隠者

1

 番長島のあちこちには、参加者のための宿泊施設、食事のための場所が用意されている。

 料金はすべて無料で、島に上陸したとき渡されたバッジをしめせば利用できるようになっていた。ほとんど廃墟となった島の建物の中で、それらは新築で、傷ひとつない新しい建物はひどく目立った。さらに夜の帳が島をおおうと、電気の照明が建物の内外を照らし、それだけでも目標になった。

 太郎と美和子はその中のひとつに投宿していた。一階は受付、休憩室、それと洗濯などができるようになっていて、二階から上が宿泊施設になっている。

 太郎は一階の洗濯室で美和子の制服にアイロンをあてていた。すでに宿泊客は寝床に早々ともぐりこみ、あたりはしんと静まりかえっている。

 ゆっくりと、丹念に服の皺をのばしていく。執事学校の授業で、とくにうるさく言われたことは仕える主人の身だしなみであった。だらしない皺や、着崩れは主人の恥であり、仕える召し使いの恥でもある、と。召し使いはつねに主人の身だしなみに気を配らなくてはならない……。太郎はアイロンの温度を確かめるため、底面にちょっと指を触れた。

 丁寧に霧をふき、低温にしたアイロンで仕上げの作業に入った。作業が終わり、彼女の制服をハンガーにかけ、カバーでおおった。

 太郎は自分の作業に納得したのか、ひとつうなずいてそれを持って階段を上がろうとした。

「とうとう来たわね」

 その声に太郎は足をとめた。

 入り口の方を見ると、洋子が背中をドアにもたれるようにして太郎を見上げている。入り口を照らす明かりが、彼女をしらじらと浮かび上がらせていた。

「やあ……」

 太郎は微笑した。

 今日の洋子はメイドの服装で、クラシカルな衣装が彼女の魅力を引き立てているようだ。

 太郎の微笑にこたえて、洋子も微笑をかえした。彼女のふくよかな頬に笑窪が出来る。

「驚かないのね。あたしがここにいることはすでに予想していたのかしら?」

 いや、と太郎はかすかに首をふった。ただ、驚いても表情にあらわさないよう、普段から心掛けているだけである。ちっ、と洋子は舌打ちをした。

「ちょっとは驚け! こら!」

 洋子はすこしふざけてそんな言い方をした。太郎の前だと、つい子供同士のころの話し方にもどってしまう。太郎は肩をすくめ、口を開いた。

「メイドの服、似合うよ」

 太郎の称賛に、洋子はちょっとはにかんだ表情を見せた。

「あんたの奉公した真行寺男爵、破産したって聞いたわ。それでお嬢さまがお家再興のため、トーナメントに出場したって……。あんたはなんのために出場したの」

「決まってるさ。お嬢さまのお世話をするためだ。召し使いは、ご主人がどこへ行こうとついていくもんだ」

 なーるほどね、と洋子はわざとらしい声をあげた。太郎はかすかに眉をひそめた。今夜の洋子はどこか変だ。洋子は無意識にか、壁のかすかな染みに指を這わせていく。なにか言いたいのか、表情にためらいが見える。

「あたしあることをあんたに教えようと思うんだ……」

 とうとう沈黙に耐え切れず、洋子は切り出した。

「なんだい?」

 彼女はきりっと太郎を見つめた。

「この島の北端、そこに洞窟があるわ。知ってる?」

 知らない、と太郎は首をふった。島の地理については、ほとんど知らない。歴史については学んだが、そのほかの情報については手に入らなかったのである。

「海岸を伝っていけば、すぐにわかる。あんたの足なら、夜明け前に行って帰ってこれるでしょ?」

「そこになにがあるんだい?」

「只野五郎の消息」

 えっ、と太郎は息を呑んだ。

 只野五郎……つまり太郎の父親である。母親は太郎が生まれたころ、死んだと言っていたが……。

 太郎の表情に、洋子は満足そうにうなずいた。

「驚いたようね。あんたの驚く顔、そうそう見られないから貴重だわ」

 そう言うとくすくすと笑った。

 太郎は真面目な表情になった。

「なぜぼくに教える。それにどうしてそこに行けばぼくのお父さんのことが判ると知っているんだ」

「それは秘密よ。でも、あたしの言ったことは本当。そこに行けば、あんたの父親、只野五郎についての消息がわかるでしょう。どう、行って見たい?」

「そりゃ……」

 太郎は絶句した。

 行って見たい気持ちはある。しかしそこで知ることがどのようなことか、かすかな怖れがためらいとなった。

 さっと洋子は踵を返し、出口から外へ向かい、闇の中へと消えた。

 洞窟よ!

 彼女の声が暗闇から響いた。

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