支離滅裂で結構。初めのうちは、ね。

 初めて文章を書く方の中で

「起承転結とか分かんない……」

「文章として正しいかどうか分からない……」

「そもそも誰が読むんだ……」

 と思った方は多くいるかもしれない。

 私ももれなくその一人であるし、通過してきた。

 そしてその思いは無駄であるとも学んだ。

 基盤としてその気持ちを持つことは重要だが、いつまでもウジウジ言っていても仕方のない話である。

 自分がいくら文章を書き連ねても、未熟性や欠如は補えないところがある。

 それを少しでも減らし、改善していくからこそ磨きがかかるのだ。

 有名な作家でも、特定のユーザにとっては「読みづらいな」と思われる事はあるのだと思っている。

 私も、村……樹さん(実名は避けます)の文章は正直読みづらいと思う。

 万人に支持されるような文章を書けるようになるには、恐らく神か仏か何か、そういった存在にならないと無理なのだろう。


 さて、ここで人間の「不完全性」について語ってみよう。

 人とははじめ、知識を持たない赤子としてこの世に生を受ける。

 そこから小、中と高、大学と知識の泉からあらゆることを学び、社会に飛び出す。

 さあ、この時点で人は完全だろうか。

 否、全くそうは言えない。

 むしろ不完全に大きく偏った、まだ世界の欠片の知識も持たない状態だ。

 世界的、宇宙的観点から人間の知識を覗けば、それは人間が赤子を見るようなものだろう。

 だからこそ、人は人であることができるのだ。

 知識に飢え、来る日も来る日も知識を追い求めて日々を生きる。

 美しい生命神秘の片鱗が、一人間から見受けることができる。

 また、命は必ず尽きる時が来る。

 その命尽きる時、まさに魂と肉体が離別しようとするその瞬間。

 そこが「知識の終着点」だろう。

 死ぬとどうなるのか。

 生きていれば皆といっていいほどの人間が抱く疑問の真理にたどり着く。

 だが、死んでしまっては伝えられない。

 知るためには、自らの「知識の終着点」まで突っ走るしかないのだ。

 だからといって途中で脱線してしまっては、終着点に着く前に運休になってしまう(即ち得てして死を選ぶという事である)。

 真の現実を知りたければ、自分の命、人生を全うする必要がある。


 命とは。

 どこで生まれ、どこへ向かうのか。

 人間は何のためにその知識を求め、何のために活かすのか。

 そして、なぜ死は訪れるのか。

 その一定のサイクル、一定の命のあり方に、私はえも知れぬ感動を覚える。

 そしてこうして綴る。

 同じような感覚を持つ人間に出会うことを信じて。


 話がかなり脱線してしまったが、ざっくりまとめると

 ・人はみんな完璧じゃねーよ

 ・完璧じゃねーから知識を求めるのよ

 ・知識を求めて進むから人間は美しーのよ

 ・みんなに通用する文章書きたかったら全能神になりなさい

 という事だ(たぶん違う)。


 結局のところ、自分なんて……と思う時間があったら、その欠点と思い込む部分を徹底して潰せば良いという話なのだ。

 ネットにはあらゆる答えが転がっている。

 自分の知識のために活用するならば、ネットは大いに生きたものになるだろう。

 さあ、筆を取って。

 今日も生き、そして学ぼう。

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