第4話 過去——[暗]Ⅱ


 スマートフォンからメールの着信音が聞こえる。


 またかよ。


 康介はパソコンの前で顔をしかめると、スマートフォンを操作して玲香からのメールを表示させる。



 玲香だよ♪

 2018年8月05日 21:46 

 ――――――――――――――――――――


 お風呂でも入ってるのかな。

 それとも大音量でテレビ中っ!? 

 えーん、さっきからメールしてるのに

 まだ返ってこないよー。

 早く返信してね。

 あんまり遅いと玲香怒っちゃうぞっ。

 

 ところで、前のメールにも書いたけど、

 なんか最近康介の元気がないような?? 

 もし何か心配事や悩み事があるなら何でも相談してね。

 康介のためなら私が力になります!!


 あ、そういえば康介の『ファイナルブルー・ヒストリア』

 ポイント増えてたねっ。

 自分のことのように嬉しいよー。

 いつかポイントが2000いったら

 康介の家で盛大にパーティーしようね♪

 大きなケーキも買っていくぞー。

(そういえば一度行ったけど、

 結局部屋には入れてくれなかったね泣) 

 

 え? 2000とか無理だって? 

 大丈夫、康介ならできますっ。

 だって私がついているんだから←意味不明(笑)


 ……康介の声が早く聞きたいよ。

 寝る前の電話の時間まで待てないよー。

 でも待ちます、そういう約束だもんね。

 でもメールの返信が遅かったらかけちゃうぞっ。


 愛してるよ、康介。

 ずっとずっと一緒だよ♡♡♡


 ――――――――――――――――――――



 康介は読み終えるとスマートフォンをベッドに投げる。スマ―トフォンはベッドで撥ねると床へ落下して灰皿の中へと入った。


「あーくっそ。全部あいつのせいだよっ」


 かん立つ康介は、スマートフォンに付いた灰を落としながら今後のことを考える。今後とは当然玲香との関係のことであり、つまり、あれほど好きだった玲香も今となっては鬱陶しい重い女でしかなかった。

 

 必要以上に愛を要求する――。それが玲香の本質だった。

 

 外にいるときにはずっと手を繋いでくるのは当たり前。

 人気のないところに行けばキスをねだってくるのも当たり前。

 一時間に四回は、私のことを愛しているか聞いてくるのも当たり前。

 セックスのときは自分が満足するまで終わらせないのも当たり前。

 アフターケアに、頭を撫でながらのフレンチキスを求めてくるのも当たり前。

 帰り際に人目もあるのに抱擁を求めてくるのも当たり前。

 帰ったら、今日楽しかったことや康介への愛を連ねた文章をメールで送ってくるのも当たり前。

 そのメールに十分以内に返信しないとまた新たなメールを送信してくるのも当たり前。

 

 それら一連の行為を、可愛い奴だと受け入れることができたのも最初の二週間だけだ。康介はその二週間を境に、玲香への気持ちが徐々に冷めていくのを日々実感していた。

 

 人によっては耐えられるのかもしれないが、今まで女性とはお互いあまり干渉しないドライな関係でやってきた康介には、その“へばりつくような愛”は苦痛だった。そして今日、初めて玲香のことを“あいつ”と言った。以外なほどに罪悪感がない。むしろスッキリした。


 電話も無視してやろう。


 康介はスマートフォンの電源を落とす。毎回一時間以上の罰ゲームめいた電話トークがなくなったと思うと、康介は急に気が楽になった。康介は『ファイナルブルー・ヒストリア』を書くためにWordワードを開く。何だが気分がいい。今日はいつも以上に執筆が進みそうだ。



 ◇



 目が覚めて時計を見ると十四時を回っていた。昨日に続き今日もバイトは休みということで、夜更かした結果なのだが、祝日でもない月曜日の十四時に起きるというのは、正に底辺フリーターここにありといった感じだ。


 小便から始まる朝のやるべきことを済ますと、康介はイスに座りパソコンに向き合う。そして『モジノラクエン』を開くとエルリックのページへと移行する。昨日、Wordワードで書いた第二十五話をコピー&ペーストして、下書き状態として保存しておくためだ。


 ――え?


 康介は前のめりになって吃驚きっきょうした。

 エルリックのページに行き『ラクエンノート』を確認すると、最新の記事のところに五十七件ものコメントがあったのだ。昨日までは四件だったのが五十七件。一体何が起きたのだろうかと慌ててクリックする。そして新しいコメントまでスクロールさせた。



 ――――――――――――――――――――


 花音

 2018年8月6日   

 4:22

【削除】

  

 怒られると思ったけど、こっちに書くね。もし『モジノラクエン』見てるなら気づいてくれるかなって思って。

 何でメールも返してくれないし、電話にもでてくれないの!? 

 何で何で何でっ?? 

 私、何かした? 最近元気がないって書いたけど、もしかしてそれって私のせい? そうなの? だとしたら私何したんだろ? 分からないよ、康介。私のせいだったらそれを教えてほしいよ。謝るし、直すべきところがあれば直しますっ!!

 

 嫌われたのかなって思うと凄い不安で寝れないです。

 死にそうなくらいに不安なんだよ?

 胸が苦しいよ。話がしたいよ。

 康介の声が聞きたいよ。

 お願いします。

 おねがい


 愛してるよ、康介


 ―――――――――――――――――――――



 唖然。そしてそれはすぐに憤りに変わる。煮えたぎるような瞋恚しんいの感情を抱きながら、康介は更にコメントをスクロールさせると、今度はそこに羞恥しゅうちの情が加わった。


 


 二人の関係を冷やかす声。玲香を励ます声。康介を責める声。不適切な記載だとたしなめる声。不愉快だからほかでやってくれと怒る声、色んな声、声、声、声。そこにはオフ会で会った三人もいて、その文章を読む限り嫌悪すら抱いているのだろう、康介と玲香に侮蔑の視線を向ける三人の姿がありありと想像できた。


 コンクリートジャングルのど真ん中で丸裸にされたような気分だ。大勢の好奇の視線が康介へと向かい、だからといって逃げも隠れもできない最悪の状況。声を発することさえできやしない。発すれば火に油を注ぐようなものだ。更にコメントが殺到して、康介は『モジノラクエン』で悪目立ちする有名人となるだろう。


 最悪だ。


 康介はスマートフォンを取り電源を入れると、玲香に掛ける。おそらく洪水のように溢れ出る感情をぶちまけることになるが、一向に構わなかった。


 コール二回で玲香は出た。


「康介ッ? 昨日はなんで――」


「お前何やってんだよっ。『ラクエンノート』に俺達のこと書き込むとかおかしいんじゃないのか!? 俺が電話にでないから嫌がらせか? 名前まで出しやがってさっ。本当、信じられねえよ、お前」


 息を飲んだような玲香の反応。周囲の雑音の中で電車のアナウンスが聞こえているが、駅のホームにでもいるのだろう。そういえば玲香のことを“お前”と呼ぶのも初めてだった。そんなことは最早どうでもいいが。


「ご、ごめんなさい。それは本当に反省してる。でもあのときは不安で不安でしょうがなくてっ。なんでだろう、どうしてだろう、私やっぱり何かしたのかなって悩んでいるうちに、居ても立ってもいられなくなって……本当にごめんなさい。でも分かってほしい。あんな愚かな行いをしたのも全部、康介のことが好きだからだよ。これからもずっとずっと大好きだからね」


「あぁもう、それが重いんだよっ。何でメールも無視して電話も出なかったって? その重さが原因だよっ。はっきり言わせてもらうけどさ、俺達恋愛相性最悪だから。俺は、お前みたいな男にべったりっていう女は駄目なんだよ。だから今言わせてもらうけど、今日限りで――」


「ちょっと待ってっ! 何を言う気なの!? 聞きたくない、聞きたくないよッ」


 玲香の金切声が苛立ちを助長する。


「聞くんだよっ、ちゃんと! 今日限りで俺達はもう終わり。だから俺はお前と別れるっ」


「いやだ、いやだ、いやだ、そんなのいやだよ。私なんでもするからっ。だから別れるなんて言わないでっ! お願い、康介ッ!!」


「うるせぇなっ。……なあ、今なんでもするって言ったよな? だったら。別れたくないなら死んでみろよっ!」


 我ながら理不尽でひどいことを言う男だと思った。他人が聞けばこいつは屑だと不快感を露わにするだろう。でもそれほどまでに、康介は玲香への気持ちが冷め切っていたのだ。玲香の声が聞こえない。ショックで発声できないのかもしれない。と思った矢先、彼女の呟くような小さな声が聞こえてきた。


「……大好き。康介のこと大好き。だから私――死ぬね」


 そこで電話が切れた。

 康介はスマートフォンの画面を見る。


 まさかな。


 こうして康介と玲香の約二か月に渡る交際は終わった。



 ◇



 その日の午後、康介はJR山手線が人身事故で一時運転見合わせになったというニュースを見た。それ以来、玲香からの連絡はなかった。

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