第4話夕霧

惟光は薪を割っています。賄まかないの式部がおぜん

立てをしています。ずっと源氏の読経が響いています。

年は老いても声は昔とちっとも変りません、

艶つやのある若々しい声です。


「雲隠様、夕霧様がお見えのようです」遠見をして惟光が叫びます。


栗毛色の駿馬にまたがりゆっくりと御次男夕霧の大将がお見えに

なりました。年老いた惟光に偉丈夫な息子夫婦が寄り添い狩衣姿の

夕霧様を迎え入れます。


床に伏している源氏。式部に背中を支えられて起き上がります。

大きく咳き込む源氏。式部が優しく背中をさすっています。

源氏は大きく息を吸い込むと居ずまいを正して床敷きに座ります。


「親父殿又参りました。具合が悪いとお聞きしておりましたが」

「何の何のちょっとした冷え込みで風邪を引いたようじゃ」

「どうか無理をなさらないように」

「はは、大丈夫じゃ。法華経を紐解くと元気が出る。これぞ

佛の御力じゃ。はははは」


老いたる源氏は夕霧様のお顔を見るだけでもお元気が出るようです。

ましてや仏道をお求めになる心意気に親としてこれほどの喜びは

ないようです。お顔にも艶が増しておられます。


酒と肴が運ばれてきました。


「どこまで話したかのう?」

「四十余年 未顕真実でございました」

「そうじゃそうじゃ。それは無量義経。正直捨方便 但説無上道 

これは方便品。法華経が説かれる最初の経典で今に至る四十余年

未だ真実を顕さずということは」


「これからが真実の法なのだということ?」

「そのとおり」

「釈迦は最初に華厳経という難しい法を説いたが皆何のことか

わからなかったということでしたね」


「そこで阿含とか方等とかの低い教えから入りなおした。

色即是空とかこの世の無常から説き始めたのや。早合点した輩は

それが仏の教えやと思って後があるのにさっさと自分の宗派を

起こしてしもた」


「そこで四十余年 未顕真実」

「そや、さらに次の次の方便品で正直に方便を捨てて 但無上道

を説く というわけやさらに宝塔品で多宝如来はこれはすべて

真実だから余経を一偈も受けるなと叫ばれたんや」


「今までの教えはみんな嘘?」

「そのとおり。今までのは皆誰かが質問されて佛がそれに答える

という形じゃったが法華経は違う。佛自らが最後の法をお説き始

められたのじゃ」

「ほう」


大きくうなづきながらお二人はお酒を酌み交わし肴に手を付けて

おられます。まるで目が見えておられるような源氏様です。


「方便品が説かれただ一人舎利弗だけがこの時悟った」

「ただ一人悟った。何をですか?」

「今まで法華経以前ではひねくれ者の悪人、焼きもち焼きの女人、

自信過剰のうぬぼれもの声聞、縁覚の二乗は成仏できないと説

かれておった」


「そうでしたか」

「早いうちに悪人と女人の成仏は明かされるが、二乗はまだ明か

されていなかった」

「なるほど。ここで初めて二乗も成仏できると」

「ただ一人、舎利弗だけが悟ったのじゃ」

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