第29話 獣が人の心を取り戻したいとおもうとき
『人らの争いに平穏を』
灰色の肉の海に無数の顔面が浮き出て、それぞれが蠢き一つ一つの音を発した。
一つの口が発する音は、単純な子音や聞き取れないため息だけのように聞こえる。
しかし、肉の海は意思を持っていた。
『永遠の平穏を』
『きもちわるッ!?』
紅炎が声を震わせて叫んだ。
シルフィードが身を傾け、機体に巻き付いた動く粘菌をふりほどこうと藻掻く。
センサーが警報を鳴らし、機体各所に過負荷がかかる。
「紅炎エンジン再起動はまだ!?」
『う、動けない! それどころじゃない!!』
「電圧低下! 油圧がもう持たない!」
シルフィードが体当たりで倒したカートの足元から、突然肉の海が湧き出してきて動く触手を振りかざす。
触手の束が、シルフィードの間接部をギリギリと締め上げた。
波打つ海から倒れたカートが浮き上がり、さらに無数のカートが群になってシルフィードに迫る。
『約束された未来を』
『キモチワルイ!』
紅炎の叫び、シルフィードはマルチガンを向けてトリガーを引いたが、弾は肉のどこも撃ち抜かず空を撃った。
手だけ、足だけ、胴体だけ、周囲の残骸を寄せ集めて動かすトマホークまがいの物が、オーン! と、大きな声を上げてわき起こる。それら肉塊が、大波のようにシルフィードの上に迫る。
二人が覚悟を決めた時。
もう一つのシルフィードが、横からすべてをかっさらっていった。
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