第7話 深夜のおつかい2

 午前1時半にお使いに出て、帰って来たのは3時半だった。

 クリームあんみつ一つ買うのに2時間もかかってしまった。


 近くのセブンで済めばよかったけど、売り切れで、次に行ったセブンにもなくて、その次も、その次もという事を繰り返して、5軒目でようやく見つけた。


 深夜に自転車で走り回るのはしんどかった。

 しかし、これもお仕事のうち。


 買って来たクリームあんみつを金の縁のお皿に乗せ、さらに金色のスプーンを添えて、ピカピカの銀色のトレーにのせた。その横には金の縁のコーヒーカップを置いて、淹れたてのコーヒーを注ぐ。なんか王様のおやつみたい。こういうセッティングをするのは楽しい。


 でも、眠いな。

 ゴシゴシと目をこすり、銀色のトレーを両手で持って先生の書斎に向かった。


「先生、失礼します。クリームあんみつをお持ちしました」

 ドアの外から声をかけるけど、返事がない。


 あれ? 聞こえなかった?


「先生、いらっしゃいますか?」

 今度はトントンとドアも叩いた。

 やっぱり返事がない。


「先生?」

 何度呼んでも返事はない。

 どうしたんだろう。部屋にいないのかな?


 せっかく用意したのに。

 とりあえず書斎のテーブルに置いておけばいいか。


 早くこのミッションから解放されたいし。

 もう眠くて堪らない。


「先生、失礼します」

 クリームあんみつとコーヒーを乗せたトレーを持ったまま、中に入った。

 部屋は先生の机のライトが点いているだけで、薄暗い。

 いつも座っている机の前に先生の姿がない。


 視線を部屋の中央の三人掛けソファに向けると、横になって目を閉じている先生の姿があった。


「先生?」

 返事の代わりにスース―という寝息のようなものが聞こえてくる。


 えっ、寝てるの?


 ソファ前のテーブルにはガリ子へというメモがあった。


【ガリ子へ 昼まで寝る。起こしたら殺す。望月】


 忍耐強い私もさすがにぷつりと何かが切れた。

 

 昼まで寝るですって!


 クリームあんみつを探して5軒もセブンをまわったのよー! 太腿が痛くなる程、自転車こいだんだからー! 起きろー! 望月ー! クリームあんみつを食べろー! 私の努力を無駄にするなー!


 と、心の中で叫び何とか気を落ち着かせる。


 トレーごと先生に投げつけてやりたいが静かにテーブルの上に置いた。

 これも仕事のうち。こんな事で怒っていたら望月先生のアシスタントなんて勤まらない。一度決めた事は最後までやり抜くのが私のモットー。だから、三ヶ月は耐え抜かなければ。先生がどんなに最低の暴君だろうと。 

 

「……ひなこ」

 立ち去ろうとしたら、苦しそうな声がした。


「……ひなこ」

 もう一度同じ単語が先生の口から漏れた。

 ひなこって誰?


 なんか先生、表情が険しい。

 もしかして具合が悪いの?


 先生の額にそっと触れてみる。

 うん。熱はない。


「ひなこ、どこにも行くな。ひなこ。ダメだ。行くな」

 さらに苦しそうに先生は眉を寄せた。

 眉間に深い皺が刻まれる。


「先生、しっかりして下さい」

 先生の肩を叩くが、起きる気配はない。どんどん先生の表情が苦しそうに歪んでいく。本当に辛そう。何とかしないと。


「先生、先生」

「助けて。ひなこ、ひなこ」

 誰かを求めるように先生の手が伸びた。


「ひなこ、どこだ。ひなこ」

 ひなこって人を探しているんだ。

 先生の手、掴んであげた方がきっと落ち着くよね。


 そっと先生の大きな右手を掴んだ。その瞬間、いきなり先生の胸の上に抱き寄せられた。


「せ、先生……!」

 ムスク系のコロンの香りと、背中に回った先生の腕に心臓が慌ただしく鳴り出す。


 純ちゃん以外の男の人に抱きしめられたのは初めて。

 ど、どうしよう。早く抜け出さなきゃ。

 

 抜け出そうとしても、先生の腕はびくともしない。

 ああ、どうしたらいいの。どうしたら……。


「ひなこ。ひなこ」

 先生の表情がさっきとは違い穏やかなものになる。

 私をひなこって人だと思っているんだ。違うのに。

 

「先生、葉月です。起きて下さい」

 肩を大きく揺らすと先生の二重瞼がゆっくりと開いた。 


 至近距離で見る先生の顔はやっぱり綺麗で、思わず息を飲んでしまう。


 先生は抱きしめたままの私に視線を向け、優しく微笑んだ。先生の甘い表情、初めて見た。いつもはどちらかというと不愛想な先生だったから、ギャップがあり過ぎる。それだけでもびっくりする事なのに、先生は信じられない事を口走った。


「好きだ」

 胸の奥まで響く優しい声だった。 


「せ、せんせい」


 驚き過ぎて口をパクパクと動かしていると、先生は再び目を閉じた。

 それからスーと寝息を立てる。


 今の何?


 好きだって言った?

 私に言ったの?


 えー、うそー。どうして?

 先生に会ってたったの一週間しか経っていないのに。


 も、望月先生は私の事を――好きなの?


 ど、どうしよう。


 私は結婚しているのよ。純ちゃんがいるのよ。


 やだ。なんかにやにやしちゃう。

 全然嬉しくないのに、頬が緩んじゃう。


 好きだなて。そんな、そんな……。

 純ちゃん以外の男の人に初めて言われた。

 

 これが告白ってやつ?


「うーん。好きだ。ひなこ。むにゃむにゃ」

 先生が寝言のように言った。


 好きだ。ひなこって何?

 

 今のって寝言だった?


 まさか私をひなこって人だと思って好きだって言ったの?

 もうー! 人騒がせな!


 パンっと強く先生の肩を突いて、先生の腕から抜け出した。それでも先生は起きない。

 全く、どんだけ深い眠りなのよ。


 もう知らない。

 先生に背を向けて、書斎を出た。

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