イービル・イレイザー~魔物も《魔》だから払える…よね?~

初柴シュリ

第1話

草木も眠る丑三つ時。


辺りを覆う夜の闇を煌々と満月が照らす中、眠ることのない存在が静まり返った街の中を練り歩いている。



『ギャ……グギャオ……』



およそ閑静な住宅街には似つかわしくない、異常なまでに膨れ上がった相貌の化物が、ゆっくりと道路を進んでいく。化物が通った後の道は、まるで塩酸か何かが掛けられたかのように溶け出してしまう。グズグズとアスファルトの溶けた跡がその強力さを物語っていた。


驚くべき事に、この化物は本来何処にでもいる虫の一匹だったのだ。今や面影すら残していないその姿は、見るもの全てに恐怖を与える。このように、《魔》に取り憑かれてしまった存在の事を《魔物》と呼称するのである。


そんな街中を我が物顔で進んでいく魔物を、何でもないような顔で民家の屋根の上から見下ろしている存在が一人。



「おーおー、派手に跡を残してくれちゃって。もちっと後始末する人のこと考えとけよ。ま、担当は俺じゃないから良いけど」



闇に紛れるかのような黒髪に、何の特徴もない黒目。服装はパーカーにジーンズと、まるでコンビニに行く時のような気軽さだ。目立たない雰囲気も手伝って、屋根に立っているという一点を覗けば、そこらにいるような青年となんら変わりはない。


隣に寝かせてあった巨大なブレードライフルを手に取り、屋根の上に立ち上がる男。トリガーに指を掛け、備え付けのスコープを覗き込む。


そんな男にも気付かず、ズンズンと進んでいく魔物。一体何処を目指しているのかさっぱりわからないが、一つ明確なのはこのまま野放しにしておくことは得策ではないということである。



「弱点は背中の中心。生まれて間もないから装甲も貧弱っと……こりゃすぐに終わるな」



自らの鼓動で揺れる照準を押さえ付けながら、スコープを背中の中心へと合わせる。


気付けば背後の夜空は紅く染め上がり、月の光が妖しい輝きを放っていた。明らかに異常なこの状況に、しかし人々は気付かない。いや、気づけない。それもそのはず、この場に男と化物以外の生物は存在しないのだから。


これは男の使った術の一つ、《結界》の効果である。世界の一部分だけを切り取り、対象と自分を異空間へと送り込む高位の術だ。これで辺りに気兼ねすることなく、全力で暴れることが可能となる。



「状況開始。さっさと片付けますか」



勢いよく引かれるトリガー。


直後、辺りに響き渡った銃声が開戦の合図となった。






◆◇◆





「あ~、今日もつっかれた。早く帰って飯食って寝てぇモンだ」



灰となって消えゆく魔物、正確には虫に取り憑いていた《魔》を見届けると、持っていたブレードライフルを亜空間に収納して、大きな欠伸を一つする男。


彼の名前は神裂静哉かんざきしずや。見た目は特徴のない男であるが、裏の世界では一流の《退魔師》である。


《退魔師》とは読んで字のごとく、生物に取り憑く《魔》を払う為の存在であり、この世に跳梁跋扈する《魔》の脅威から人々を守る最後の生命線でもある。


とはいえ、彼らも人間。疲れもするし、時にはサボりたくもなる。性格が人それぞれなのも当然であり、全員が全員正義感からこの職を務めている訳ではない。勿論そういう人物も存在するが、少なくともこの神裂静哉には当てはまらない物だ。



「あら、何処へ行こうと言うのですか? 静哉クン」


「げっ、淡浪……」



踵を返して帰ろうとした静哉の目の前に、美しい女性が現れる。長い濡れ羽色の髪に、端正な顔立ち。物腰柔らかな雰囲気に、おまけに抜群のプロポーションと、大和撫子を体現したかのような存在に、しかし静哉は苦みばしった顔をする。


彼女の名前は淡浪絢音あわなみあやね。同じく退魔師の一人であり、静哉と行動を共にするバディである。



「あら、こんな美少女を捕まえて『げっ』だなんて……酷いですわ」



よよよと泣き崩れる……振りをする絢音。彼はそれを冷めた目で見つめる。



「そういうのいいから。見飽きた」


「あらあら、それは残念ですわ。最初の頃の初な静哉クンは何処へ行ってしまったのでしょう……未だに名前でも呼んでくれませんし」


「チッ……」



静哉としても、名前で呼ぶのは正直吝かではない。ただ、恥ずかしさから呼ぶことが出来ていないだけである。彼は初なのだ。


内心の恥ずかしさを誤魔化すため、咳払いをしてから絢音へと指示を出す。



「あー……とりあえず後始末するぞ。誰かに目撃されたら溜まったもんじゃないからな」


「フフ……了解しましたわ」



彼の内心を知ってか知らずか、絢音は妖艶な笑みを一つ浮かべると術を行使する。



「『響け、響け、響け、響け。とこしえの夜を抜け、全ての姿を流転させよ』」



手に持った札が溶け、地面へと落下する。アスファルトの地面へと染み込み、全て溶けきると、やがて地面に変化が起きた。


溶けてへこんだアスファルトが、まるで逆再生のようにグググとせり出してきたのだ。



「……何度見てもチートだよなそれ。対象の時間を巻き戻す術とか、敵からしたらふざけんなって気分だよ」


「あら、あなたの体質も十分脅威だと思いますわよ?」


「ハッ。抜かせ」



鼻で笑ってその場を去る静哉。その後ろ姿を、絢音はニコニコと眺めていた。

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