第10話 先生のやさしさ

「こんな私をお父さんとお母さんが見たら怒るだろうな」

 タオルで髪を拭きながら口にした。

 隣に座る先生がクスッと笑った。


 私たちはサンルームの藤の長いすに腰かけていた。開いたガラス戸から入ってくる夜風が気持ちいい。今夜も綺麗な月が出ている。


「家の中で水のかけあいっこをするなんて、本当、ばかばかしい事をしました」

「ガリ子はそういう事、絶対にしちゃいけないって思う子どもだったんだろうな」

「ええ。学級委員のガリ子ですから」

 先生と目が合う。いつもだったら居心地悪く感じるのに、今は先生の隣が心地いい。


「私ね。いい子でいなきゃいけないって、大人の顔色をうかがうような子供だったんです。本当は木登りもしたかったし、スケボーも乗りたかったけど、危ないからダメっていうお母さんの言葉に逆らえなかったんです。女の子なんだからおしとやかにって言われて。それでピアノ習わされて。まあでも、結果的にピアノは好きになったから良かったんですけどね」


 こんな話、純ちゃんにもした事がない。なぜか今夜は自分の事が話したくなった。


「結婚も。親のすすめた相手と結婚して。本当は恋愛結婚がしたかったんですけど、そういうの私には無理かなって思っちゃって。先生の小説に出てくるヒロインみたいに一途に誰かを想うような恋をしたいとは思っていたんですけどね」

 一度でいいから誰かを深く愛し、愛されてみたかった。こんな事思うのは高望みだとわかっていても。


「本当は結婚したくなかったのか?」

「えっ」

 先生の言葉にドキッとした。

 結婚したくなかった。そんな風に考えた事、今までなかった。


「な、何言ってるんですか、そんな事ないですよ。身を焦がすような恋という訳にはいきませんが、純ちゃんと穏やかな日常を過ごせて幸せですから」

 

 純ちゃんとの生活は安心をくれる。結婚は安心感をくれるものだ。私の選択は間違っていないはず。


「穏やかな日常か。そんな風に言えるガリ子が羨ましいな。俺は結婚に失敗したから」

「先生、結婚した事があるんですか?」

「学生の時にな。もう懲りたよ」


 苦く笑った先生が寂しそう。急に胸がざわざわとする。なんだろう。この締め付けられるような気持ちは。


「もう深夜のコンビニには行かせないから安心しろ。ガリ子の本性が見たかったんだ。怒ると、人は本性を見せるからな」

 先生がゆっくりと立ち上がった。


「先生って、性格が悪いですね」

「よく言われる。ガリ子、お前に水をぶっかけられて良かったよ」

「性格が悪い上に、変人ですね」

「ハッキリ物を言うようになったな。それでいい」

「こんな私でいいんですか?」

「いいんだよ。思った事は口にしろ。気持ちを押し込めているよりはずっといい」

 思った事を口にしていいなんて、初めて言われた。

 先生の言葉があったかくて泣きそうになるけど、泣いた顔を見られるのが恥ずかしいから我慢した。


 先生は性格が悪いけど、優しい人かもしれない。

 今日は先生の優しさを感じる日だった。

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