茜
1
夜明けのしらじらとした光があたりをまぶしく染めていた。この時間は気温も肌に粟粒をたてそうなほど低く、廃墟の壁はじっとりと朝露に濡れている。
からり……と、地面に積み重なっている破片のひとつが音を立てた。
はっ、と息を呑む気配。
卵形の顔をした、目の大きなひとりの少女が、あたりの気配を読んで用心深そうに歩を進めていた。
年は十四か、十五……まだ子供といっていい身体つきをしている。肌は陽に焼け、ミルクをたらしたコーヒーの色をしていた。
髪の毛は赤く染め上げ、おもいきり短くしたショートにしている。後れ毛が朝日をあび、金色にひかっていた。身につけているのは夏用のセーラー服だ。半そでから伸びている二の腕はほっそりとしているが、ふと見せる俊敏な動きと、ぱっちりと見開いた目が小猫のような印象を与えていた。
彼女はかすかに唇を噛んだ。
ひとり、ふたり……唇がそう動いていた。
「出てきなさいよ!」
叫んだ。
「いるんでしょう? そこらにこそこそ隠れたって無駄よ! あたしわかっているんだからね……ずっと前から、あたしを尾けているのは知ってるんだから……いったい、何のようなの?」
少女の声はひと気のない廃墟に凛々と響いていた。
ぐわぁり……と音を立て、あたりの廃墟の影から数人の男が姿を現した。
人数は四人。
みな思い思いの格好で、見るからに不良、といった服装であった。
少女は背を壁につけ、身構えた。
男たちの背後に朝日が昇っている。逆光を受けたかれらは無言で少女を取り巻いていた。
少女は目を細めた。
いったいかれらは何者なのか?
服装から見るとトーナメントの参加者に見える。しかしここ数日、どういうわけかかれらは少女一人を標的に、尾行を続けていた。
それに気付いたとき、少女は心底震え上がった。
島に来た当初、後をつけてくる男たちは何人かいた。たいていはひとりでいる少女が心配だから、一緒にいて守ってやるよというセリフだったが、ありありと下心が透けて見えて、彼女はいっさい相手をしなかった。
彼女が島にやってきた目的はトーナメントにはなかった。ほかにあったのである。
そのためにはひとりで行動する必要があった。
つきまとう男たちをふりきり、少女は島のあちこちを移動していた。
ひとりで行動するには制限がある。
島で生き抜くためにはバッジが必要であったし、それを奪われないために人目を避ける一日はなにかと不便だ。
そんなある日、彼女は尾行に気付いたのである。
また下心のやからか……と思ったのだが、どうも違う。ただ、ひっそりと、無言で、なにをするでもなく、たんたんと尾行しているだけである。
それに気付いたとき、なぜだか心底から怖ろしくなった。
こいつらはほかのやつらとは違う!
それから少女は必死に尾行をふりきろうとしたのだが、かれらは楽々と追いつき、まるで監視するように遠巻きに取り巻くだけで、いっさい手出しはしなかった。
それが今朝にかぎって姿をあらわにした。
なにが目的なのだろう?
取り巻いている男たちは無表情に少女を見つめている。なにをするでもなく、ただ少女が逃げないよう見張っているだけのようだ。
と、ひとりがかすかに目配せをした。
その瞬間、男たちの表情が激変した!
それまでの無表情から一変して、下卑た、野卑なものに変化した。にやにや笑いが浮かび、みだらな目つきで少女の全身を舐めまわすように見つめている。
へへへへ……と軽薄な笑い声がかれらから沸き起こった。
なんなのこいつら……?
少女は首をふった。
まるで芝居の一場を見ているようだ。
それも安っぽい、三文芝居。
なにかのスイッチが入ったように、男たちは欲望をむき出したぎらぎらする視線で、じりっ、じりっと少女に近づいてくる。
氷の塊のような恐怖が少女の胸元にこみあげてくる。
「やめてよ……こないで……」
少女の目に涙がこみあげた。
「いやーっ!」
彼女の叫びがこだました。
「待ちなさい!」
その時、あたりを圧するような女の声がした。
はっ、と男たちは動きを止める。
少女は目を開けた。
まぶしい朝日の中に、ふたりの人影が見えていた。
ひとりは女、もうひとりは男のようだ。
女はセーラー服、男はタキシードで、ふたりとも朝日をバックにこいシルエットとなっている。
少女を取り巻いた男たちは身構えた。
「なんでえ……邪魔すんなよ」
「そうだ。おれたちゃ、この可愛い娘ちゃんと一緒に、トーナメントを戦い抜こうと相談していたとこなんだ」
「帰れ!」
口々に口を開く。
「あなたたち……恥ずかしいと思わないの。ここはトーナメントをするところよ」
女の声は威厳がこもり、聞いているだけで少女の胸に安堵がわきあがってくる。
大丈夫だ……この人なら信頼できる。
なぜかそういう確信がわいた。
へへへ……と、男たちは野卑な笑い声をあげながらふたりの方へ向きを変えた。
「なんだか叱られているみたいだぜ」
「そうだよ、おれたちママに叱られたんだぜ!」
ひゃははは……と笑い声。
「それじゃあ、そこの女からおれたちの相談に乗ってもらうか……」
そうつぶやき、ひとりの男がいきなりセーラー服の女に襲い掛かった。
女はそれを予期していたように身を沈め、素早い動きで抜き手を男の下腹部へ突きたてた。
すごい!
少女は目を見張った。
女の動きはよく鍛錬された、達人クラスのものだった。あの抜き手がまともに突き刺さったら、ただではすまない。あっという間に反吐を吐き、ころげまわって苦しむだろう。
が、男はまるで平気だった。
「なんでえ、こりゃ? え、なんの真似だい。お嬢ちゃん!」
女の目が大きくなった。信じられない、という表情になる。すばやく側に立つ少年に声をかけた。
「気をつけなさい太郎さん。この男たち服の下に……」
太郎と呼ばれた少年はうなずいた。
「判っております。この男たちは服の下に防具を隠しております。わたくしにお任せください」
すっ、と少年は女の側をすりぬけ、前へ出る。
と、さっきまでへらへらしていた男たちの態度が急変した。表情は真剣になり、油断のない構えを取る。
少年はするすると男たちに近寄った。
とん、と少年の足もとが突き出した岩角を踏む。その途端、少年の身体はまるで宙を飛ぶように浮き上がった。稲妻のような動きで、かれは男たちの間を駆け抜けた。
一瞬の出来事だった。
まるで舞を見ているようだった。
少年の腕が目にもとまらぬ速さで旋回し、男たちの身体にわずかに触れたのは見てとれた。が、次におきた変化に少女は息を呑んだ。
なんと、男たちは全員その場に倒れ、うめき声をたてていたのである。
何が起きたのだろう?
呆然となっているのは少女だけではなかった。隣に立つ、女もまた驚いているようだった。
「太郎さん、あなた、いまなにをなさったの?」
太郎と呼ばれた少年はかすかに頭を下げた。
「申し訳ございません。でしゃばるつもりはなかったのですが……」
少年は本当に恐縮しているようだった。
あんなことして、すまながるなんて変な奴!
少女はぼんやりそう思っていた。
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