第3話 過去――[暗]Ⅰ


「ん……はっ……んっ……あ、あぁ――ッ」


 耳をくすぐる玲香の喘ぎ声を聞きながら、康介はその彼女の中でペニスの抜き差しを繰り返す。そして柔らかな乳房を揉みしだき、脇から首筋にかけて舌を這わせたそのとき、絶頂がやってくる。


「くっ、うぅ、玲香っ、一緒に――……ッ」


 

 ピロピンピンピンッ、ピロピンピピピン――♪



 スマートフォンのアラームが、康介をレム睡眠から解き放つ。康介は乱暴にその画面をタッチすると、白濁とした視界が鮮明になるまでベッドで横になっていた。


 夢か――。


 まるで前日からずっとセックスしているかのようなリアルさだ。いや前日にあれだけの回数をこなしたからこそ夢にまで出てきたのだろう。しかしタイミングの悪いところで起こされたものだ。勃起ぼっきして充血した下腹部はすでに発射準備完了という感じであり、取り敢えずこいつをどうにかしないと一日を始められそうにない。


 上半身を上げた康介はティッシュを手繰り寄せ、玲香との性行為を思い出す。そして最高のシーンで処理を終えると、タバコに火を付けてまた横になった。


 頭に浮かべるのは昨日のこと。無我夢中でお互いの体をむさぼりあったラブホテルでの情事。未だに信じられないがあれは本当にあったことなのだ。そして四度の行為を終えたあと、花音――玲香は康介にこう言った。



〈あの……私と付き合ってくれませんか? 康介君のこと好き、大好きだから〉


 

 康介はそれを聞いたとき、つい笑ってしまった。あれだけ愛し合ったのに、まだ付き合ってもいないことを思い出したからだ。答えはもちろんOK。でもこれだけは聞かねばと康介は質問した。何故、俺のことが好きなのかと。


 一目惚れならそれでいい。康介自身が一目惚れしているのだから、その心理の説明を求めるのは無粋というものだ。ただそれ以外なら、なんらかの理由があって康介を好きになっているわけで、それを知りたかったのだ。

 

 玲香はバスタオルを羽織ると、おもむろに口を開いた。



 エルリック――康介君の小説がとても素敵だったんです。初めて読んだとき、その洗練された世界観、個性的な登場人物に魅入られて、そして話が進むごとにどんどんどんどんのめり込んでいって……。ああ、こんな素敵な物語を紡ぐことができる人ってどんな人なんだろうと、ずっと思っていて……。

 

 ここだけの話、『ラクエンノート』でやり取りしていたときから恋をしてました。文面から想像するだけの、私の白馬の王子様に。だからオフ会をやるなんて話が出たときは飛び上がって喜びました。そしていざ会ってみたら、驚くくらいに私が想像していた通り、ううん、それ以上の人で……だからすぐに好きになっちゃいました。

 

 小説も素敵だけど、康介君ももっと素敵です。ありがとう、私なんかと付き合ってくれて……。

 


 素敵、か――。

 

 康介は部屋を見渡す。タバコのヤニで黄ばんだ壁紙。脱いだままほったらかしの服や下着。ごみ箱から溢れかえっているコンビニ弁当の容器。雑多に積まれたアダルト関係の雑誌やDVD。歩けば全てが軋むフローリング。そんなあばら屋で、トランクス一丁で寝転んでタバコをふかしている、底辺のフリーター。白馬の王子様の実態が、これだと知ったとき玲香はどう思うのだろうか。


 はんっ、これじゃ絶対部屋には呼べないな。


 康介は落ちぶれている己をせせら笑うと、ホテル代込みのデート費用を稼ぐために、パチンコ店の勤務日数を増やすことを決意した。全ては玲香とのため。最高の女を隣に置いておくため。絶対にこの奇跡を手放してはならないのだ。



 ◇



「あ、康介、こっちだよ」


 約束の場所である埼玉新都心駅東口駅から出ると、柱のところから満面の笑みでこちらに手を振って来る玲香がいた。待ち合わせ時間の十五分前ということもあり待つ側に回ると思っていたのだが、彼女のほうが早く着いていたらしい。康介は手を振り返しながら玲香の元へと駆け寄った。


「やけに早いな。いつから待ってたの?」


「三十分くらい前かな。家にいても暇だから早く来ちゃった」


「そっか。待たせちゃったみたいでごめんな」


「謝んなくてもいいよー、だって待ち合わせ時間まだなんだし。行こっ、康介」


 フェミニン系のファッションで女子力の高さが際立つ玲香が、自分の腕を康介の腕に絡めてくる。唐突な行動に若干戸惑ったがそれは願ってもみない密着具合だ。周囲に立つ男数人がこちらに向けていた視線を逸らしたが、そこに羨ましげな念が込められていたことを康介は見逃さなかった。


 康介は誇らしげに胸を張ると、玲香と共に駅を出る。ところで玲香は康介のことを『康介』と呼んでいた。恋人関係になったこともあり『君』を取ったのだろう。


 康介と玲香は恋人関係——。その事実は何度認識しても気持ちを高揚させる。玲香が今まで付き合ってきた女性とは一線を画するハイスペックな女ということもあって、それは尚更だった。ふと、鼻腔を刺激する甘い香り。それは先日、裸身で求め合ったときにも漂ってきた魅惑のフレーグランス。康介の下半身が早くも反応を始めた。



 ◇



 予定通り『MOVIXさいたま』で映画を鑑賞し、そのままコクーンシティ内で時間を潰してレストラン街へ。終始、機嫌のいい玲香は、食事中もずっと笑みを絶やさずに康介との会話に専念していた。その様を見る限り、恋は盲目というか康介しか見えていないという感じだ。自分に向けられるどこまでも一途な気持ち。康介はそのお礼にとばかりに、その後のホテルでの愛し合いで玲香を何度も悦ばせた。


「え? いいのかよ、本当に」


「うん」


 康介は財布を取り出したところで手を止めた。玲香がホテル代を出してくれるというのだ。正直、余裕のない康介にその申し出は嬉しいの一言だが、年上男性という立場が邪魔をする。しかし半ば強引に支払いを済ませてしまった玲香もあってか、康介はその好意に甘んじることにした。


「悪いな、なんか。でも年下の彼女にホテル代出させるとかちょっとダサいな、俺」


「えー、そんなことないよ。それと気にしてなくていいよ。私、けっこう稼いでいるから。毎回払っても大丈夫。その代わり……」


 ラブホテルから少し離れたところで玲香が歩みを止める。絡めた腕はそのままに彼女は康介を潤んだ瞳で見上げると、康介が何度も重ね合わせては愛撫した薄紅色の唇を開いた。


「これからも、ずっとずっと私のことを大好きでいてほしい」


 そんな当たり前のことでいいのか——。何を要求されるのだろうかと構えていた康介は、僅かの安堵感ののち玲香を抱き寄せた。


「ああ、これからもずっと大好きだよ」


 その気持ちに嘘偽りはない。


 しかしそんな玲香への気持ちは、付き合い初めて二か月も経つと

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