第1話
月曜日だとしても、雨上がりの朝は、やっぱり好きだ。
うっとーしい雨も雲も遠くへ消え去っただけじゃなく、雨粒が朝日を照らして世界が輝いてるように見えるから。
カバン片手に、大きく両手を上げて伸びをした僕は、腕時計の時刻を見て、少しビビる。
「げ、もうこんな時間か。……でも、まだ走る程じゃないか」
高校に向かって、早足で歩き出す。
「……疲れた」
しばらくして、……いや、割りとすぐに僕はそうボヤく。
久々の早歩きは予想以上に疲弊する……。しかし走るのは更に疲れる!
とは言え、安易に普段の歩く速度にすれば、遅刻の危険が高まってしまう。
「どのみち、学校までの我慢だ……疲れるけど……」
自分に言い聞かせながら、僕は早足ペースを保ち続ける。
その時ふと、電柱のすぐ横に立つ、人の姿に気づいた。
巨乳を強調するように、体のラインにピッタリと密着したピンクのTシャツ。
太ももの上限まで露出しているホットパンツ。
――そんな真夏によく見る、派手なギャルのような姿の女性だった。
(夏までまだまだ先だってのに、寒くないのかな……)
そう思った時、不意に彼女と目が合った。
女性は、ニッコリと僕に笑いかける。
(あ、やばっ……)
思わず、僕は目をそらす。
こんな時期に、あんな格好をしている女性は、多分、僕なんかがあまり関わってはいけないタイプの人だと思う。
見なかった事にして、早歩きで学校へと急ぐ。
「ふ~~~~~ん。キミ、気づいてくれたんだぁ~」
そんな声が聞こえた気がしたけど、気にせず歩き続ける。
「ねぇねぇ、キミキミ! 名前、なんていうの?」
僕の腹から先ほどの女性の顔がヌッと出てきて、僕を見上げながらそう聞いてきた。
「……? !!??!!?」
自分の見ている光景の意味が、一瞬分からなかった
「……うわぁぁああ?!」
状況に気づいた僕は、驚き叫び立ち止まる。
……当然の反応だろ? 自分の体をすり抜けてきた女性が、腹から顔を出して話しかけてくれば……!
「もー、名前教えてよ~。あたしが見えるコなんて、かなり久々なんだから?」
僕をすり抜けてくる派手なギャル姿の存在が、しつこく聞いてくる。
根負け、というか困惑した僕は、やむなく答える。
「さ……さなべ……
「へぇー。じゃ、チカちゃんだね!」
「チカ……ちゃん……? なんスか、その呼び方! 止めて下さい!」
「えー? だって、チカラだからチカちゃんだよ? 間違ってないでしょ?}
「って……ていうか、あなた一体なんなん……なんなんですか?」
「なんなん、なんなん? だって……にゃはははは!」
「笑わないで下さい! マジであなた何者なんですか? 突然、僕の体すり抜けて来て、顔を出したりして……!!」
「えー? あたしが、キミをすり抜けたんだよ? 分かるでしょ?」
「分かる、って……何が?」
「あたしがユーレイだってこと」
「…………」
僕はしばらく口を閉じれなかった。
ようやく閉じれるようになったと同時に、再び早歩きで学校へと向かい出す。
つまり、最初から全部見なかった事にした。
「あ、ちょっと待ってよ~」
自称ユーレイの女がフワフワ飛びながら、着いて来た。
そのおかげで、僕の足も必然的に更に早まる。
「久々なんだからさ~、生きている人と話すの。もっとお喋りしようよ~」
僕は何も見てない、何も聞こえない! と、頭の中で繰り返しながら、僕はいつしか走りだしていた。
「へぇ~。チカちゃんって、結構足速いんだねぇ~」
全く同じ速度でユーレイが僕の左横を飛んでいた。
当然、ブロック塀やらステ看板やらをすり抜けて……。
「え? チカラが走っている?! もうそんな時間っ?」
不意に、ユーレイとは反対の場所から聞き覚えのある声がして、僕はそっちを向いた。
「お、お
右の路地からのんびり歩いてきた
長く伸ばした彼女の黒髪には、今日もさり気なく古いかんざしが挿してあった。
かんざしがくすんだ感じなのは、先祖代々から受け継いで来たと言う、歴史の重みの証明なのかも知れない……。
「え、マジで? もうそんな時間? 急がなきゃ!!」
そう言って、お凛は僕の先へと駆け出していく。
「そんな時間、ってか……。げ、こんな時間だ!」
腕時計を見て、僕も焦りだす。
「え? え? 何? 誰? このコ、チカちゃんの彼女?」
ユーレイが、お凛を見るなり僕に話しかけてきた。
「え? え? ち、違う違う!」
「え? え? 何が何が? 違う違うの?」
確実にユーレイが見えてないお凛が、僕の返事に反応してしまう。
「あ、いや、ひとりごと……」
「走りながら? それじゃすぐに疲れちゃうじゃん、チカラ?」
ホントに、色んな意味で疲れてくるよ……。
……っていうか、このユーレイは、少なくともお凛には見えないらしい。
「こーんな古っそうなかんざししてるのに、お凛ちゃんはあたしが見えないんだねぇ」
僕と同じ事をユーレイも考えたようだ。
が、僕は彼女の言葉を完全に無視した。
このやかましいユーレイにいちいち返事していたら、お凛の言うように、すぐに息が上がってしまう。
こんな意味の分からない事で、絶対に遅刻はしたくないし。
「ちょっと、無視しないでよー、チカちゃん! 聞こえてるんでしょ? あたしのこの美声が!」
図々しいワードを混ぜ込みながら、ユーレイがしつこく話しかけてくる。
「ねえねえ、チカちゃん! そっち見なよ! お凛ちゃん、ダッシュに夢中で、ちょいちょいパンチラしてるよー?」
僕はお凛の方へと、顔を向けた。
――お凛はいつものようにスパッツを履いていたのだった………………。
「やっぱ聞こえているじゃん~! いま、すっごい真顔でお凛ちゃんのパンチラ見ようとしてた……にゃははは。やっぱムッツリスケベだねぇ~、チカちゃんは」
「み、みて、見てない……。たまたま、そっち向いただけ……」
言いかけて、僕は黙った。
今度こそ、今度こそ……僕はユーレイなんか、見えても聞こえてもいないと自分に言い聞かせる。
「え? チカラ、何か見えちゃった?」
お凛の言葉に、僕は首を横に振った。
「私、ちゃんとスパッツ履いてるよね?」
お凛は走りながら自分のスカートをめくった。
「…………!!」
慌てて僕は顔を背ける。
「あ、大丈夫、履いてる。チカラにパンツ見えてないね!」
「見てないって!」
「あー、いまドキドキした? ドキドキしたでしょ、チカちゃん!」
5月のハエ並にうざったいユーレイが、はしゃいだ感じで僕に絡んでくる。
「…………ふん」
なんとか僕はユーレイを無視し続けていた。
それからしばらく、僕もお凛も学校へ向かって走り続ける。
「チカちゃん、チカちゃん。見て見てー」
またユーレイの声が右隣から聞こえてきたが、やはり無視。
……しようとしたが、さっきまで左側にいたユーレイの声が、反対側から聞こえて来たので、思わず僕はそちらを向いてしまう。
「お凛ちゃん、巨乳化~」
いつの間にか、ユーレイがお凛とピッタリと重なっていた。
ユーレイのバストだけが、お凛の体から大幅にはみ出した光景を見て、さすがに僕も吹き出してしまう。
「な、何してんだあんた……?」
思わずそうつぶやいた時、道に捨てられていた小さな空き瓶を踏んでしまい、僕は派手に転んでしまう。
「チカちゃん!」
「チカラ!!」
お凛とユーレイが同時に叫んだ声が聞こえた。
「あ、大丈夫大丈ぶ……、いっつつつ……っ」
急停止し、僕の所まで戻ってきたお凛に無事をアピールしようとした僕だけど、立ち上がろうとした時、左足に痛みが走った。
「くそっ……ひねっちゃったのか……?」
それを聞いたお凛は、転んだ時に僕が落としたカバンを拾い上げた後、僕の左腕を取って、自分の両肩へとかけた。
「ほら、チカラ。肩、貸すよ」
「い、いいよ。先に行きなって。お凛まで遅刻する……」
僕が言い終わる前に、お凛は首を横に振った
「んーん。遅刻しないよりも、こうした方が周りがいい人って思ってくれるから、私もお得だし~」
わざわざ偽悪的な事を言ってくれてまで、僕を気遣うお凛の言葉に、僕は甘える事にした。
歩きながら、肩を貸してくれているお凛の横顔を見てみると、少し微笑んでいた。
それは僕を心配させまいと作っている笑顔なのか、それとも……。
彼女を包むシャンプーの香りの中で、僕は勝手な期待とそれを否定する自問自答を学校に着くまで繰り返す……。
……はずだったが、僕の目の前には、例のユーレイがニヤニヤしながら、ふわふわ浮かんでいたから、それも出来ない。
「なになに? これが噂のラッキースケベ? チカちゃん、まさかのラブコメ主人公? 学校よりもホテル行きなよ、チャンスじゃん!」
「……チカラ、足痛む?」
しつこくからかってくるユーレイのせいで、眉間にしわを寄せていた僕に、お凛が心配そうに聞いてくる。
「あ、いや、大丈夫。足はもうそんなに痛くないから……」
痛いのは、このユーレイなんだよ! ……とは言えない僕は、ただ半笑いで誤魔化すしかなかった。
「ほら、チューしなよ、チュー! どーせした事ないんでしょ? ファーストキスのチャンスじゃん!」
……ひょっとしたら、僕は悪霊にとりつかれたのかも知れない。
そう思ったと同時に、学校のチャイムが不吉な響きで聞こえてきたのだった……。
no name クメキチ @HKikuchi94
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