思いやる事が互いを苦しめる家族の観測記録 Part1

「よし今日の仕事はこれで終わりだ!」


男の言葉が現場に響くと各々がしていた作業を一旦止めて、男の方を見る。


「後片付けをしたら帰宅してくれて構わない、給与は帰りに手渡しするから

 その金持って旨い飯でも食って精でも付けてくれ」


作業をしていた男達は閉じていた口を開いて、喜びの声と少し疲れが見て取れる声を各々が発していた。


俺はその空気の中、黙って片付けを進める。


後片付けを黙々と終え、男の元へと向かうと背中を軽く叩いてこう言った。


「お疲れ~ 霧崎君!

 旅人やってるだけあって体力あるな!

 君が来てくれて本当に助かってるよ!」


「いえ……こちらこそ

余所者の俺に色々と世話して頂いて感謝しています」


労いの言葉を掛けるこの男の名は、山之内和利やまのうちかずとしと言う。


観測者としてこの世界を旅する以上お金を得る事は必要だ。


無論、いくら飢餓状態になろうともある意味罰とも言える世界の王から与えられた永遠の生によって死ぬ事はない。


しかし、飢餓による苦しみを避ける事はできない怪我による痛みもだ。


わざわざ苦しみながら旅をするほど俺はマゾヒストな人間ではない。


人間として苦しくない生活をするためにもその土地でお金を得る事は必須なのだ。


そのため今回この土地では日雇いでの仕事をしてお金を得る事にしたわけだ。


雇用主は目の前の男、山之内と言う訳だ。


「さて、帰るとしよう!

 労働の後の夕食とビールは美味いぞ!」


「翌日の仕事に響かない程度にしてくださいよ」


「はっはははははは! こりゃ一本取られたな」


山之内は俺を仕事終わりに家に誘い、夕食を共にさせてもらっている。


おかげで山之内の家の近くの安宿に長期滞在する事ができ、休日も俺の泊まっている安宿に山之内の奥さんが差し入れを持って来てくれたりしている。


現場仕事の作業などは地域毎の文化の差異などは関係なく常に体力と力が問われる。


建築、解体、場所によっては全て機械で済まされる作業でもあるが、文化の進んでない地域では人が行う必要がある。


体力さえあれば余所者の旅人でもすぐに雇ってくれる場合も多いので、この様な仕事がある場合は非常に助かっている。


常に旅をし続け、一時的に定住する街がなければ野宿をし続ける。


また、一時的に定住するにしても宿が取れなかった時はその街のホームレスと一緒に共同生活をすることもあった。


そんな俺にとって街の中でのんびりとサッカーでもしながら体力を付けてきた街の外にほとんど出た事がない奴らとは体力の付き方が違う。


この地域は街と街を繋ぐ街道も整備されていない。衣食住もすべて街の中で生産され解決されている場所も多い。


その様な柔い人間が多い中で俺は雇用主に何時の間にか目を掛けられる存在になっていた。






「はっははははははは!

 霧崎君さっきからお酒が減ってないぞぉ~」


「いや……あなたのペースが速いんですよ……

 大丈夫なんすか……」


山之内家で夕食を取った後、明日は休日と言う事で二日酔いを気にしない勢いで山之内は焼酎を飲み続けている。


飲み屋ならまだしも、この酒の費用は山之内家から出ており、奥さんに嫌味を言われながら追加の酒を持ってきて貰っている所を見ると遠慮せざるを得ない。


「おい、多恵子! もう一杯持って来い!

 霧崎君の分もだぞ!」


「もう……やめてよ、お父さん!

 前、肝臓悪いって言われたでしょ!」


奥さんの多恵子たえこさんがそろそろはっきりと拒否する手前で、彼の娘がやって来て父親を制止する。


「深央、お客さんのいる前でケチな振る舞いをするわけにはいかんだろ!

 それに、これくらい若い頃なら呑んだうちにもはいっとらんわぁ!」


「そんな事言って二日酔いで苦しんで仕事休んだの私忘れてないからね!」


「ふぁかってるさぁ! だから明日休日だから保険かけてんだろぉ~」


「いや、怒ってるのと酔ってるので呂律が少し回らなくなってるし!」


「ああっ! だ、誰がぁ酔っ払いだぁ! おまえふぉやに向かっておまえどんな口を!」


感情が高ぶっている事と酔っぱらっている事で上手く物が言えなくなっている様だ。


山之内の娘の深央みおは、俺の方に向き直って申し訳なさそうな顔をしてこう言った。


「えっと……その霧崎さん、今は何も言わずに帰って貰えますか

 お父さんの事は私が何とかしますから、その、今はお願いします」


俺は頷いて、そのまま立ち上がって玄関へと向かう。


今の父親と真っ向から話をしても仕方ない事を察したのだろう。


直ぐに俺を帰すと言う判断ができる辺りしっかりした娘である事を感じさせた。


後ろで揉めている声が聞こえてくるが、今自分がいても事態の収拾にマイナスなのは分かり切っているので俺はそのまま宿に帰る事にした。








宿に戻り、ベッドに横になり宙を見ていると突然ドアをノックする音がする。


こんな時間に誰だろうか、まさかあの山之内……あの後娘と妻にこってり絞られても俺の部屋で呑もうとでも言うつもりなのだろうか。


キィイイイイッ……


安宿の立て付けの悪いドアの開く音が耳に不快感を与えてくる。


俺が扉を開けるとそこには予想外の人物が前に立っていた。


「深央か、こんな時間にどうしたんだ?」


「夜分遅くに失礼します、先ほどの事なんですけど

お父さん酔いが冷めて、冷静になったみたいなので大丈夫です

 せっかくお父さんと楽しく呑んでる中で水差す真似してすみませんでした」


この娘……俺が思っている以上に律儀な女らしい。


宿と家が目の鼻の先とは言え、夜に女が独り歩きして男の部屋に行くのは別の意味で問題のある行為ではあるが……


しかし、この娘にはそう言う事は頭になく俺を不快にしてしまったかもしれないと思い謝りに来てくれた……ただそれだけなのだろう。


地域によっては致命的な程の無防備さであるが、しかし、今は目の前の女の律儀さを素直に評価していた。


「気にしていないから心配しなくて良い

 それより例え出歩く距離が近くても夜に女一人で出歩くもんじゃない」


「そ、そうですよね

 近くだし、失礼な真似をしたら謝るべきだと思いましたけど

 こんな時間だと霧崎さんも困りますよね、すみませんでした!」


本当に律儀な娘だ。あの山之内もここまでしっかりした娘を持ててさぞ幸せな事だろう。


とは言えこのまま謝らせてばかりでは深央も不憫だ。


「勘違いしなくて良い……別に迷惑とは思っていない

 しっかり、謝罪できるって事は良い事だ

 世の中には自分が悪い事をしても謝る事すらできない人間もいる

 他人のために謝罪できるって事は良い事だと思うぞ」


「あ……ありがとうございます……」


山之内の娘、山之内 深央≪やまのうち みお≫とは山之内の家に来る様になってから知り合った。


父親と母親の髪の色を見て、彼女の赤みがかかった茶髪のロングヘアーは染めたものであることはすぐに分かった。


最初は多くの思春期の女が通る、親への反抗から髪の毛を染めると言う道を進んでいる不良ではないかと考えていた。


しかし、実際に今日の様な光景を見ると父親の方がだらしなく、娘の方がしっかりしていて父親よりも家の事や礼儀を考えている様に見える。


「霧崎さん……一つ質問しても良いですか?」


深央は改まって俺に尋ねる。


その真剣さから世間話の類ではない事は見て取れた。


俺は黙って頷く事で意思を示した。


「お父さんの仕事の様子……どんな感じですか?」


「どんな感じと言われても、どう答えれば良いのか分からないが……

 具体的にどこが知りたいんだ?」


「苛立ってたりとか、何時もより厳しく叱っていたりとか……

 あなたが来てから2ヶ月程経って最初の頃とお父さんの態度変わってないですか?」


2ヶ月……改めて数字を突き付けられるとそれだけ経っていたのかと改めて認識させられる。


死んでこの世界に来てからどれだけの年数が経ったのか俺には分からない。そうなってくると過ぎた時間に疎くなってくるのだ。


こうして誰かに改めて指摘されたり、カレンダーを見た時に俺はそれをよく思い知らされている。


そろそろ山之内に話そうと考えていたが、次の旅に出る頃合いの時期である。


しかし、目の前の娘の言っている事が気になるのでこの話にはしっかりと付き合う事にした。


「……目に見えて変わっている事はないさ、苛々している事もない

 部下に当たり散らす事もしていない 仕事場ではしっかりしているよ」


「そ、そうですか……」


俺は正直に現場の山之内の様子を深央に伝えた。


少なくとも誰から見ても苛ついている様には見えないだろう。


しかし……俺は山之内の些細な変化を見ていた。少なくとも出会った時よりストレスが溜まっている事には気づいていた。


「ただ……山之内さんは煙草を吸うだろう?

 出会った頃よりも煙草休憩を挟む回数は確実に増えている」


「やっぱり……」


「自販機で買う頻度も増えている

最近の山之内さんは何か大きなストレスを抱えていてそれを酒や煙草で解消しようとする動きをしているのは近くにいてもよく分かる」


最も観察力の低い山之内の他の部下達からでは山之内の変化には気づけていないだろう。


「それで……深央は何かストレスを抱えている根拠を知っていて

 俺に質問をしてきたんだろう?」


「えっ……はいそうですけど

 どうして分かったんですか?」


「山之内さんのストレスが溜まっている事は分かっていたし

 だけどそれは仕事でのストレスではないと俺は思っている

 となれば家庭内や別の所で抱えている問題と言う事になるから……その問題を知っているからこそ山之内さんが仕事場でも何かしていないか心配だったんだろう?」


「おっしゃる通りです……実はちょっと……その……問題がありまして……」


深央はその問題については言いにくそうな顔をしている様だった。


言いたくない他人の問題を掘り返しても良い事がないのは分かり切っている事だ。


言う事で解決する事ができたり、心が軽くなるなら聞くべきだと思うが、無理やり掘り返すのはいき過ぎたお節介と言う物だ。


俺は困った顔をしている深央を見てこう言った。


「言いたくないなら、言わなくて良い……

 とにかく山之内さんは仕事場では今の所問題はない」


俺がこう言うと深央は困った顔を止めずにまた黙ってしまった。


そしてしばらくすると、深央はこう言った。


「き、霧崎さん! 明日の休日何か予定はありませんか?」


「休日は基本一人で適当に過ごしているだけだ、一日開いているが……」


「その!……明日のお昼に迎えに行きますので!

 一緒にある場所に来てほしいんですけど、良いですか?」


深央はどこか自棄になった様な様子で休日の誘いを持ち出してきた。


当然俺は特にやる事もないので……。


「構わないぞ」


「えっ!? 良いんですか?」


「いや……おまえから聞いてきたのにそこまで驚かれても……」


「あっ……すみません、その、ありがとうございます

 と言う事で今日はもうこんな時間ですし、これで失礼しますね

 おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


夜中だし俺が送って行こうとする気遣いを見せる間もなく深央は走っていってしまった。


明日行く場所……それが恐らく山之内のストレスの根源となっている事に関連のある場所なのだろう。


そして、深央にはその問題に具体的な解決策を何一つ見出せていないのだと考える。


何が飛んでくるかも分からない。明日に備えて寝る事にしよう。


その日俺はすぐにベッドで横になり眠りについた。



続く

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