no name

クメキチ

第0話

……雨が降ってきた。

ブロック塀の側に佇んでいたピンクのTシャツとホットパンツ姿の咲凪さなは、慌てて折り畳み傘を開く通行人を見て、その事にようやく気がついた。


雨の感触を思い出そうとする咲凪だが、その間にも雨足はますます激しくなる。

ワゴン車が、噴水のような飛沫を上げながらすぐ目の前を走りぬけても、気にせず咲凪はぼんやりと思い出そうとしていた。


雨がアスファルトを強く叩く音に混じって、水たまりの水面を小さな足が踏み抜ける音が聞こえて、咲凪がそちらに視線を向ける。

「あっ……」

小さな傘を差した黄色い雨合羽を着た幼い子が、こちらに向かって駆け抜けてくるのが見えた。

思わず咲凪が、手を広げて抱きとめようとする。

雨合羽の子どもが、そのまま駆け寄って来て――咲凪の体を、すり抜けた。


雨叩くアスファルトを見つめながら、気付かれなかった咲凪が哀しそうに微笑む。

何度目なのかは、もうとっくに彼女は数えていない。

自分がもう人間ではない、……幽霊だと思い知らされた事は。

雨は先ほどから、咲凪の幻のような腕を、体をすり抜けていく。

ここに居るはずの彼女の存在を一切認めないかの如く、容赦なくすり抜けていく。


雨粒の感触を思い出すのを咲凪が諦めた時、タイヤを滑らせた軽トラックが、ブロック塀に正面からぶつかった。

少しして、アスファルトの上を流れる薄い川が、赤く染まり始めた。


それに気づいた咲凪が、トラックの方に視線を移そうとした時、咲凪を見つめる合羽の子の視線に気がづいた。

雨合羽の子は、咲凪と目が合うなり、無邪気な微笑を見せてくれた。

対象的に、咲凪の微笑みが消える。


二人が見つめ合う間に、急いでバックして車道に戻った軽トラックが、小さな傘を踏みつぶして走り去って行った……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る