祝福するブス。
馬場添のおかげで汐里の件も落ち着いた。やっと落ち着いた時間が戻ってきた。
好きな仕事で楽しく労働。穏やかな時間とは、なんて素晴らしいのだろうと、お客さんの髪を弄りながら噛みしめる。
少し遅い時間にお昼休憩に入り、スマホ片手に菓子パンを齧る。
なんだか今日は気分が良いし、呑みにでもいっちゃおうかなぁなどと考えていると、スマホにLINEメッセージが届いた。
【今日、久しぶりに飲みに行かね? 貝谷の店の近くに美味い居酒屋あったよな? 『のんべえ』だっけ?】
高校時代、よくツルんでいた真田からだった。さすが、真田。なんてタイミングが良いんだ。同窓会の日、馬場添と文乃のせいで真田とロクに話す時間がなかったから、久々に飲みながら語りたい。
【行く‼ のんべえ集合な‼】
速攻で返信し、パンを食べ切り、張り切って仕事へ戻った。俺には、仕事終わりに美味しい美味しいビールさんが待っている。
滞りなく仕事を片付け、本日の業務を終えると、真田が待っているだろう居酒屋へ急ぐ。
のんべえに辿り着き、店員に案内された席に行くと、
「ごめん。先にちびちびやってたわ」
真田が瓶ビールを見せながら笑った。
「お疲れー。全然いいしな」
店員さんにジョッキの生を注文すると、真田の向かいの椅子に腰を掛けた。
真田にコップを手渡されると、『ジョッキが来るまで、こっち飲んでようぜ』と、真田が瓶ビールを注いだ。
二人でコップをぶつけながら乾杯をすると、一気にビールを飲み干す。
「美味―い」
コップの中のビールが消えたところで、店員さんがジョッキを持ってきてくれた。
途切れないビール、最高すぎる。と幸せに浸りながらジョッキに口をつけていると、
「俺、結婚したんだ」
真田の口からサプライズ幸せ報告が飛び出した。
「おぉ‼ まじか‼ おめでとう‼」
ここ最近、離婚だ不倫だ慰謝料だ的な話ばかり聞いていた為、こういうハッピーな話は、自分の事ではないのに異常に嬉しい。
「…でさ、文乃に聞いたんだけど、貝谷って馬場添と仲良いんだよな?」
しかし真田は、聞きたくもない名前を、しかも二名、口にした。
「馬場添とは別に仲良くない。高校時代、ずっと俺たち一緒に遊んでたんだから分かるだろ? 馬場添と俺が仲良くしているところなんか、見た事ないだろ。取っ組み合いしてるところしか見た事ないだろうが。つか、文乃から何を聞いたんだよ」
テンションが急降下し、美味しく飲んでいたビールが突然苦味を増した気がした。
「貝谷に相談すれば、馬場添が解決してくれるって」
予想通りの真田の言葉。
「だーかーらーさぁ‼ 何でいちいち俺を介すんだよ。そもそも日本語がおかしいんだよ。『馬場添に相談すれば、馬場添が解決してくれる』んだよ。直接馬場添に言ってくれよ。どいつもこいつもー‼ つか、なんで新婚幸せ爆発期の真田が、馬場添なんかに用があるんだよ」
『すいませーん‼ 鶏肉半身揚げとチーズボール』と、近くを通った店員さんに、怒りまかせに勢いで揚げ物二品をオーダー。
「結婚、取り消したいんだよ」
「はぁ⁉ 何で⁉」
「結婚してから、嫁に子どもがいることが分かったんだよ。小一の。『言い出せなくて…ごめん』だと。『ごめん』じゃねぇよな」
『まじで有り得ねぇ』と苦笑いを浮かべた真田が、店員さんが運んできたチーズボールに手を伸ばし、口に放り込んだ。
「…何それ。嘘やん」
あんぐり開けた俺の口にも、
「嘘じゃないんだなー、これが」
真田がチーズボールをポイっと投げ入れた。そして『はぁ』とため息を吐いてはチーズボールを一点見つめする真田。
…見捨てる事など、出来んわな。ポケットからスマホを取り出し、耳に当てる。五コールほど待つと、
『はい。本田法律事務所です』
今日も倉田くんが電話に出た。こんな遅い時間まで偉いなぁと感心。
「はい。貝谷です」
『はい。営業時間はとっくに終わっています』
「はい。知ってます」
『はい。でも今日は馬場添先輩がまだ事務所にいます。良かったですねー。直接お話しをどうぞ。代わりまーす』
「ちょっ‼ 待っ‼」
馬場添との間を倉田くんに取り持って欲しかったのに、サラっと逃げられてしまった。
みんな俺を介すのに、相談者でもない俺が馬場添と直接交渉をしなければならない理不尽に、『何故こうなる?』と納得のいかない疑問を過らせていると、
『何。』
初っ端から不機嫌全開の馬場添が電話に出た。
「ちょっと相談が…『何。なんだか周りが騒がしいわね。こっちはこんな時間まで事務所で残業するくらいに忙しいのに、何。』
俺の話を最後まで聞こうとしない馬場添が、自分は仕事中にも関わらず、電話越しに聞こえる居酒屋のガヤガヤとした楽し気な騒音に苛立ちを滲ませながら、『何』と言う言葉に圧を掛けた。
「高校の時、同じクラスだった真田って覚えてる? 同窓会にも来てたんだけどさ。真田、嫁に子持ちであることを隠されたまま結婚しちゃったんだとさ。これ、無効に出来るよな? 騙されたわけだし」
『無理。』
馬場添は、真田の相談を一言で片づけた。
「無理だって」
そのまま真田に伝えると、真田が俺の手からスマホを奪い取り、スピーカーにすると、
「何でだよ。詐欺だろうが」
『久しぶり』などという挨拶を挟み込むことなく、馬場添にブチ切れた。
ヤバイ。真田は完全に馬場添の嫌いなタイプの人間だ。
『人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法の利益を得たりする行為が詐欺罪。アンタ、何も奪われてないでしょうが。子どもを得ただけ。嫁が子持ちであったという事実は結婚の意志を直接左右する事情とは認められない。嫁の連れ子が婚姻関係を継続し難い重大な事由にも成り得ないから、離婚理由にもならない。
貝谷とどこで遊んでいるのか知らないけど、子ども、まだ小さいじゃないの? さっさと帰って親睦を深めなさいよ』
かったるそうにしながらも、馬場添は『無理』の理由を話してくれた。
「いいんだよ。一緒にいるとお互いに気を遣って疲れるんだよ。あっちも俺といるよりひとりでいたいだろ」
『日本の法律、おかしくね? 騙し得かよ。すみませーん、芋焼酎、ロックで』と真田がふて腐れながら店員さんに焼酎を注文しだした。
『飲み屋にいるのかよ。つか、追加注文してんじゃねぇよ。帰れよ。子どもを一人で留守番させてるんだろうが。子ども、何歳なんだよ。嫁、どうしたんだよ』
真田の態度に馬場添がキレ始めた。
「今、貝谷の店の近くの【のんべえ】で飲んでる。子どもは小一。嫁はエステサロンで仕事中。拘束時間が長いし、手も痛めてるらしくて、辞めたいって言ってるけど、業務委託契約期間中に辞めると違約金が掛かるから辞められないらしい。まぁ、そろそろ帰って来る頃じゃね?」
店員さんから芋焼酎を受け取った真田が、『くぅ』と言いながら喉を潤した。
『『くぅ』じゃねぇよ。小一の子どもに留守番させるって、アメリカだったらネグレクトで通報されるからな。…つか、今迎えに行くからそこに居ろ。子どもと嫁に会わせて』
思いもよらぬ馬場添の登場宣言に耳を疑う。
「嫁に離婚話をしてくれるのか?」
驚く俺を余所に、真田は前のめりになりながらスマホに向かって話掛けた。
『状況を見て考える。倉田―、車出してー』
馬場添は、倉田くんを連れて本当にここに来るらしい。
電話を切って十五分後、テーブルの上で俺のスマホが光った。画面には『馬場添』の文字。
「はい。貝谷です」
『でしょうね。今、のんべえの向かいのパーキングにいるから、真田を連れてさっさと来い』
馬場添にさっさと電話を切られた為、さっさと会計を済ませ、さっさと店を出ると、道を挟んだ向かいの駐車場に止めてあった車から馬場添と倉田くんが出てきた。
「駆け脚‼」
馬場添が小学校の先生の様に、真田と俺に早く走る様に命令しながら手招きをした。
「走らせるなよ、だりぃな。こんな短距離、歩いて行ったってそんなに時間変わらねぇっつーの」
「たらたら歩くな、うぜぇな。俺まで馬場添に睨まれるだろうが」
走ろうとしない真田のケツを蹴り上げ、馬場添の元へ小走ると、
「さっさと乗れ、ネグレクト。とその他」
馬場添が後部座席のドアを開けた。
「相変わらず顔も性格も糞ブスだな、馬場添」
真田が馬場添に聞こえる様に悪態をつくから、
「黙っとけ。お前が馬場添に相談したいって言ったんだろうが。すまん、馬場添。真田、結構飲んでるから」
馬場添を宥めるように謝りの言葉を発しながら、真田を後部座席に押し込んだ。
「クソが」
と言いながら、外から強めに後部座席のドアを閉めた馬場添が、助手席に乗り込む。
「真田の家の住所、どこ?」
馬場添がくるりと振り向いた。
「A町1-1-1」
真田が答えた住所をナビに入力する倉田くん。
「急ごう。母親が帰っていなければ、小一の子どもがひとりぼっちだ」
『何分で着く?』と倉田くんに話し掛けながら、馬場添がナビを覗き込んだ。
「ナビは二十分の案内ですけど、この時間なので十五分で行けると思います」
馬場添に頷きながら答えた倉田くんが、アクセルを踏んで発車させた。
馬場添と倉田くんは、真田の離婚云々よりも子どもが心配らしい。
倉田くんの言う通り、真田の家には十五分で着いた。
チャイムを押すと、真田の嫁らしい女性が玄関を開けた。
「おかえりなさい。あ…主人の職場の方ですか?」
急な来客に真田の嫁が『冷蔵庫に何かお出し出来るもの、あったかな』と動揺しながら人数分のスリッパを並べた。
「あ、お気遣いなく。俺は真田の高校時代の同級生の貝谷です」
ペコっと頭を下げると、
「私は弁護士の馬場添と申します」
「私も弁護士の倉田と申します」
馬場添と倉田くんが続けて挨拶をしながら、倉田の嫁に名刺を差し出した。
「…弁護士さん。…そっか。やっぱり離婚したいよね」
名刺を受け取った真田の嫁が悲しそうな作り笑いをすると、『とりあえず、上がってください』と俺らを招き入れた。
リビングに通されると、そこには一生懸命にノートに何かを書いている女の子がいた。真田の義娘だろう。俺らに気が付いた女の子が、
「お父さん、おかえりなさい。みなさん、いらっしゃいませ」
可愛い笑顔を浮かべて礼儀正しく挨拶をすると、ノートを閉じて片づけ始めた。
「いいよ。続けてて」
倉田くんが笑顔を返すと、
「ありがとうございます」
と言って女の子がノートを広げ直した。
凄くいい子なのに。こんなに可愛いのに。それでも、血が繋がらない子どもと生活するのは、簡単ではないという事なのだろうかと、真田に対して寂しい気持ちになった。
「あの、仕事を辞めたくとも辞められないと伺いました。業務委託契約書を見せて頂けないでしょうか」
離婚の話をするかと思いきや、馬場添はキッチンで俺らの分のお茶を用意していた真田の嫁に、仕事の契約書を持ってきてほしいと言い出した。
「え? あ、お茶をお出ししたらお持ちしますね。お待ちください」
急いでお茶をトレ―に乗せ、リビングのテーブルに運ぶ真田の嫁。
「すみません。ありがとうございます」
お礼を口にしながら真田の嫁に頭を下げる馬場添。
馬場添は、何をしようとしているのだろう。真田の希望通り、この家庭を壊したいのだろうか。
真田の嫁が契約書を撮りにリビングを出て行くと倉田くんが、俺らの邪魔をしない様にか、部屋の隅っこでノートに何かを書き続けている真田の義娘に近付いた。
ノートを見た瞬間に『グスッ』と鼻を啜り出す倉田くん。
「風邪ですか? お薬飲みましたか?」
心配そうに倉田くんの顔を覗き込む真田の義娘。
「風邪じゃないよ。ただの鼻炎。大丈夫だよ。ありがとうね。凄いね。とっても上手に書けてるね」
倉田くんが真田の義娘の頭を撫でると、
「本当に? 嬉しい。ありがとうございます」
真田の義娘がニッコリと笑った。
そんな少しほっこりとした空間に、真田の嫁が契約書を持って戻ってきた。
真田の嫁から契約書を受け取った馬場添が、それに目を通す。
「…契約期間内解除の違約金が五十万」
「そうなんです。休みを取るのも儘ならなくて、一日十時間以上働いているので、手首を痛めてしまいまして…でも、業務委託なのでいくら働いても残業代は出ません。日給分しか貰えません。なのに五十万はとても払えません。仕方なく続けています」
真田の嫁が辛そうに手首を摩った。
「日給制? エステサロンで働いていらっしゃるんですよね? 機械とか器具はご自分で用意されました? 会社負担で用意されていませんか?」
馬場添の右眉がピクリと動いた。
「はい。日給一万二千円です。サロンで使用している機器は、全て会社が用意してくれました。私は何も負担していません」
真田の嫁の返事を聞いて、
「だったら違約金は支払う必要ないですよ。この契約書は無効。業務委託という名目で契約を締結しているけれど、企業とアナタの間には使用従属性がある。つまりアナタは、個人事業主ではなく、労働者」
『違約金の支払いを拒否した事で企業に何か言われたら、私に連絡ください。黙らせますから』と馬場添が真田の嫁に笑顔を向けた。
「…ん? どういう事? 使用従属性のある労働者だと、なんで違約金がいらないの?」
しかし、馬場添の話が難しくて全く飲み込めない。俺の隣に座っている真田に至っては、分からな過ぎて眠たくなったのが、瞼を閉じようとしている始末。
「労働者というのはつまり、企業に雇われている身の人間を言います。そうなるとそれは業務委託契約ではなく雇用契約になるんです。個人事業主か労働者であるかは使用従属性の存否を持って判断されます。その使用従属性とは、ざっくり言うと『使用されて賃金を支払われている』かどうかということです。使用従属性の判断基準は色々あるのですが、先ほど奥様が仰った、『日給制であること』『仕事上使用する機械が会社負担である』事は充分な判断要素と成りえます。
雇用契約である事が認められれば、労働基準法が適用になりますので、期間内に退職されたとしても違約金は発生しません」
すかさず倉田くんが補足。とても分かり易い。
「…つかさぁ、なんで企業側は初めから雇用契約にしなかったんだろ」
倉田くんの説明に納得した上で、更なる疑問が湧き出る。
「汚い言い方をすると、労働基準法をすり抜けられるから。有給を付けなくてもいい。残業代も払わなくていい。怪我をしたところで労災を下ろす必要もない。とかね。その代わり、業務の進め方とか、どこでいつ行うのかとかを口出しせずに個人事業主に委ねる必要があるのが業務委託。自由性が高いはずの業務委託なのに、名ばかりだったが為に真田の奥様はギッチギチに管理されていたってわけ」
『よくあるのよね、この手のトラブル』と馬場添がお茶を啜った。
「…あの、今日は私にアドバイスをくださる為にいらっしゃったのですか?」
真田の嫁が困惑気味に馬場添の顔を見つめた。
「…あの、みなさんこっちに来てくれませんか?」
馬場添が答える前に、倉田くんが俺らを真田の義娘の方へ呼んだ。
真田の義娘がその小さい手でぎゅうっと鉛筆を握り締め、ノートいっぱいに書いていたものは『真田』という文字だった。
「新しい苗字、漢字で書けるようになりました。お父さんの名前は難しくてまだ書けないけど、練習して書ける様になりたいです」
嬉しそうにせっせと文字を書く真田の義娘に、
「お父さんの事、好き?」
涙目になった倉田くんが尋ねる。
「まだあんまり喋った事がないから良く分かりません。でも、一緒にいっぱい遊んでもっともっと仲良くなりたいです」
真田の義娘が無邪気に笑った。その笑顔に、ぼろ泣きの真田。
「ねぇ真田。私ならどうにでも出来るわよ。適当にそれらしい理由こじつけて、真田の思い通りに出来るわよ。真田はどうしたい?」
馬場添が、真田に暗に『離婚したいかどうか』を問い質す。
「…この子に好かれる父親になりたい」
真田が義娘を抱きしめて号泣した。
「そう。だったらもう、私に用はないわよね。帰るわ」
『お茶、ありがとうございました。お邪魔しました』と真田の嫁にお礼を言うと、『お暇するよ』と馬場添が倉田くんと俺を呼んだ。
三人で玄関に向かっていると、
「また来てねー」
と言いながら真田の義娘が走って追いかけて来た。
「お父さんに何か嫌な事をされたら、いつでも私に連絡してね。電話番号は、お母さんが知っているから。私はね、悪党を懲らしめるのがとても得意なの」
靴に足を通し、真田の義娘の視線の高さまでしゃがみこんだ馬場添が、『よしよし』と真田の義娘の頭を撫でた。
「こわー」
その様子を見ていた真田が引き攣りながら笑う。
「じゃあな」
真田たちに手を振って玄関を出て行こうとした時、
「あ、忘れてた」
馬場添が急に振り返った。
「結婚おめでとう。真田」
「あ…ありがとう。諸々ありがとうな、馬場添。倉田さんも貝谷も、今日は本当にありがとう」
思いがけない馬場添の祝福に、真田が全開の笑顔を見せた。
今まで結婚にそんなに興味が無かったが、真田を見ていたら物凄く羨ましくなった。
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