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 ざああ……。

 ざああ……。

 波の音が単調に聞こえてくる。ときおり、岩礁にあたり、ざぶんと水しぶきがあがるのが、月夜に青く染まっている。

 目の届く限り砂浜と、あちこちから顔を覗かせる岩の塊。その間を、太郎はひょいひょいと軽快に駆け抜けていった。

 まるで舗装した道を歩くように太郎は先を進んでいく。足もとがごつごつとした岩場であることなど、みじんも感じさせない。

 波が引き、打ち寄せると波頭はおおきく崩れ、あたりに水をしたたらせるが、太郎はつねにそれから距離を置いて飛沫から身をよけていた。

 満月で足元は明るい。砂浜は月の光を受け、青白く浮き上がっている。

 番長島は、北端がすぼまった柿の種のような形をしている。別名、軍艦島の異名の通り、北端は軍艦の舳先に当たる。崖は垂直に海面から立ち上がり、北端に洋子の教えた洞窟の入り口が黒々と見えていた。

 太郎は洞窟の入り口を覗き込んだ。

 月光は入り口近くを照らすだけで、中はまったく見えない。

 ポケットからちいさな懐中電灯を取り出し、太郎はスイッチを入れた。

 黄色い光があたりを切り裂く。

 光の束をあちこち動かすと、どうやら人が住み着いている形跡が見てとれる。調理道具、火を熾した跡、そして毛布のかたまり。

 懐中電灯の光があたると、毛布のかたまりがもぞもぞと身動きした。

 人がいる!

 はっ、と太郎は一歩飛びのいた。

 むう……と唸り声がして、毛布がばさりと跳ね除けられた。

「だれだ!」

 鋭い誰何の声。

 光のなかに、ひとりの人物が浮かび上がった。懐中電灯の光に、その人物はぱちぱちと瞬きをした。

 男だ。

 年のころはよくわからない。

 ぼうぼうに生やした髪の毛と、顔中をおおっている髭で表情が読めないのだ。男はまぶしそうに目をしばたかせると、目を細め手をかざした。

 気がついて太郎は懐中電灯の光を男から足もとにうつした。

「ご免なさい、おやすみのところを。ぼく、只野太郎というものです」

 男の目が見開かれた。

「只野太郎……」

 うつむく。髪に隠れ、表情はまったく見えなくなった。

「その只野太郎とやらが、何のようだ?」

「ある人に教えられて、ここにくれば父の只野五郎のことを知ることができるといわれました」

 只野五郎、という名前に、男はぴくりと肩を震わせた。

「あなたはぼくの父について、なにかご存知のことありませんか?」

「只野五郎のことについて、何を知りたいと言うのだ」

「何でも良いんです。ぼくは父のこと、何も知りませんから。召し使い仲間ではぼくの父は有名ですが、だれに聞いても父の詳しい話を教えてくれないんです。お願いです、教えてください! 父は何をしたんです? なぜ、父と同年代の召し使いたちは父の話をすることを嫌がるのです」

 くくく……と、うつむいた男の口から笑い声がもれた。

「知っているんですか? あなたは只野五郎のこと、なにか知っているんでしょう?」

「まあな」

「教えてください。父は何をしたんです?」

「召し使いとして許しがたい罪を犯したんだ。みんな知っていることだ」

「許しがたい罪……」

「帰れ!」

 男は喚いた。

「帰るんだ。そして、ここにはもう来るんじゃない」

「父の罪とはなんです? 教えて……」

 男はいきなり立ち上がった。大股で太郎に近づくと、襟首をつかむ。男の腕力で、太郎は足先が地面から浮いてしまう。

「もうここに来るんじゃないと言ったろう。お前は真行寺のお嬢さまの側についてしっかり奉公していればいいんだ。ほかの事は考えるな」

 え……? と、太郎は男を見上げた。

「どうしてぼくが真行寺に奉公していることを知っているんです?」

 ぎくり、と男の動きが止まる。

「ぼくはじぶんの名前を名乗っただけです。どうして真行寺家に奉公していることがあなたには判っていたんです」

 太郎はじぶんを見おろしている男の顔をしげしげと眺めた。そして確信を得た。

「お父さん……あなたはぼくのお父さんではないのですか?」

 男は太郎を突き飛ばした。

「馬鹿なことを……なぜ、お前はおれをお前の父だと思う?」

「ぼくは執事学校で観相学を習いました。血縁者同士の骨格は似ている。それは顔に顕著にあらわれる……それによると、あなたはぼくの父の若いころに似ている……」

「他人の空似だ!」

 男は背を向けた。激しい呼吸に、背中がおおきく波立っている。太郎はさらに声をかけた。

「お母さんは、お父さんがぼくの幼いころ死んだと……」

 あはははは! と、男はいきなり笑い出した。

「死んだ! 死んだって? そう、やつは死んだよ。只野五郎は死んだんだ!」

 太郎は立ち上がった。

 そしてつぶやく。

「さようなら。ぼくはあなたの忠告に従い、お嬢さまに忠実にお仕えします。もう、ここには来ません」

 男は無言だった。

「でも、お母さんは今でもぼくの父親、只野五郎のことを愛しています。それだけは、確かにそう思えるんです」

 さようなら……、ともう一度言うと太郎は出口へと向かった。月の光に洞窟の出口はぽっかりとまるい形を見せている。

 くくくく……。

 太郎の背中から、こんどはすすり泣きの声が聞こえてきた。

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