第3話

勇者。目の前の老人が放ったその一言に、皆一様にざわつき始める。まあ常に夢見がちな高校生からしてみれば、ざわつくなと言う方が無理な話であろう。女子はともかく、大半の男子はその一言に面白そうな表情を浮かべている。最も、静哉はその大半には含まれていなかったが。



「……失礼。その勇者というのはいったいどういうことだろうか? 詳しく説明して頂きたいのだが」



この状況にも怯まず生徒の中から前に出たのは、静哉達の担任、及川間宵である。二十代後半のアラサーであり、何かと婚活で失敗していると噂の美人教師だ。教師としての腕は確かなのだが、静哉はそんな噂を聞いていたからかどうにも頼りない印象を受ける。


老人はその蓄えた白髭を撫でながら、彼女の問いにゆっくりと答える。



「ふむ、ここで話すのもいいが、まずは一旦落ち着ける場所に移動しようではありませんか。焦って急いた結論を下すのは、あまりに忍びないというもの」



くるりと静哉達に背を向け、その手に持った錫杖を一振り。シャン、と軽やかな音が聖堂に鳴り響く。すると、一人では到底開けられそうにないほどの巨大な扉が、すさまじい音を立ててゆっくりと開いていった。


生徒たちの驚きの声が響く中、老人は再びこちらを振り向く。



「少し早いが、お披露目じゃ。これが私たちの世界で扱われる《魔法》というもの……良い歓迎になったのでは?」



先生は唖然とし、生徒たちは感嘆の声を漏らす中、僅かながらにその表情を歪ませる者たちがいた。


静哉と絢音。この二人だけは喜色を見せず、老人には見えない角度から、苦みばしった顔で立っていた。






◆◇◆





老人の後におとなしく皆がついていく中、最後尾にいる静哉の元へと絢音が向かう。



「(……なんだよ。あんまり俺に近寄って、翌日から孤立しても知らねぇぞ)」


「(静哉クンにそこまでの影響力はないでしょう……ではなく。少々相談がありまして)」



周りの生徒に聞こえないよう、なるだけ小声で会話を始める。最も、その内緒話のポーズを見てしまえば、何かと無粋な想像をされてしまうだろうが。幸運なのは最後尾で誰にも見られていないことか。今回ばかりは静哉のボッチ気質が功を奏したと言えなくもない。



「(あのご老人が使った魔法……気づきましたか?)」


「(ああ、くせぇな。《魔》の匂いがプンプンしやがる)」



そう。あの老人が使った魔法には、普段彼らが戦っている《魔》の気配が非常に濃かったのだ。もはや《魔》そのものを使役していると言っても過言ではない程に。だが、そもそも《魔》とは人に使役できる存在では無い筈。使役しようとすれば、逆に乗っ取られてそのまま退魔士の御厄介になることまでがお決まりのコースである。



(……なんか裏でもあるのか? まさか、《魔》の罠? いや、それにしては手が込みすぎている……)



第一、自分たちに気づかれずこれだけの人数を巻き込むほど力のある《魔》ならば、静哉達を排除することなど容易いことの筈だ。わざわざ自分たちを生かしておくはずもない。


ポケットに入った、自分の武器が格納されている札を握りしめる。いざとなれば、周りのやつを巻き込んでもこいつを解放しなければならない。面倒だが、それが退魔士の役割だ。



「(とりあえず、奴等の動向には最大限に警戒しろ。《魔》が絡んでいる以上、何が起きてもおかしくない)」


「(ふふ、もしかして心配してくれているんですの?)」


「(ハッ。殺しても死にそうにない奴が何を言うか)」



静哉の返答に、やや不機嫌そうな顔を浮かべる絢音。が、次の瞬間笑顔になったかと思うと、笑顔で静哉の右腕に腕を絡めてきた。



「おまっ、何を―」


「ちょ、何やってんだよお前ら!!」



思わず驚きの声を上げてしまう静哉だったが、その声はさらに大きな声によってかき消された。その大声によって、全員の注目は静哉達へと向いてしまう。


大声の主は、朝も絡んだ吉良明人である。彼の眼は大きく見開かれ、プルプルと手足が小刻みに震えている。顔を真っ赤にしている彼を見て、そんなに驚くことかと静哉はため息をついた。



「おい神裂!! すぐに絢音から離れろよ、迷惑だろ!!」


「はいはい……」



うっせえお前の方が迷惑だよ、とかやってきたのこいつなんだからこいつに文句言えよ、など色々と不満はあるものの、そのすべてを胸の内に仕舞い込んで単調な返事を返す静哉。彼の感情はすべてため息に込められていたと思っていい。


そんな吉良を宥めるように、絢音はゆったりとした笑顔を浮かべる。



「まあまあ吉良さん。彼には倒れそうになったところを支えて貰ったんですわ。そう怒るものでも無いですよ」


「……絢音がそういうなら……」



ぶつくさと文句を言いつつ引き下がる吉良。それでも静哉に向けられた敵意は止まない。ついでの如く向けられる他の男子からの無言の敵意も合わさって、静哉の精神は酷く疲弊する。



「(……お前、金輪際こういうことは止めろよ。俺針のむしろじゃん。めっちゃ突き刺さってるよ悪意が)」


「(あら、それは大変ですわね。私を下の名前で呼ぶのであれば解決するかもしれませんよ?)」


「(けっ、抜かせ)」



バッ、と絢音の腕を振り払う静哉。こうすれば絢音に興味がない証明になり、問題ないのではないかと考えた末の行動だが、逆に男たちからのヘイトは高まってしまった。結局どうすればよかったんだよ、と内心で頭を抱える静哉。



「(ふふ、ではまた)」



他の生徒からは見えない角度でパチリとウインク。彼女はそのまま優雅にリア充グループへと立ち去っていく。



(……ホント、食えない奴だ)

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