第2話 『銃声と悲鳴』

 思わず呆然としたが、現役時代の常軌を逸した訓練の成果か、意識的に息を吸う事ですぐに落ち着いた俺は周囲の状況を確認する為に店外に出る事にした。

 電気はやはり来ていない。人感センサーが死んでいる自動ドアを両手でこじ開けたが、さほど抵抗無く開いた。


 外から見た平屋建ての小さなスーパーは外壁も天井も無く、内部の壁がむき出しになっていた。

 しかも、あちらこちらで壁が内側に倒れている。柱が断ち切られている為に強度が落ちた所に商品を陳列している荷重が原因で店内に向かって倒れた様だ。

 今更の様に気付いたが、頭上の太陽はいつもの太陽と違って、赤みが強く大きさも心持ち大きい様に見える。

 そして、更に悪い状況も理解した。

 店が建っているのは、小学校の校庭程の広さの赤土のグランドの真ん中だった。

 スタジアムの様にすり鉢状に観客席が周囲を覆っている。行った事はないが映画で見たローマのコロッセオを連想させる。明らかに元の場所では無かった。

 それにしてもきれいに見え過ぎる。この仕事に就いてから視力は落ちた筈だが? 

 念の為にリンゴマークのスマホの画面を確認すると、予想通りに圏外だった。この状況下では外部からの早期の救援は期待出来ない。

 しかも更に状況は悪化しそうだった。銃声があちらこちらで発生しているのが聞こえた。日本では有り得ない。

 余りにも非現実的な状況に焦燥感が心の一部に湧くが、今は自分達の力だけで何とか救援が来るまで(来るとすればだが)、対処するしかないだろう。

 もっとも現状では武器と言えるのは精肉部と鮮魚部で使っている十数種類の包丁くらいだ。

 店内で売っている幾つかの商品も武器になり得るが、素人ではそれほどの威力を得られない。

 そして地味に問題なのは、電気が来ていないせいで生鮮食料のいたみが早い点だ。

 店内に在る道具で如何に武装を増やすかと救援までの食料と水をどうすれば効率的に摂取出来るかを考えていた俺に呼び掛ける声が聞こえた。


「店長、店内の状況把握が終わりました」


 田中浩正たなかひろまさ副店長だった。

 おばあちゃんの時代からスーパー織田を支えてくれた人物だ。みんなには『おやっさん』と呼ばれていると言えば、イメージし易いだろう。


「治療が必要な怪我人は居ますか?」

「数名がかすり傷を負いましたが・・・」

「では、治療をして上げて下さい」

「いえ、それが、その、治りました。ええ、今はもう傷口が塞がって出血も止まっています」


 思わず『おやっさん』の顔を見た。彼の表情は一言で言えば複雑だった。


「治った? 勝手に?」

「はい。数針くらいは縫わないといけない傷を負ったお客様が居たのですが、消毒しているとゆっくりとですが傷口が塞がっていって数分程度で治りました」


 余りにも不可解な事態が連続して発生している。

 放っておけば、パニックが発生するのは確実だった。


「一度、状況説明をします。一旦、全員を店外に避難させましょう」


 今更の様に思い付いたが、周囲や外壁の状況を考えれば店を支えている基礎が失われている可能性が有った。

 このタイミングで地震が来る可能性は極少だろうが、危険を避ける為に店外に出た方がいい。

 避難自体はすぐに完了した。

 お客様もだが、店員も周囲の光景に呆然としている。

 一瞬だけ俺も仲間に加わりたいと思ったが(だって、みんながみんな、ポカンとした顔をしてるんだよ。なんか自分だけが仲間外れになった気分だったんだ)、店の責任者としてそれは許されないし、生来の性分もあって状況の鎮静化と行動する為の前準備に乗り出した。


「店長の織田信之おだのぶゆきです。ご覧の通り、異常な状況に我々は置かれています。太陽の位置から推測すると12時くらいの様に考えられますが、詳しい事は不明です」


 先程見た腕時計は午後7時37分を示していた。


「少なくとも救助が来るまでは、自力で何とかするしか有りません。皆様のご理解とご協力をお願い致します」


 多分、ほとんどの人間が理解したとも思えない。

 余りにも異常な状況に精神が追い付いていない事は表情を見れば分かる。

 特に小さな子供は怯えて、親にしがみ付いている。子供は大人の感情に意外と敏感だから、大人を落ち着かせなければ、パニックが連鎖的に発生する。

 小学生高学年くらいの女の子が1人で立っているのが目についた。何故か買い物かごを両手で抱え込む様に持っている。左手には買い物リストなのだろう、便箋の様なメモが強く握り締められていた。もしかしてお使いに来て巻き込まれたのか? 妹の深雪に目を向けた。俺の視線に気付いた深雪と視線を合わせた後で、さっきの少女を見た。それだけで俺の意図が分かった深雪が少女の方に向かった。

 後は任せておけば大丈夫だろう。子供好きだし世話好きだからな。兄貴の俺が言うのも何だが、料理も出来るし、優しいし、きっと将来はいい母親になれる。まあ、時々口の悪さが出るのは愛嬌だとしておこう。


「店長、さっきから聞える音なんだが、もしかして銃声ではないのかね?」


 声を上げたのはお得意さまで元警官の富田喜一とみやきいち様だった。

 その言葉の意味する剣呑さに気付いた数人が辺りを見渡した。

 発砲音らしい音は今も続いている。むしろ近付いて来ている。今はその音以外にも悲鳴の様なものまで聞こえて来ていた。


「分かりません。ですが、現状では我々には自衛の手段があまり有りませんので、最悪の場合は命を守る事を優先する選択をするしか有りません」

「そうだな、それしか出来んな。その辺の判断は元幹部自衛官の店長に任せる。これも一種の災害と考えれば、店長に判断を任せる方が良かろう」


 意外と言ってはなんだが、これは予想外の支援だった。

 災害救助と言えば自衛隊、と言う位に国民の自衛隊に対する災害時の信頼度は高い。

 敢えて、声にしてみんなに聞かせる事によって、俺の指示が通り易くしてくれたと言う事だ。

 こういう状況、要するに災害や有事に匹敵する状況では、指揮系統を統一出来なければ自滅への道を転げ落ちて行くだけだ。

 思わず富田さんに自衛隊式に頭を下げる室内礼をした。この業界で身に付けた作法が付け焼刃だと自覚する一瞬だった。

 にやりと笑った富田さんが敢えて堂に入った敬礼を返して来た。

 気を取り直した俺は、みんなを安心させる為にもう一芝居打つ事にした。


「ちなみに、当店には今も即応予備自衛官として毎年30日間の訓練に参加している元自衛官が6人居ます。可能な限り皆様をお守りしますので、ご安心下さい」


 みんなの表情の強張りが少し緩んだ。

 もっとも銃声が響いている状況で安心出来る要素ではないが、まずはパニックの回避が出来れば御の字だろう。


『シミュレーションよりも規律が有る事を確認』


 その声は耳元で囁ささやかれた様に鮮明に聞こえた。

 全員にも聞こえた様で、みんながキョロキョロしている。

 30歳くらいの女性の声の様にも、幼い少女の声の様にも聞こえる、不思議な声音こわねだった。

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