ケン太

 太郎は一日、朝早くからおきて庭の草むしりをつづけていた。木戸から命じられたからだ。季節は春で、昼近くになると温度はあがり、太郎の額に汗がふきだした。むっとするほどの草いきれがたちこめ、あたりには冬眠からさめたカエルや、ちいさな昆虫がはいだしている。

 やあーっ、というかけ声が遠くの道場から聞こえてくる。

 美和子が師範相手に武道の稽古をつづけているのだ。彼女の声は高く澄んでいて、すぐわかる。ときおり竹刀の音がまじる。今日の武道の練習は剣道だった。

 合気道、剣道、薙刀などさまざまな古式武道を美和子は習っている。よほど性に合っているようで、どの武道でも美和子は師範代クラスの腕前を誇っていた。

 テレビは結局駄目になってしまったな……と、太郎はふと思った。

 男爵の計画に、木戸が猛反対をしたのである。

 

「テレビなど、この真行寺家に必要ありません! そのような汚らわしい機械がこの屋敷に入れるなど、断固として反対いたします。もしお認めいただけないのなら、わたしは辞職しますのでそれでもよろしいのなら、どうぞお買いになられればよろしい……」

 そこまで言われ、男爵は計画を進めることができなくなった。木戸の反対に、男爵はうなずかざるをえなかったのである。

 実際、真行寺家の経営のすべては木戸が握っており、かれがいなくてはなにも動くはずはなかった。木戸の辞職という脅しは、男爵の一番弱いところを突いたのである。

 あとで男爵は太郎と美和子を呼んでわびた。

「すまん、木戸にああ言われたのではあきらめるしかないんでな……」

 それを聞いた美和子はにっこりとほほ笑んで答えた。

「いいのよ、お父さま。たぶん、見ても楽しくないと思うわ。よかったわ、テレビが家に来なくなって!」

 

 ふっと太郎は汗をぬぐい、立ち上がった。なにかが目じりを捕らえる。

 きらきらと、真行寺家の正門の方向からなにかが日の光を反射している。なんだろうと顔をあげた太郎は、まっしろな高級車が正門をくぐるのをみとめた。車のボンネットに飾られているマスコットに太陽のひかりがさしこみ、反射していたのである。白い車体に、金の縁取りがいやがおうに高級感をただよわせている。車はゆっくりと真行寺家の車寄せに近づき、玄関前で停車した。

 ドアが開き、後席からひとりの若者が姿をあらわした。

 真っ赤な色彩が目に飛び込んでくる。

 若者は全身、真っ赤な学生服を身にまとっていた。

 たてた詰め襟、金髪に染め抜いたリーゼント。

 太郎はおもわず作業の手をとめ、見入っていた。

 高倉ケン太!

 間違いない。

 つい先日、テレビで見たときとまったく同じだ。上下真っ赤なそろいの学生服で、背中の〝男〟の刺繍が陽射しにきらめいている。

 玄関には木戸が出迎えに出ていた。

 木戸は大股に歩み寄るケン太に深々と頭をさげた。

 うん、とばかりにケン太はうなずく。木戸の口が「ようこそ」と動くのが見えた。

 木戸が開いた玄関に高倉ケン太の姿が吸い込まれる。

 立ち上がった太郎は、ふと玄関前に止まっている高級車に目をやった。

 運転手が外に出て、羽箒で丁寧に車体の汚れを落としている。

 運転手は女だった。

 太郎は思わず、庭仕事の道具を取り落としていた。

 運転手は山田洋子だったのだ。

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