第2話

「ふぁ……」



溢れ出る眠気を噛み殺しつつ、渋い顔で通学路を歩く制服姿の静哉。三秒に一回ため息を付いているその姿からは、心なしか闇色のオーラが幻視できる。彼からしてみれば意図的に出している訳ではないが、非常に疲れているというのは事実だ。周りでしきりに飛び交う朝の挨拶を気にする余裕もない。


これが静哉の表の顔。何の特徴もない、いたって普通の高校生を演じている。



(……あー糞、相変わらずリア充ってのはうぜぇ。あいつらの幸せの裏では、俺みたいな日陰者が苦労してるってのを理解しとけよ。わかったらもう少し慎ましく生きやがれこの野郎)



……まあ普通というには些か思考が暗すぎる気もするが。


リア充からやがて世界への呪詛と化していく彼の思考だが、周りの環境はそのまま彼が思考の海へと沈んでいくことを許さない。ドン、と軽く後ろから体が押され、のったりとした歩みを進めていた静哉はたたらを踏むことになる。



「おっと、道の真ん中に立ってんなよ!」



彼がぶつかられたのは、彼のクラスにおいてリア充グループの一人である似非金髪。名を吉良明人きらあきとという。もっとも、その名前を静哉が覚えているかといえば答えはノーであるが。


金髪という見た目通りのチャラ男であり、よく言えばムードメーカー、悪く言えば騒がしいただの馬鹿である。静哉からしてみれば後者の印象が強いが、どうやらクラスの人間からしてみれば前者の印象のほうが強いらしく、無事リア充グループの一角に収まっている。


静哉とはこの上ない程相性の悪い相手であるが、ここでトラブルを起こすのも静哉の本意ではない。チラリと後ろを覗くと、そのまま謝罪の言葉を口にする。



「……すんません」



なぜか同級生相手にも敬語を使ってしまう静哉。カーストの違いが成せる技なのか、それとも静哉に奴隷根性が染みついているだけか。いずれにしても彼にとって気持ちのいい話ではないことだけは確かである。



「まあまあ。広がって歩いてた俺たちも悪いんだし、あんまり怒んなよ。大丈夫か神裂君?」



その場をとりなすように出てきたのはリア充グループ筆頭、この集団の中心核である稲葉弘人いなばひろとだ。


高身長・高スペック・好人物と3K揃ったイケメンであり、おまけに親も金持ち。天は二物を与えないという言葉を全力で否定するために生まれてきたような男である。そのスペックにはさすがの静哉も頭を垂れる他ない。時折自分が与えられる筈だったスペックを持って行かれたのではないかと考えることもあるが、それすらもまあいいかと思えてしまうくらいには好人物だ。


いかなチャラ男であろうともボスに逆らう意思があるはずもなく、稲葉の窘めを受けた吉良はおとなしく謝罪の言葉を口にする。



「そ、それもそうだな……悪かったよ神裂」


「いや……気にしてない」



後に控えているリア充グループをチラリと覗く。すでにリア充グループは自分達の会話に戻っているが、その中に一人だけこちらを見て薄く笑っている女性がいる。黒髪のストレートに物腰柔らかな雰囲気。おまけに抜群のプロポーションと、まさに大和撫子を体現した……と、ここまで表現すれば誰だか分かるだろう。紛うことなき絢音である。ひとたび笑いかけられればどんな男でも骨抜きになるであろうその微笑みに、しかし静哉は鼻で笑い飛ばすことで彼女に応えた。


美男美女が集まって作られたこのグループは、嫌が応にも衆目を引く。周りの通学してくる学生たちは皆こちらに釘付けだ。一人だけ何でもないような男が混じっていることに奇異の視線を向けてくる輩も存在しており、いい加減鬱陶しくなった静哉は、グループから視線を切るとため息を付いて歩き出した。



(……全く、昨日の魔物退治で疲労がマックスだってのに。面倒事に絡まれる体質だけは一級品か)



この世界を呪っていそうな男が退魔師など、誰も考えやしないだろう。下手すれば彼が退魔される側であると勘違いされかねないレベルである。


が、いくら腕の立つ退魔師であろうと、未来の出来事は予知できない。ましてや普通の高校生に予測しておけというのが無理な話だ。


この数十分後、彼らは異世界に飛ばされることとなる。






◆◇◆






一体何が起きたのだろうか。状況を把握することも忘れ、静哉はあんぐりと口を開けて辺りを見回す。


チョークで汚れた黒板。煌々と光る蛍光灯。整然と並んだ机。そんな見慣れた光景はどこにも存在しない。彼の目に入ってきたのは、明るい日差しが差し込んでくる美しいステンドグラス。三百人は収容出来るのではないかという、大理石で出来た荘厳な空間。そして奥に飾られた御神体のような偶像。どれをとっても見たことのない存在だった。



「いや待て、落ち着け。ビークールだ。ステイクールだ。冷静に、冷静になれ……」



自分の見た光景を否定するかのように、こめかみに手を当て目を閉じる静哉。が、耳に入ってくるクラスメイトの喧騒が、これが幻想だと思い込むことを許さない。ますます混乱してきた静哉は、これまでの出来事を思い返すことで原因を探ろうとする。



(確か俺は学校へと登校して……そうだ。一時間目が始まる前に少し寝ようと考えて……)



そのまま寝入って現在に至る、という訳だ。まったく参考にならない己の記憶を叱咤すると、続いて現状把握を努めようと改めて周りを見渡した。


朝の時間にはあれだけはしゃいでいたクラスメイト達も、未知の現象の前には戸惑わざるを得ないようだ。あのリア充グループでさえも、皆を統率することも忘れて戸惑っている。


……いや、一人は違うようだ。朝に静哉を見て笑っていた絢音が、今度は険しい表情を浮かべて静哉を見ている。彼はそんな視線を受け、まだ動くなという意味を込めて軽く手を振った。


目の前にはキリスト教でいう法衣のような物を纏った人物たちが、祈りを組んだ格好で佇んでいる。その中央には豪奢な装飾と立派な錫杖を身に付けている、立派な髭を蓄えた一段位の高い神官のような人物が立っていた。


一段位の高そうな神官が一歩前に出る。自然と身構える静哉。いつでも自らの武器を取り出せるように、その手は自らのポケットへと伸びている。そんな彼の状況を知ってか知らずか、神官はゆっくりと口を開く。



「よくぞ来られました、勇者様方。私はこの教会、そして神聖教においての教皇であります、ヘンリ=アンタレスと申します。以後良しなに」

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