貴公子から

総崩れにおなりでした。それほどまでに、と

中の君はお思いになり。


「わかりました。こちらに引き取るようにいたしますので、

そのうちにお目にかかることになるでしょう」


薫の君はもう上の空です。それからは宇治のお堂の建築に精を出され、

女二宮のお輿入れも適当になされ、やっと生まれたばかりの匂宮の

若君もそれなりに大切にお見舞いなさいます。


そしてついに春の盛りを過ぎたころ。

宇治に御堂の様子を見に行かれたその帰り山荘で女車に出くわします。


「あれは?」

「前の常陸宮様の姫君で初瀬の御帰りです。行きにもここへお泊りに

なりました」


「ほう。早く中にお入れなさい。こちらは奥に隠して」

薫の君は影からこっそりと姫をご覧になります。

じっと見とれて涙をおこぼしになりました。


「よくぞ生きていらっしゃった。ほんとによくぞ・・・。

浅からぬ前世からの約束と伝えてほしいのだが?」


「まあ、いつの間にそんなお約束が?ではそうお伝え

いたしましょう」

尼君は笑いながら奥へと入っていかれました。

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