第4話 憧れの先生2

「いやー、まいったなー。さっき電話した時は仕事してるって言ってたんだけどなー。先生、どこ行ったんだろう」


「あの」

 黒田さんに話しかけた。


「何でしょう?」

 黒田さんが私の方を見る。


「玄関の鍵、開いてましたよね? だから、家のどこかにいらっしゃると思うのですが」

 私の言葉に黒田さんがハッとしたような表情を浮かべた。


「僕、先生を探してきますから、一階のリビングで待ってて下さい。階段降りて右側の部屋ですから、すぐわかりますよ」


 黒田さんがドタバタと慌てた様子で部屋から出て行った。一緒に探しましょうかという言葉を言う暇もなかった。


「リビングか」

 たどり着けるかなと少し不安になるけど、私が一人で書斎にいるのも先生に悪い気がする。


 来た道を戻り、まず一階の玄関まで行った。


「えーっと、右側の部屋は」

 ホールにはドアが四つ並んでいる。


「ここか」

 焦げ茶色の一番立派そうなドアを開けると電気がついてた。


「失礼しまーす。うわっ、広っ! なにこれー!」


 私が住んでる2LDKのマンションの全部の部屋を合わせたよりも広い。入って正面には座り心地の良さそうな革張りのソファがあり、ソファの後ろはガラスの戸が並んでいた。足がガラス戸に引き寄せられるように進んだ。

 ガラス戸を開けると、サンルームらしき場所に出た。サンルームはガラス張りで、電灯に照らされた幻想的な庭の風景を見る事が出来た。思わずその眺めに目がいく。照明に浮かぶ木々と濃紺の空に浮かぶ月が美しい。


「誰だ?」


 男の人の警戒するような低い声がした。

 黒田さんの声じゃない。


 振り向くと仄かな月明りと庭の電灯に照らされた男性の姿が浮かぶ。男性は籐の長椅子にゆったりとした雰囲気で座り、長い足を組んでいる。


 襟のあるシャツに黒っぽいズボン姿で、やや細身の体型だ。

 望月先生の家族? もしかして旦那さん? でも、確か先生は独身だったはず……。


「あんた、口が聞けないのか?」

 ぶっきら棒な言い方にムッとする。


「ちゃんと話せます。私は望月先生のアシスタントの面接に来た葉月今日子です」


「ああ」と男が立ちあがり、近くに来る。

 黒田さんよりも背が高い。私の頭は男の首ぐらい。180㎝以上はありそう。純ちゃんがそれぐらいだからわかる。


 ふわっとコロンと煙草が混ざったような匂いがした。男の人の匂いだと思った時、心臓がぎゅっと縮んだ。黒田さんに会った時はそんな事感じなかったのに。

 

 直観的にこの人と関わってはいけない気がする。取り返しのつかない所に連れて行かれそうな、そんな不安な気持ちになる。

男は黙ったまま植物の観察をするみたいに視線を下げてじーっと私の顔を眺めていた。 


 私も顔を上げて男を見た。


 オレンジ色の薄灯りに照らされた顔は初めて見る顔だった。年は30代後半ぐらいで端正な顔立ちをしている。前髪を上げていて、形のいい広い額が見える。キリッとした眉に、二重瞼の大きな目が印象的で、鼻筋はスーッと通っていて、唇は適度に厚みがあってなんかセクシー。


 なんというか、この人、本当に綺麗な顔をしている。


 急に落ち着かなくなって来た。

 私には純ちゃんがいるのに、いくらイケメンだからって動揺し過ぎだ。


 それにしてもなんでこの人、私の顔を見ているの?

 そんなに見つめられたら穴が空くって。


 もしかして、私に気があるとか? いや、それはない。こんなイケメンが私に気を持つわけない。私は至って平凡な顔をしているんだから。


「あんたさ、そのメタルフレームの眼鏡はイモだな」


 え、いも?

 今、いもって言った? 私のお気に入りの眼鏡を“いも”ってバカにした?

「学級委員みたい」

 男のややハスキーな声が響いた。

 学級委員? それって、しっかりして見えるっていう褒め言葉?


「あんた融通が利かないタイプだろ? こうしなきゃいけないって全て決めてかかって思い込みが強いんじゃないか?」


 むっ。融通が利かなくて、思い込みが強いですって!

 なんか私が石頭みたいじゃない。なんで初対面の人にそこまで言われなければいけないのよ。


「あなたこそ、思い込みが強いんじゃないんですか? 私の事なんて何も知らないのにあてずっぼに言ってるだけでしょ?」


 男を睨むと挑発するような笑みを浮かべた。僅かにあがった右端の唇が妙に色っぽい。いや、そうではなく……しっかりしろ、私。イケメンでも失礼な人に変わりはないんだから。


「じゃあ、当てようか。あんたはそうだな。結婚してる。でも、その結婚は恋愛じゃない。見合い結婚だ。旦那以外の男は知らなくて、学生時代の恋は全部片思いで終わってる」


 ムカつく程当たっている。

 なんでわかるの?

「なんでお見合い結婚だってわかるんですか?」

 男がクスリと笑った。


「左手薬指に指輪があるから、まず結婚している事がわかる。そして、俺が近づいたら顔を真っ赤にしたし、俺を見る表情がぎこちない。旦那以外の異性に慣れていない証拠だ。だから見合い結婚という結論を出した」


 思わず両頬に触れた。

 熱い。男の言うように赤い顔してるかも。


「いいじゃないですか! お見合い結婚だって。私は幸せなんです」


「嘘だな。あんたは幸せじゃない。何か悩みを抱えている。あんたにとってすごく深刻な悩みだが、旦那は取り合ってくれない。実は夫婦仲がそんなによくない」


 なんて失礼な人なの! ズケズケと人のプライバシーに踏み込んで来て。完全に頭に来た。


「勝手に決めつけないで下さい! 主人とも仲良しだし、これから憧れの望月先生にも会えるし、面接も上手く行きそうだしで、盆と正月が一緒に来たような幸せでいっぱいなんです!」


 男が次の瞬間、アハハと豪快に笑い出した。


「盆と正月か。あんた意外と古風な表現すんだな」

 バカにしたような男の言い方にさらに腹が立つ。


「あなた一体何なんですか? 人に何者か聞いといて自分は名乗らないなんて、いくらなんでも失礼だと思いますけど!」


「それもそうだな。俺は」と男が言った所で黒田さんがサンルームに駆け込んで来た。


「望月先生! もう、ちゃんと書斎にいて下さいよー」

 信じられない単語が黒田さんの口から出た。

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