第二章

千宮せんぐう 玻璃はり、ね……」

 帝都の郊外、司令本部だという住所を車夫しゃふに伝え、人力車に揺られながら知る限りの知識を反芻はんすうする。

 千宮は古く平安から続く、皇族に従事する退魔の名家だ。当然のごとく現在は華族であり、政界や財界に大きな影響力を持つ。

 とはいえ家柄だけではない。『千宮 玻璃』の名も非常に大きな意味を持っている。『千宮の麒麟児きりんじ』の異名を持ち、安倍晴明あべのせいめいの再来とも言われる千年に一度の天才。二十六歳にして手に入れた少将の階級は『千宮』の後ろ盾よりも彼自身の力に因るところが大きいという。

 しかも、噂によれば流麗りゅうれいで中性的な美貌びぼうの持ち主だとか。文武両道ぶんぶりょうどう眉目秀麗びもくしゅうれい。どうやら天は彼に二物も三物も与えたらしい。

 ――『玻璃』と『瑠璃るり』。この一致は果たして偶然なのだろうか。

 (まあ、相手方のうじを覚えてない俺が悪いんだがなあ……)

 と半ば後悔をしてみるものの、高々七つの子供に親の関係者を覚えろというのはこくだろう。

 物思いにふけっていれば、いつの間にか目的地に着いていたようで、車夫に声をかけられる。

 運賃を払い降りると、眼前に瀟洒しょうしゃな洋館が現れた。

「ここで合ってる、んだよな……」

 橙介とうすけが思わず独りごちたのも無理はない。

 白い漆喰しっくいの壁に屋根は緑青ろくしょうのスレートき、色ガラスのめ込まれた窓。確かに立派な建物ではあったが、それは軍事組織というよりも華族の邸宅といったほうが相応ふさわしい外観だった。

 躊躇ためらいつつ、恐る恐る重厚な扉を叩けば数秒の間が開いた後、女中頭じょちゅうがしららしき温和そうな老女が顔を出す。

 軍装から察したのだろう、橙介が口を開く前ににっこりと笑い

「柊 橙介様ですね。玻璃様がお待ちかねです」と橙介を中に通した。

 相馬そうまと名乗った老女に先導され屋敷の中を進んでいくが、使用人らしき人間はおろか、総司令部と名がついているにも拘らず、軍装の人間が一人も見当たらない。屋敷の廊下に響くのは二人分の足音のみだ。

 その静けさに半ば疑問を抱くが、相馬が立ち止まったことで思考を中断する。

 相馬が扉の向こうに「玻璃様、柊様がいらっしゃいました」と声をかけると「通せ」と言が返ってくる。

 一歩下がった彼女に促された、一つ深呼吸をして扉を四つ叩く。

「失礼致します、少将閣下」

 言って扉を押した先には、一人の男が立っていた。

 年の頃は橙介と同じ位か。腰まで届く蒼黒そうこくの長髪を結わずに後ろへと流し、感情の読めない黒曜こくようの左目。右目には包帯を巻いている。身の丈は目測で五尺五寸166cm程。六尺182cmと大柄な橙介からすれば自然と見下ろしてしまうが、平均的な成人男性よりは長身であると言えるだろう。

 負傷かはたまた先天のものか、顔の半分を覆う包帯が目立つが、噂にたがわぬ美貌の持ち主だ。

 不躾にならない程度に相手を観察していると、橙介の姿を捉えた隻眼せきがんがふらりと揺れるのが目に入った。夜風に揺らぐ海面のようなそれは驚愕きょうがくのようにも喜悦きえつのようにも見えたが、一つ瞬きをすればその感情も消え、どうにも特定はできない。

「……陰陽省管轄、大日本帝國霊的防衛総司令部総司令、千宮 玻璃だ。

 状況把握も無粋だろう。率直に訊くが、どうする?」

 男性にしては高すぎるが、女性にしては低い。それこそ名のように、玻璃を思わせる英明えいめいな声だった。暗に異動の是非を意味するそれに答えず、橙介は口を開く。

「先日の通達に返答する前に、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」

 拒否を想定していたのだろうか、橙介の言葉は予想外だったと見え、どこか幼い仕草で玻璃は小さく首を傾げる。

「構わん、軍規ぐんきに違反しない程度ならなんでも答えてやる。

 ……ああ、あと敬語も要らんぞ、どうせ私とお前しか居ないのだから上下も何も無いだろう」

 なら、と仕事用の慣れない敬語を取り払い、いささか緊張した面持ちで千宮に問う。

「あんた、瑠璃って名前の姉妹がいねえか」

「――――っ!?」

 瞬間、予想だにしなかった問いに玻璃は息を詰め瞠目どうもくした。

 しば逡巡しゅんじゅんし、絞り出すように答える。

「瑠璃……千宮 瑠璃は、私の双子の妹だ。いや、、と言うべきか」

「……どういう、ことだよ」

「……死んだ。十四年前、十二歳の時に病で」

「なっ……?」

 今度は橙介が瞠目する番だった。

 瑠璃が死んだ、などすぐに受け入れられる話ではない。信じられないがしかし実兄の言うことだ。事実なのだろう。

「……そうか。無礼は詫びる。思い出したくない事を聞いて悪かった」

 橙介とて弟妹ていまいを持つ身だ。血を分けた兄弟を喪うなど、想像であろうと恐ろしくてたまらない。

 ましてやそれを実際に味わうなど……。

「私も、一ついいか」

 重い空気の中問われたそれにこくりと頷く。

「……なぜ、名が違う?」

「は?」

 頓狂とんきょうな声を上げる橙介を見て、玻璃は溜息を吐いて続ける。

柊城ひいらぎ 橙介。

 こうの中で『ひいらかげおに』と言えば少しは名が知れている。

 柊城 こう一郎いちろう殿の嫡子ちゃくし、次代の当主であるお前が、なぜ分家ぶんけの名を名乗っている?」

 流石は皇華筆頭千宮、何もかもお見通しかと橙介はうめく。

「……弟妹が居るんだよ。兄が咎憑とがつきなんざ、嫁や入り婿の貰い手に困るだろうが」

 咎憑は読んで字のごとく『咎が憑いた』人間だ。

 悪性の怪異に遭遇し、命を失いかけ、何らかの代償を支払う事で半神や半魔などの比較的人間に好意的な怪異をその身に宿した科学の埒外らちがい。人の身では至る事のできない魔道鬼道まどうきどうを操るが故に、皇華五家を中心に陰陽道おんみょうどうを生業とする家系の間では重宝される才だ。

 しかし、一般的な認識はそれこそ狐憑きつねつきに近い。

 ちみ魍魎もうりょう宿主しゅくしゅ、家に災厄をもたらす者。

 いくら華族たる柊城でも血縁に咎憑がいると知れれば良い縁談は望めないだろう。だから弟妹が結婚するまでは本家から離れているのだと暗に言えば、玻璃は納得した様子で頷く。

「なるほど。紅一郎殿には一度お逢いした事があるが、子を排斥はいせきするような御仁ごじんには見えなかったのでな。これで得心とくしんが行った」

 そう言う玻璃に、橙介は首を捻る。

 父親に逢った事があるならば、十中八九橙介とも知り合っている筈なのだが。

「……? まあ、いいや。とりあえず異動の拝命承りました。よろしく頼みますよ、少将閣下」

 わざと慇懃無礼いんぎんぶれいに腰を折ってみせれば、玻璃はくつくつと笑う。

「断る気で来ていただろう。瑠璃いもうとの話を聞いて同情心でも湧いたか?」

 皮肉気な口調がどこか演技じみた道化のようで、橙介は思わずといったように吹き出す。

「いんや? あんたに興味が湧いただけだ。

 瑠璃の兄でも、千宮の当主でもない。今俺の目の前にいるにな」

 そういって扉に手をかけもう一度振り返る。

「ああ、そうだ。

 ……俺を引き抜いたのは咎憑だからか?」

 優秀な化け物だからかと、その意味を含ませれば、玻璃は首を横に振る。

「まさか。令状にも書いた通り私的な理由だ。

 強いて言えば、影鬼でも柊城の嫡男でもない、に興味があった、と言ったところか」

 なるほど、と橙介は口角を上げる。

「ますます気に入ったよ、千宮 玻璃」

「光栄だ、柊 橙介。知っての通り特殊な部署だ。

 したる雑務も無いから呼び出したときにだけ来ればいい。

 ――期待しているぞ」

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