第5話 現在――[闇]
「俺のせいじゃない……俺のせいじゃないんだ。あれは――俺のせいじゃないっ」
何度目かの康介を苛む罪の意識。それは心をえぐるほどに苦しい。いっそのこと実は死んでいなかった玲香から連絡でもくれば、この苦しみから解放されるのだろうが、それがあり得ないことは分かっていた。
そう、玲香は死んだのだ。
ニュースを聞いたあの日から数日間、罪の意識から逃れるために新聞もテレビも避けていた。だから玲香が死んだとの情報は入ってきていない。だがメールも来なければ電話もない、そして何より、本人が電話越しに“死ぬね”と言ったことを考えれば、それしかないのだ。人身事故を起こしたのは玲香なのだ。
そしてそれは康介のせいではない。死ねと言われて本当に死ぬなど考えもしないからだ。死ぬほうが愚かであり罪悪感を覚える必要はないのだ。ならばなぜ、その過去に悩まされなければならないのだろうか。
「くそ」
康介は人気のない公園のベンチから立ち上がると、イチゴ大福の包み紙を背後の茂みに放り投げる。それにしても今日は最悪だった。金輪際、夜中にあのコンビニに行くのは止したほうがいいだろう。毎回あのレジの女性の顔を見て玲香を思い出していたら、精神がもちそうにない。
公園から出た康介は、今度こそ足をアパートに向けた。
時刻も二十二時を超えると、アパート周辺は密度の濃い静けさが充満し真っ暗だ。それはアパートの裏が林になっているからだろう。悪寒ともいえる寒さをたびたび感じるが、夜中の林の暗闇を見れば誰もがそう感じるかもしれない。礼金がないというだけで決めてしまっていたが、もう少し熟慮するべきだったのだろう。
部屋に入ると、康介は一直線にパソコンに向かう。腹は減っていたが、『ラクエンノート』のヘビーユーザー、且つ作者として作品を公開しているならば、まずすべきことはB!ポイントのチェックだろう。上がり調子の今なら尚更だ。
Enterキーを押すと、スリープ状態で真っ黒のモニターにエルリックのページが出る。
――ん?
出るには出たのだが、ノイズが発生していて鮮明な画像には程遠い。そのノイズは赤と黒のミミズが這うような異様ものだった。鳥肌の立つ康介。と同時にパソコンが壊れたのかと大いに焦ったが、さてどうしようかと考えた矢先にノイズは消えた。単にモニターが不調なだけなのかもしれない。いずれインチアップも兼ねて買い換えたほうがよさそうだ。
そしてようやくB!ポイントのチェック。大きく深呼吸をしたのち『ファイナルブルー・ヒストリア』をクリック。
「はっ? いや、うそだろ!?」
康介は思わず仰け反って声を上げた。それは、康介でなくとも誰もが同じような反応を示すだろう。なぜなら、コンビニに行って帰ってきただけでB!ポイントが898も増えていたのだから。
喜びなどは一切なく、うす気味悪いものしか感じないB!ポイントの異常な増え方。
どうしたっておかしいだろ……。
B!ポイントを投じてくれたのは、相変わらずユーザーIDをそのままペンネームとして使っている読専の読者。いつもはその読者の登録日などいちいち見ないのだが、今回はさすがにある疑念が過り、康介は一人づつその登録日を見ていった。そして全員見たところで確信した。“登録日が全て今日”であることから、これは全部誰かの複アカだと。
しかも四十分以内に康介の『ファイナルブルー・ヒストリア』だけにポイントを投じていることから、嫌がらせの可能性が非常に高い。人気作品に対する嫉妬から生まれる歪んだ自尊心の保ち方。このB!ポイントを投じた奴は、康介に複アカ疑惑の汚名を着させて運営からのサービス停止を目論んでいるのだろう。そしてそれは、おそらく作品を読まれない日陰の作者。
つまんねぇ小説を書くゴミくずが、ふざけやがって。
誰とも分からない底辺の作者に憤りを覚えながら、康介は一旦、エルリックのページへと戻る。そこに特に意味はない。だがその行為は康介に『ラクエンノート』を意識させた。
“例の過去”の発端となった『ラクエンノート』はあれっきり使用していなかった。しかし今日、久しぶりに『ラクエンノート』に記事を書いた。読者に感謝の気持ちを伝えることは大事というのがその理由だ。だが康介がよしとするのはそこまでであり、コメントを受け取ってそこから相手との交流にまで発展させたくなかった。どうしても“例の過去”が過ってしまうのだ。だからこそ康介はため息を吐いた。
一件のコメントがきていた。
『ラクエンノート』コメントを“許可しない”にすることを忘れた自分が悪い。無視するわけにはいかないと、康介は記事をクリックしてそのコメントを見た。
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花音
2018年11月6日
22:01
【削除】
にせぇぽいぃんとぉめぇとぅ
ぃくね
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硬直する全身。
こんなことはありえない。死んだ玲香がコメントなど書けるわけがない。でもこれはまぎれもなく玲香からのコメントだ。
息が苦しい。
吹き出る汗が不愉快だ。
なんでこんなに汗が出るんだ?
玲香のパソコンを使って、別の誰かがコメントを書いたのか? そのほうが断然しっくりくる。しかしそうではないと、言いようのない何かが康介にそう確信させた。これは玲香。玲香が書いたのだ。
にせぇぽいぃんとぉめぇとぅ
ぃくね
2000ポイントおめでとう
行くね
やっぱりそうとしか読めない。
刹那。背中に、毛虫が這いずり回るような怖気が走る。
ガチャリ……。
背後で音がした。それは扉を開ける音。でも振り向くことができない。体は固まったままで顔すら動かない。唯一眼球だけが動くが左右の壁しか見えない。
ベチャ……ズル……ベチャ……ズル……。
家に侵入した誰かが近づいてくる。一歩足を出し、そして何かを引きずり、一歩足を出して、また何かを引きずる音。足が濡れているのか、歩くたびにぬかるみを踏んだような音もする。
鍵、閉め忘れたのか?
だからって勝手に入ってくるか?
息が苦しい。水が飲みたい。それと腹も減った。
わずかな異臭が鼻をつく。嗅いだことのない刺激臭。多分、もしかしたらそれは死臭というやつなのかもしれない。
ベチャ、ギイィ……ズル……ベチャ、ギイィ……ズル……。
何かを引きずる音とぬかるみを踏んだような不快な音。そこに、侵入者がキッチンスペースから部屋に入ってきたのか、フローリングが軋む音が混じり合う。その途端、刺激臭が一気に部屋の中に充満して吐き気が喉元を通り過ぎた。
「うおえぇぇっ」
勢いよく吐き出される
ベチャ、ギイィ……ズル……ベチャ、ギイィ……ズル………………………………。
止まった。
康介の後ろにそれはいる。何も言わない。ただ真後ろに立っていた。とてつもない異臭を放ちながら。
振り向きたくはない。
振り向いては駄目だ。
でも振り向かないと駄目なような気がする。
だからといって振り向いたら、もっと駄目なような気がする。
――何が駄目なんだ?
ただ振り向くだけだ。振り向いてそれを確認するだけだ。
――何が駄目なんだ?
――何がだめなんだ?
――なにがだめなんだ?
――ナニがだめなんだ?
――ナニがダメなんだ?
――ナニガダメナンダ?
――何も駄目じゃない――。
思いのほか、簡単に体は動いた。康介はそいつを鼻を突き合わせる距離で見た。
「いちごけぇきで、よかった?」
そこには、やっぱり玲香が立っていた。
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