壊れた因果
小川しゅう
壊れた因果
渇いた銃声が響き渡る。目の前に横たわる男はこめかみと背中から血液を滴らせ、一目で死んでいると判る。
銃を足元に置き、わずかに痺れている右手を擦りながら男の顔を確かめると、それは間違いなく俺のよく知る男だった。
*
「どうぞ、ごゆっくり」
コーヒーをテーブルに置くと、ウェイトレスはにっこりと微笑んでそう言った。
目の前のカップをじっと見つめる。飲みたくて注文したわけではない。しかしそれでも黙って口に運ぶ。
「ふぅ」
口に含んだコーヒーを飲み込んだ後、背もたれに身を預けながら店の壁に掛けられた時計を見る。もうそろそろ時間だった。
飲みかけのコーヒーと代金、それから僅かなチップをテーブルに残し、俺は店の入り口へ向かう。その途中、先程のウェイトレスがカウンターの横に立っていたので声を掛ける。
「すまないんだが、今年って何年だったかな?」
「一九八六年よ」
そんな質問にも彼女は親切に笑顔で答えてくれる。
「そうか、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
カフェを出て少し立ち止まり街並みを眺める。遠い昔の記憶が鮮やかな色で甦り、俺の心にノスタルジックな感情を呼び起こした。
あのスーパーには母親とよく買い物に行った。あっちの雑貨屋は初めて出来た彼女へのプレゼントを買った店だ。どちらも今はもうない。
しかし感慨に耽っている時間はない。俺は急いで目的地へ向かう。
庭の芝生は綺麗に刈り揃えられていた。荒れ放題の今とは大違いだ。少し離れたところからその家を観察していると、一人の男が中から出てきた。
三十年前ということは男は二十五歳くらいだろう。俺はまだ生まれていない。身なりからしてまだ真面目に働いていたようだ。
男は郵便受けの中身を確認すると家の中へ戻っていった。俺はその家に向かって歩き始める。
玄関の前で深呼吸をしてから呼び鈴を鳴らす。少し待つとさっきの男が顔を出す。
「何か?」
「すみません、実はスミスさんのお宅を探してるんです。この辺りのはずなんですが、ご存じないですか?」
咄嗟に口から出たのは近所に昔から住んでいた老婦人の名前だった。
「あぁ、それなら」
男は玄関から出てきて俺に背を向けながら身ぶり手ぶりを交えて道を教えてくれる。
「で、その道を真っすぐ行くと――」
その言葉をぼんやりと聞きながら、俺は腰のベルトから拳銃を抜く。そしてスライドを引き、トリガーに指をかけ、躊躇いなく男の頭を撃ち抜くとうつ伏せに倒れ込む。そのまま背中にも一撃を加える。
渇いた銃声が響き渡る。目の前に横たわる男はこめかみと背中から血液を滴らせ、一目で死んでいると判る。
銃を足元に置き、わずかに痺れている右手を擦りながら男の顔を確かめると、それは間違いなく俺のよく知る男だった。
「これであんたは死に、俺は消える。……母さんも救われる」
血溜りが広がっていくのを眺めていると、ふと自分の体が徐々に透けていっているのに気が付いた。『こんな風に終わるんだな』と考えていると直に視界が暗くなり、意識が闇に溶け込んでいった。
*
母さんの葬儀が終わった後、俺はフラフラと街を彷徨っていた。
あいつに捨てられた後、一人で必死に俺を育ててくれた彼女は肺炎をこじらせて呆気なく逝ってしまった。それはこれからようやく恩返しができると思っていた矢先のことだった。
いつの間にか辺りには見慣れない景色が広がっていた。しかし、その光景をどこか懐かしく感じている自分に気が付く。
『あぁ、間違いない。これは子どもの頃に見た風景だ』
そんなことを考えていると、ふとあることが頭に浮かんだ。
『ここが過去ならうちはどうなっているんだろう?』
見覚えのある建物も多いことからおそらくはそこまで昔ではないのだろう。もしかすると、これは神が与えてくれたチャンスなのかもしれない。
腰の辺りを探るとそこにはいつも通り護身用のグロックが入っている。
――そうだ。まずは今がいつなのか確認しなくては。
キョロキョロと辺りを見回すとすぐそばにカフェが見つかった。喉は渇いていないが丁度いい。
壊れた因果 小川しゅう @syu_ogawa
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