第42話

 甲板に食い込むカートの足が、艦にむかって流れるように脈動している。

 その足を切れば、あるいはこのマラグィドールの舵を自由に動かせるんじゃないか?

 ソノイは決意し、賭に出た。

「あの足を切り落とそう」

 シルフィードのスロットルを一機に押し上げ、ブースターの光りが何倍にも輝きを増して白くなる。

 回転する双発エンジンの熱が、排気ガスを透明から赤色に染めてアフターバーナーを吹かしシルフィードは極低空をかすめるように飛んだ。

 カートがソノイの動きに気付き触手を振りあげる。

 触手は激しく甲板を打つが、その動きにシルフィードは翼すらかすめさせない。

 ソノイは小さく吐血を繰り返した。奥歯を噛みしめても、重すぎる加速度がソノイの肋骨を締めつけて潰す。

「グッ……まだまだ!」

 シルフィードは細い飛行機雲を引き連れて超巨大カート、肉の塊の後方に回り込んだ。

『グー』

 カートが何かうめき声のようなものをあげて、目だけでソノイのシルフィードを振り返る。

『まだ気付かないのか』

「今さら気付くことなんてないわ! ひとォつ!」

 シルフィードが腕をまっすぐ延ばし、指を立てて触手の一つを切りつける。

 鋭い手刀が触手を切り裂き、真下に伸びて甲板に食い込む足の一つを切断した。

『おまえたちは滅びゆく。力のよわいものは、力のつよいものにしたがい喰われる、それでもなお生きるためには、人は自らの意志を棄て去り、力の強い者の元へ自ら下ることが正しい答えだ』

「そんな正しい答えなんて!」

『おまえたちが自ら決めた道だ』

 触手が振られ、かつて自分たちが目指していたタワーを指さす。

 そこには、未だ空の彼方から振ってくる大量の肉片が、沈む太陽に照らされて真っ赤に輝いていた。

『開けてはならない扉を開いた。おまえたちは、自ら破滅を招き入れた。平和を求めるなら、自ら我らの下にくだるしかない』

「そんな平和!」

 シルフィードの手刀が、巨大カートの二本目の足を切り取る。

「ふたァつ!」

『おまえも知っているはずだ。お前の戦い、お前の選んだ希望など、地上のおまえたちは誰も求めていないことを」

 地上からの対空砲が、ソノイのシルフィードのすぐ近くで炸裂する。

 思わぬ攻撃に、ソノイののシルフィードは一瞬身を怯ませた。だがすぐに軌道を変更して反対側に回り込む。

 そこにはトマホークの群がいた。

「だからなんだ! 三つめ!」

『おまえの戦いは、ひとりよがりだ。人はすでに答えを見つけている。我々の家畜になり、自ら我々に喰われ、今をずっと生きていくことに』

「その供物が私たちか! 今さらよ! そんなの、知ってたわ!」

 嘘、偽り、すべては自分たちがつくりあげたもの。

 絶望も希望も、自分たちが造り上げる形のない幻想のような物。

「私はそれでも指し示すわ! 私たちは、自由になれるんだって! 私たちは、生きるんだって!」

『選んでみせろ』

 突如、シルフィードの飛ぶその先に二体のトマホークが現れる。

 見覚えのあるカラー。見覚えのある姿。見覚えのある武器。

『選ぶものなど何もない。その上で、自らは人に対する反逆者であると、自らに印し、皆に示せ、おまえの自由と戦いなど、人類は誰も求めてなどいない』

 地上からわき上がる激しい対空放火の光りが、カートたち群衆の声を強調し空を覆う。

 ソノイは空を飛びながら、かつて自分たちを従え空を飛んでいたグレイヴのトマホークを前にして怯んだ。

 赤いトマホークは歴戦の証。かつてグレイヴは、あれに乗って自分たちを導いていたのだ。

 あのタワーの先へ。ついぞたどり着けなかった、理想の空の彼方へ。

 その頂からは、今でも人々に死をもたらす、自我も意志もない肉の胞子達が舞い降りている。

 赤く焼ける夕日に、肉の胞子達は自身を赤く輝かせている。

『己の運命を選ぶ。希望を示す、その傲慢さを』

「なにがっ、傲慢だ!」

『人はお前に望んでいない。それを知らないが故に選べると思うのは、無知だ』

「なにが無知だ!」

『人は空を飛ぶことを望まない』

「なにが空を飛ばないだ!」

『運命を選ぶ自由、おまえたちは選ばない』

 鋼鉄の甲板に、ソノイの声が響く。

 シルフィードが翼を開き空を飛ぶ。赤い二つのトマホークも、翼を開きソノイを追いかける。

「なにが、選ばないだ!」

 砕け散り、破壊された大佐のトマホークを寄せ集めて造り上げたグレイヴの抜け殻。

 黒い獣の触手が二体のトマホークに刺さって突き動かし、的確にソノイのシルフィードを追い詰める。

 地上から打ち上げられる弾幕。

 マラグィドールを貫き、トマホークを巻き込み、自ら死を望むように激しく空を拒絶し続ける。

「それでも私は!」

 迫るグレイヴのトマホークをすりぬけ、触手の一本を切り取る。

 姿勢を崩しぐらりと傾いたトマホークのアックスを奪うと、シルフィードは勢いよく背を逸らした。

「戦う!」

 アックスの柄が、シルフィードの手を離れた。

 前に立ちふさがるトマホークの肩をかすめ、かつて何もなかった空をアックスが飛んでいく。

 カートの目が剥かれアックスを捕らえ、触手を振りあげた。

 アックスは柄と斧を回転させながらゆっくりと空を飛ぶと、カートの眉間に突き刺さり中に詰まった何かを吐き出させた。

『……ッ!!』

 中には、見覚えのある獣人が入っていた。

 それはバーヴァリアンなのか。それともカートに取り込まれた誰かなのか、それは外見から見ても分からない。

 自らを貫いた鋼鉄のアックスに、赤い目と、驚きの顔でソノイを凝視し何かをつぶやく。

 肉に守られ外を覗くだけの獣。獣がアックスに貫かれた瞬間、肉塊は動きを止めてずるりと落ちた。

『われわれは絶対に敗北しない。定められた使命に従い、我々はおまえ達に未来を示す。おまえ達に未来はない。敗北もない。それは、我々はおまえ達の先を知っているからだ。おまえ達人間には、何もない』

 周りを飛び交うトマホークたちも動きを止める。

 触手が動きを止めぴくりと痙攣したかと思うと、重力に引き込まれて地上に落ちていった。

『かつてのおまえたちを、我々は見てきた。かつておまえ達が造り上げてきたものを、我々は見てきた。その上でおまえ達が築いてきた物は、すでに過去の遺物となり。おまえ達は、自ら選べる自由があると信じて、何もしてこなかった。生きるか、我々の下にくだることか、我々はそれを示した』

 巨大なカートが戦艦から落ちかけ、最後の足がガクガクと震えながら甲板の端に引っかかる。

 シルフィードは姿勢を変え機首を落とすと、最後の足に向かって全速力で近づいた。

「ッ……!」

 急激な加速と減速と方向転換が重なり、ソノイの視界が暗くなったり赤くなりを繰り返す。

 指先に力が入らず、体の一部だけが熱くほてったり、逆に寒くなって凍えそうな思いもした。

 自分が飛んでいる先が、上なのか、下なのか。それが分からないもう何もかも放り出してこのままどこかに飛んでいきたいと思う衝動にもかられた。

 セボリアから猛烈な砲撃が繰り返され、墜落しかけるソノイのすぐ近くで砲弾が爆発した。

 シルフィードの翼が軋む。

「私は自由を信じるんだッ!! それが私の!」

 ソノイは飛びかけた意識を取り戻すと、もう一度体を力ませて操縦桿にしがみついた。

 力尽き甲板からだらしなく落ちかけている、黒くて醜い肉塊。

『爆弾が起動しない!? あいつの足を切って! ソノイちゃんあと一本!』

「うああああ!」

 紅炎の声に、ソノイは頭を振るって最後の力を振り絞る。シルフィードが加速し、いつか自分のシルフィードが振るっていたマルチガンを手に取った。

 自分が砕いた黒いシルフィード。彼が持っていた武器、同じ武器を持って弱いかつての自分自身に向ける。

「落ちろ!」

 ソノイはトリガーを引いた。シルフィードが狙いを定め、カートの足に向かって弾を撃ち尽くす。

 カートは絶叫も上げず、千切れた足からずるずると肉だけ引き裂きながら地上に落ちていった。

「……やった」

 地上からの対空砲の弾幕が、マラグィドールの燃料タンクを撃ち抜いて大爆発を起こす。

 加速を続けていたマラグィドールが、ついに自身に乗りかかっていた重りを振り切り壁に向かって落ちていく。

「これで……私の役目は終わり」

『まだ、何も終わっていませんよ』

 誰かの声がどこからか聞こえた気がした。

それでもソノイはシートに倒れ込むと、安堵の様子でほっと息をついて黙り込む。

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