第5話 憧れの先生3

「あ、あの、ま、まさか、この人が、いや、この方が望月先生?」

 間違いであって欲しいという期待を込めて黒田さんを見た。


「はい。望月かおる先生です」

 嘘だ。だって、だって……


「望月かおる先生って女性じゃなかったんですか!」

 男がフッと瞳を細める。


「偶にいるんだよなー。望月かおるを女だと思う子。まあ、それだけ俺に文才があるって事だが。裏切るようで悪いが、俺が望月かおるだ。運転免許証見せようか? 本名だから」


「わ、私、男の人と暮らすなんて出来ません!」

 望月先生が女性だと思っていたから、三ヶ月の住み込みだって了承したのだ。結婚してる身で夫以外の男性と暮らすなんてありえない。


「やっぱり学級委員だな。えーと、がり勉のガリ子さん」

「変な呼び方しないで下さい! 葉月です!」

「気に入った。あんた今日から俺のアシスタントだ」

「だから、無理です!」

「黒田、契約書はもう書いてもらってるか?」

 望月先生が黒田さんを見る。


「はい。さっき出版社で」

 黒田さんが契約書を望月先生に渡す。


「ほら、ここにガリ子さんのサイン。これは承諾のサインですよね?」

 言い逃れ出来ない程ハッキリと私のサインがあった。

「ほら、ほら、ほら」と水戸黄門の印籠のように望月先生が契約書を私の目の前に掲げてくる。えーい、頭が高いーなんてセリフまで聞こえてきそうだ。


 見ず知らずの男の人と一緒に住むなんて純ちゃんに何て言ったらいいの? きっとダメだって言うよね。


 どうしよう。純ちゃんにこんな事言えない。


 そうだ。通いだったらまだマシかも。


「あのー、通いだったら問題ないんですけど」

「住み込み以外はダメだ。夜中に呼び出しても来られないだろ?」

 夜中って……。

「夜中に用事を言いつける気ですか?」

「俺は夜の方が筆が乗るんだ。電車のない時間に容赦なく呼ぶぞ。タクシー使ってくるか? あ、タクシー代は自腹な。そっちの都合なんだから」


 ぐぅぅ。いじわる。やっぱりこの人性格が悪い。


「どうする? 通いにするか?」


 東京から横浜まで毎日タクシーなんて使ったら50万円のお給料があっという間に吹き飛んじゃう。

 夜中に自分で車の運転をして来るのも怖いし。


「主人と相談させて下さい」

「いちいち旦那の伺いを立てないと自分の事も決められないのか?」


――いちいち僕に聞くな。子どもじゃないんだから。


 望月先生の言葉と純ちゃんの言葉が重なった。

 そうだった。そういう所を変えたいから、今回アシスタントに応募したんだった。


 純ちゃんからちゃんと自立しないといけないんだ。

 これは自分を変える為の試練なんだ。


「わかりました。住み込みで三ヶ月働きます!」

 覚悟を決めて、望月先生を見た。

 望月先生の大きな黒目が驚いたように揺れる。


「意外と決断力はあるんだな。じゃあ、よろしく」

 差し出された手に応える為に、手を出すと大きな手が私の手を包み込んだ。温かくて力強い手だ。男の人の手なんだと思った時、心臓がギュッと締め付けられた。


 この人に関わってはいけない。

 防衛本能のような物がそう訴えるが、逃げ出したくなかった。純ちゃんと向き合う為に臆病な自分を変えたかった。

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