第12話 ドライブ1

 結局、編集者の人に何も聞けないまま帰宅した。帰ってからまだ夕飯の買い物をしていなかった事に気づく。


 カラオケの後、買い物をして帰ろうと思っていたのに、編集者たちの話が気になってすっかり忘れていた。


 買い物に行かないと。


 ママチャリの鍵を持って玄関ホールに出ると、バタバタと階段を降りてくる足音がした。


「ガリ子、つき合え」

 望月先生が現れた。


「先生、お帰りになっていたんですか」

「時間がない。とにかく来い」

 先生の手がいきなり私の腕を掴んだ。

 先生はいつも急すぎる。カラオケの次は何?


「急げ、もたもたするな」

 先生が私の腕を掴んだまま玄関ドアに向かった。


「どこに行くんですか?」

「お前免許持ってるよな?」

 先生が急に立ち止まって、こっちに視線を向けた。

 不意に黒目の大きい瞳とかち合って心臓が跳ね上がった。至近距離で見るイケメンはやっぱり目に毒だ。こんな何でもない事でドキドキしてしまう。


「どうなんだ?」

 黙ったままでいると、急かすように聞かれた。


「免許って、車のですか?」

「そうだ」

「あ、ありますけど」

「じゃあ、取って来い。今から川崎まで運転してもらう」

「川崎ですか?」

「ああ。川崎だ」

 ガレージに行くとセダン型の黒いメルセデスベンツが正面から私を見つめている。おそらくSクラスで1000万円ぐらいするヤツだ。純ちゃんがよく見ていた車サイトに載っていた。


「まさか川崎までベンツを運転しろと?」

 先生を見ると、当然のように頷いた。


 勘弁してほしい。こんな高級車運転できる訳がない。

 ああ、胃が痛い。緊張で胃が痛くなってくる。

 

「先生、いくらなんでも無理です。先生の車なんだから、先生が運転すればいいでしょう?」

「今は運転できない」

「どうして?」

「さっきカラオケで酒を飲んだ。ガリ子も見てただろう?」

 言われてみればビールと何かのカクテルを先生が飲んでいた気がする。


「飲酒運転する訳にはいかないだろう」

「それで私に運転させる訳ですか」

「ガリ子はオレンジジュースしか飲んでいなかったからな」

「私が何を飲んでいたのかチェックしてたんですか」

「とにかく、急げ」

 先生が車のキーをこっちに投げた。反射的に受け取ってしまった。


「早くしろ」

 助手席に乗り込んだ先生が私を睨む。

 無理だと言っているのに。ホント、全然、人の話を聞かない人だな。


「ぶつけますよ。いいんですか?」

「修理代は要求しない。とにかく5時までに着いてくれ」

 今は4時半。

 先生は何だか急いでいるみたいだ。


 仕方ない。これもアシスタントの仕事だ。ぶつけてもいいって言うならいいか。ええーい、もうどうにでもなれと、運転席に乗り込んだ。

 エンジンを起動させるとカーナビ―が作動し、先生が目的地を素早くセットした。


「さっさと出ろ」

「は、はい」

 震える手で重厚感あるハンドルを握り、恐る恐るブレーキを外してギアをドライブに入れた。ギアがマニュアルじゃなくて良かった。マニュアル操作なんて教習所で習ったきり運転した事はない。


 恐る恐るアクセルを踏み込むと車が当然のように前進し、ガレージから出た。思わず「おおっ」と声が出た。


「ペーパーか?」

 先生が疑わしい目を向けてくる。

 むっ。ペーパーとは失礼な。


「買い物に行くぐらいは運転してますけど」

 セールがある時は隣街のショッピングセンターまでいつもいってるし、雨の日は純ちゃんを駅まで送迎している。


「だったらもっと思い切って運転したらどうだ?」

「だって私が運転してるのはコンパクトカーですから。こんな高級車運転した事ないから怖いんです」

「車なんてみんな一緒だ。気にするな」


 ホンダのフィットとベンツを一緒にするのはどうかと思う。全くベンツには気軽さがない。


 スピードメーターだってフィットは180キロまでしかないのに、ベンツは260キロまである。それに見慣れないメーターが何個もあって、それだけで緊張する。でも、走り出してしまったのでそんな弱音を言ってる場合ではない。全神経を運転に集中して言われるまま道路に出た。


「ガリ子。その道、そのまま真っ直ぐで。ナビの道より早く高速に出られる」

「え! 高速乗るんですか?」

「高速を使えば30分で川崎まで行ける」

「私、高速は苦手なんですけど」

 基本的に下の道しか走らない。高速は純ちゃんの担当だ。


「道路なんてみんな一緒だ」


 先生は不慣れな私の運転が怖くないの? それとも、そんな事気にしてる余裕もないぐらい急いでいるの?


「わかりました。どうなっても知りませんよ」


 急にあれこれ考えているのが面倒になった。住宅街を抜け、大きな道路に出た。標識にインターの名前があった。ナビがインターの入り口に案内する。進路変更をして高速に出た。

 

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