ACT Ⅵ 騎士

 

Scene 1 挑 発



「体育の堀部先生、まだ入院してんの?」

「そ、代用教員もまだみつかんないみたい」


「やっぱ、素人がヨガなんてやばいんだ」

「授業なんかに取り入れる前でよかったよ」

「花も恥じらう乙女が腸捻転なんてやだもんね」


「脱腸よりいいんでない」

「きゃはは、ひさーん!」


 他人様の病気や不幸は盛り上がるものだ。

 ましてや乙女達は若さゆえに残酷なのである。



 更衣室からさざめきでた声が体育館へと流れる。

 みんなでバスケをやろうということになり、ボールのはいった鉄籠がひっぱりだされる。

 私は鎖をガチャガチャさせてゴールを下ろす。男子女子で各々のコートを占拠できるわけだ。

「準備運動してからよ」

 私は役目がらおかたく注意する。

 みんなはてんでにはボールを扱い始めた。


「ごめん!」

 真魚がパスを逸らした。制服姿の儘で壁に凭(もた)れていた魔貴を狙ったように跳ぶ。

 魔貴はそれを片手で捕まえた。

「──やらないのかい」

 取りにいった桔梗が挑むような眼差しを据える。

「怠いわ。どうせだし消えようかしら」

 指先で独楽回しにして、魔貴はボールを弄んだ。

「おたくと勝負してみたいんだけどね」

 桔梗は好戦的だが愛敬のある薮睨(やぶにら)みになる。

「ふ~ん、どんなのでやるわけなの」

 真魚へ流眄(ながしめ)をくれながら、やれやれというふうに魔貴は苦笑した。

「一対一で入れっこ」

 桔梗が単純にいう。

「それじゃ、あたなに分がなさすぎないかしら」

 魔貴は首を傾げた。

「やってみなけりゃわかんないさ」

 桔梗はむきになる。


「なら、試合形式にしましょうか」

「どっちだっていいよ」

「そう、着替えてくるから」

 桔梗の胸に後ろ回しのパスが送られる。

「逃げなさんなよ」


 揺蕩(たゆた)う絹の髪に桔梗が声を投げかけた──。



「おちてこないよ」

「モップでだめ?」

「男子にたのもうか」


 何人かの女の子がシュートの入れっこをしていた。そのうちに数個のボールがつかえてしまったのだ。


「まかせて」


 鈴めいた声が傍らを摺り抜け、しなやかな姿(かげ)がジャンプする。片袖だけ通した上衣が鳥の舞うみたいに翻って、闘牛士(マタドール)のケープみたいに少女らを幻惑した。


「──魔貴!?」


 彼女はひっかけた袖を抜いて、すんなりした肢体を衆目に晒す。

 長い細絹の髪は綺麗に纏めあげられ、仄めく白百合の項(うなじ)が妖婉さを匂わす。

 過不足なく女性らしい均整のとれた体だが、成熟しているというには瑞々しすぎる。


「おやりになるんですか」

 お下げ髪のちっこい子がみあげる。

「なりゆきでそうなっちゃった」

 魔貴は肩をすくめた。

「わあ、すてきぃ~っ」

 ちっこい子が跳んではしゃぐ。


「桔梗──」

 魔貴が手にしたバスケット・シューズを放って寄越した。

 戸惑ったが受け止める。


「──そのバッシュ、サイズはいいはずよ。

 律子女史に借りて来たから、あなたが返しといて」


「敵に塩を贈るわけ?」

 桔梗は疑念を拭えない。


「文句なく公平な条件で負かしてあげるわ」

 魔貴は仇役っぽく笑む。



「みんな、来てくれない?」

 よく透る冴々とした声。


「なあに、なあに」

「わいわいのがや」

 お祭好きの面々が寄る。


「こないだ、桔梗を風紀にしちゃったでしょ」

 魔貴は辻説法の要領だ。


「 意趣返(しかえ)ししたいとか?」

 立ち処にのってきた。

「姐御、喧嘩(でいり)ですかい」

 威勢よく腕を捲(ま)くるのがいる。

「血の雨が降りやすね」

 趨勢はやくざっぽい。


「そんなに物騒じゃないさ」

 さすがに桔梗も否定。

「バスケで決着つけるわけ」

 魔貴が納得いかせる。


「おもしろそうじゃん」

「やろうよ、やろうよ」

「そんで、化粧(つらのかわ)ひんむくんか?」

「お互いに面子(メンツ)かかってんだね」

「これ遺恨試合かな」

「ちょっとちゃわい」


「あたしの勝ちなら今後一切御構いなし」

「負けたらどうする」

 桔梗が言質をとりたがる。

「しかたないから、素顔(すっぴん)を御披露するわ」

 思いのほかあっさり承知。


「すっごくみたいな」

「みたいよ、みたい」

「幻滅されるのいやよ」

「そういうことならね」

「桔梗の味方するもん」


「というわけだけど、委員長いい?」

 見事に仕切るもんだ。

「みんなが賛成なんだし異存ないわ」

 苦笑せざるえないわ。



「私達はご遠慮させていただきますわ」

 案の定、西城嬢が水を差す。


「うれしいわ、なんて寛大でいらっしゃるのかしら」

 魔貴は大袈裟に手をとった。

「えっ」

 西城が戸惑いの表情をする。

「コートを使わせてくださるのでしょう?」

 巫山戯るみたく頸(くび)に腕を絡め、さりげなく経脈を圧迫していた。

「あたしたち、もう親友よね」

 女子高生気質の皮肉めく模倣である。

 かかる親友にされたくはない。


「こっちのコートだっていいぜーっ」

 男子らが手で拡声器する。

「自分達はどうすんのーっ」

「そっちが面白そうじゃん」

 なるほど興味津々で注目だわ。

「男女混合がいいんでしょ」

「とーぜん」

 男子から期待の歓声があがる。

「やーよさ」

 女子から反対の喚声があがる。

「おあいにくさま」

 魔貴が意地悪っぽく揶揄(からか)った。

「そりゃないぜ」

「審判、お願いしていい?」

 悲嘆する連中へふる。

「はい、僕やります」

 小山内が手をあげた。


「いい恰好すんな、おれにやらせろ」

 面皰(にきび)ののっぽが突き除ける。

「審判は二人なんよ」

「ありゃ、そうだっけか」

「主審副審といるんよ」

「や、ややっこしいな」

「おかえりはあちらよ」

「ふっ、恥かいたぜ」

「やーい、ばーかめ」

 女の子がはやした。


「せっかくの御好意だから、松任谷さんと清香(さやか)をかしてくださらない?」

 西城嬢は必死でうなずく。

 頸を扼されて口をきけないのだが、はた目はじゃれあいにしかみえない。

「清香、おゆるしがでたわ」

 そらぞらしく噪(はしゃ)ぐ。

「あ、あたし、とてもできません」

 色白の少女は怯えた兎みたいだ。

「むりなことしろなんていってないわ、あなたならできることしてほしいわけ。だから、わたしがいうことは必ずあなたにできるのよ」

 魔貴は容赦なく獲物へ迫った。

「でも、あたしのせいで負けたら」

 ためらいなんか承諾同然。

「負けるのを気に病んだら、賭けなんてできやしないわ」

 もっともな理屈である。


「あなたにもおすがりしたいんだけど」

 松任谷の視線を合わす。

「先日の件で謝罪していただける?」

 返答はかたくなそうだった。

「する筈ないとおもってるんでしょ」

 魔貴はくすりと笑った。

「あたしは勝つためには善悪を顧慮(かえりみ)ない質だから、あれはあなたをあなどったんじゃなくてその反対。いまあなたが必要なのよ、

力をかしてくれないかしら」

 王女の香気(きひん)をただよわせ、軽羅(うすぎぬ)のようにふんわりと跪(ひざお)る。

「御期待にそえるとはかぎらないわよ」

 松任谷は負けをみとめた。

「みえすいた謙遜なんかしっこなしよ」

 姫君はとりあわない。


「うちわでかたまってるわね」

 黒髪を赤いリボンで纏めたニヒルっぽい美少女が顧みる。

「あたしら、桔梗につこうか」

 シャム猫ような眼と尻尾のような房髪をした少女が応えた。

 この辺の地区はバスケが盛んだから、中学の授業でも頻繁にやられていた。

 したがって、バスケ部でなくても一応の基礎は出来でいる。

 中でもこの二人の腕はかなりのものと私はみた。

 黒髪に赤いリボンの少女が氷沼舞、血統書猫の少女が根本柊子である。

 私、桔梗、彼女ら、それにバスケ部だった子をスタメンにする。



 向こうは、松任谷、清香、陸上選手などで、応援のおまけ多数。

 真魚があちらで、桔梗はがっかりする。


 片恋はつらいというわけだ──。





   Scene 2 攻 防



「貰い」

 魔貴が柊子を掠める。

 ボールはさらわれていた。


「さやか」

 難なく舞をかわしてパスする。

 清香が狼狽えながらドリブル。

 私が彼女からはたきとばした。

「桔梗!」

 拾った桔梗が駆ける。

 魔貴が突破させない。

 やばくなって舞へとパス。

「京子、おまかせ」

 魔貴の声に応えるように、中途で松任谷が奪い取る。

「速攻いくわよ」



「奇遇ね」

 なじみある声の主が突(つつ)く。

「律子か」

 芹沢は見向きもせずに応じた。

「おめあては、紫邑魔貴?」

 体育館の階廊である。

 呉越同舟の二人が揃って欠課したらしい。

 芹沢は他に厳しく己に寛容な人物であった。

「君が欲しがっているそうなのでね、僕もいささか調べさせてもらった」

 幼なじみに内心を見抜かれまいと苦慮する。

「なにかわかった?」

 相方は蔑んだ口調を返した。

「あやふやな評判のほかは皆無だよ。はたして如何なるいきさつかな」

 手をひろげ降参してみせる。



「こっち」

 松任谷が魔貴にパスする。

 魔貴は自分が打つとみせ、切り込んだ松任谷に返した。

「京子、打って」

 松任谷は意外そうにする。

 派手な個人技を誇示したがる性分だと、敵味方見物まで思い込んでいたからだ。

 先取点をやってしまう。

「くそっ」

 桔梗が単独で速攻する。

「さやか、いって」

 魔貴が先回りで奪った。

「は、はい」

 貰った清香が駈ける。

「させるか」

 戻る暇なくて無防備(がらあき)だ。 

「ナイッシュ!」

  声援専科(ベンチ)の水穂が叫ぶ。

「そら、やれたでしょ」

 耳語(ささやき)が微風(なよかぜ)のように、清香のおくれげをそよがせた。

「はいっ」

 清香の動きが生き生する。



「彼女は芙蓉のバスケ部にいたのよ。中学の地区予選であそことぶつかってね、ベンチをあたためてる一年の癖に気になる雰囲気だったわ。

 個人技だけ寄せあつめたようなチームだから、こちらがかなりの差でリードしてたのよ。ガードだったあちらのキャプテンが5ファウルで退場、後半のこり一〇分を切ってから彼女に交代したわ。嘘みたいに流れが変わって、3回戦で敗退」

「ふむ」

「そんなに派手な真似はしないんだけど、抜群にリードとかアシストが上手くてね。どことなく惹きつけられる綺麗なプレーだった」



「桔梗!」

 私を防ぐのは陸上部の娘。私は桔梗にパスを送る。

 陸上部をさそって、交差する位置に走り、魔貴を遮った。

「京子」

 魔貴は追いながら指示。桔梗は挟まれかける。

(えい、くそ!)

 踏み切ってジャンプ。

「きゃーっ、やった!」

「ナイス・シュート!」

 ベンチで声援してる女の子達が大喜びした。

「やられたわ」

 魔貴がちらりと笑む。

「ざまーみろ」

 桔梗があかんべーする。



「彼女、あの頃はあんなじゃなかったわ──。

 髪なんか短かったし、すんなりした躰(からだ)つきで、男の子かと思ったくらい。

 あそこにいる子にちょっと似てたかもね」

「馬の尻っぽみたいな髪の娘かい、彼女もなかなかかわいいじゃないか」

「あいかわらず、むっつりすけべね」

「まったく君は、僕のよき理解者だ」



「──戻って!」

 帰陣してゾーンディフェンスをとった。

 向こうはゆるやかにパスを回していく。

 魔貴が綺麗なミドルシュートを決めた。

 しかたなくマンツーマンに切りかえた。

 いいようにあしらわれてるみたいである。


 向こうが速攻をかけた。やつぎばやの波状攻撃。

 松任谷がポスト位置に立つ。私が即座に遮った。

「さやか!」

 真魚が柊子を抜く。清香から貰って切り込む。

 おとなしそうにみえて、果敢な攻めするのだわ。私は抑えに入れ代わる。

 真魚はフェイントかけ、左打ちでシュートする。


(やられた! ……両手利きとはね)

 魔貴のお仕込みなのか、なんとも器用な真似だ。


「プレスをかけて順々につぶすのよ」

 攻撃相手に接近して激しく妨害する防御だ。

「誰から狙ってく?」

「真魚がいいわ。あまり体力ないし」


 真魚はひっつめ髪の子と交代するが、以前として点差はひらいたままだ──。





   Scene 3  朱 唇



「ねえ、まっちやん──あそこにいらっしゃるの、生徒会長様と風紀委員長の律子さんよね?」

 ベンチを暖めていたお下げ髪の ちっこい子はお馴染みの水穂。

「うん」

 ハーフタイムで戻ってきたひっつめ髪の子が親友の長尾末子。

「どういう御関係かしら?」

「やっぱし、できてるんじゃない」

「幼なじみですってよ」

 丸顔の髪長娘が口をはさむ。

「恋人同士でいらしゃるのかしら」

「かもね」

「いやーん、おしたいもうしあげていたのに、せつないわ」

「あの二人、犬猿の仲だって話よ」

 舞が赤いリボンを結いなおす。

「えっ、嘘、嘘ーっ」

「舞ちゃんたら、純真な乙女の夢をこわしちゃいけないな」

 柊子は色の薄い猫目を底光りさせ、被ったタオルを夜鷹っぽく銜(くわ)えた。



「たしかに、シュートは安定しているようだ。フォームにもむだがなくてきれいではある。

素人の寄せ集めなのによく動かしているよ。しかし、君が惚れこむほどとは思えないね」

 ことさら辛くみせかけた科白(せりふ)だが、芹沢の掌はひどく汗ばんでいた。

「彼女が本気でやっちゃいないってことだわ」

 負け惜しみを掛け値なしで取って、律子は落胆を滲ませ唇をかんだ。



 ──魔貴は、派手なプレーを控えて、巧みに他を動かしていた。

 専ら桔梗を抑えることに、力を注いでいるようだが、時折のシュートは必ず入れた。

 薄気味わるいくらいの視野の広さで、神経の蜘蛛の巣を全域に張り廻らし、網に絡めた獲物を麻痺させ逃さない。

 攻撃的で逆上しやすい性分の桔梗に、たいして反則がないなんて奇蹟みたいだが、裏をかえせば萎縮させられてるのだ。

 絶妙の呼吸で気を挫かれたあげく、じらしの手管に弄ばれるが儘だ。桔梗は実力の半分だってだせてない。



「実力を包みかくし、相手にもださせない。それが彼女の戦い方かい」

「私たちのときもそうだったわ、底なし沼で藻掻いてる気分……」

「馬の尻っぽみたいな髪の娘に同情を禁じえないよ」

 芹沢は軽く肩をすくめた。

「よほど、お気に召したみたいね」

 律子が辛辣な口調になる。

「かなり気に入ったといえるかな」

 さりげない軽薄を装った。

「で、どちらのほうなわけ」

 律子がにんまりと顧みる。

「だから、幼なじみは不都合だよ」

 芹沢は吐息ついたことだ。



 桔梗にシュートさせようと、三人ががりして魔貴を阻む。

 桔梗がインサイドに突っ込んでいく。

 真魚がいちはやく遮るが、意地でシュートしようとする。

 桔梗の肘を受け、真魚が床に頽(くずお)れた。

「真魚!?」

 脳震盪らしい。桔梗は狼狽して跪(ひざまず)く。

「なんともない」

 真魚は弱々しく身を起こし、唇からこぼれる血を指で拭った。

 それはルージュをひいたように綺麗で、垂れか懸かる額髪が妖しく翳(かげ)りを拵えている。

「御免」

 桔梗はしょげる。

「――桔梗」

 擡(もた)げられ瞳は黒耀石の闇をしている。

 その凝視に曝(さら)されてはっとした。

「ペースにはめられてたらだめ。ちゃんと桔梗らしくしなきゃ」

 叱責は不思議にやさしくて深い声音だった。

「あとは休んでなさい」

 魔貴が抱きとるみたく、彼女の体を支えた。

「気に入ってないから──」

 掴(つかま)った真魚の声は衣擦(きぬず)れに紛う。


「──わかったわ」

 魔貴は思わしげに瞳を翳(かげ)らせた。




Scene 5豹 変


(──みにくいあひるの子…)


 あるとき、書架から一枚の枯れ葉のように舞い落ちた写真。魔貴は、自嘲ぎみの呟きを真魚へと洩らした。


(九つのやつね──。雀斑(そばかす)だらけでみっともないでしょ?)

 やせっぽちで手足ばかりながく、陰気で不器量な少女の写真は、いまの魔貴と結びつきにくかった。


(そうよ、となりが、あたしのかあさま。母娘でとったのなんか、これっきりじゃないかな)

 警視総監の故夫人紫邑妖子、政財界の黒幕葛城(かつらぎ)の孫娘。まさに妖花といっていい美しさだった。


(撮ったのは母の数多いとりまきの一人で、若手のカメラマンだった)

(あたしが傍にいると彼女の美しさがひきたつ、そういって笑ったわ)

 癒されない傷から血と膿が噴き出すように憎悪の表情が浮かぶ。


(あたしったらずいぶんないがしろにされて育った子なわけ。かあさまはかえりみてくれないし、使用人ときたらよそよそしいものよ)

 かすかな溜息で拭うようにして、彼女は気怠い風情へと立ち返った。


(あのひとが亡くならない以前、こちらのみてくれがよかったら、少しは事情がちがってたかしら)

 自己中心的な母親にありえないとわかりきっている口調、ただ当時の彼女はそれを切実に願っていたのだろう。


(いまさら似てくるなんて皮肉よね)



 ──なんとしても、突破口を拵(こしら)える。

 桔梗は調息で懸命に気力を漲(みなぎ)らす。

 魘されてた悪夢から覚めた気分だ。真魚の激励にちかい叱責の御蔭(おかげ)だ。

 フリースローは交代した清香だ。最初うまく入るが、二本目はずす。プレッシャーがかかってるらしい。

 三本目のボールがリングにあたる。跳ね返ったボールを私が掴みとる。

 ありったけの肩の力で桔梗へパス。取った桔梗がドリブルで突っ走る。



(“漁師と魔神との物語”知ってる? アラビアン・ナイトのお話)

 歌さながら魔貴は御伽話(おとぎばなし)を諳(そらん)じる。


(真鍮の壺に封じられた魔神が海の底に百年いて、ひそかにこう思うのよ。『俺を助け出してくれる者には永遠の富を与えてやろう』ってね。

 けど、その百年を過ぎて、誰一人救い出してはくれなかった。二度目の百年にはいった時、考えた、『俺を救い出してくれる者には、地のあらゆる宝物を探し出してくれてやろう』けど誰も出してくれない。こうして四百年が過ぎた。

 そこで考えた、『俺い救い出してくれる者には三つの願いを叶えてやろう!』けど誰も救ってはくれないのよ。それで最後には、心の中でこう誓った──)


(『今となっては、俺を救い出す奴を殺してやろう。だがそいつに死に方を選ばせてやることにしよう!』)



 舞と柊子が魔貴に足どめして三編みの娘も加勢に入る。

 桔梗が陸上部の娘を抜いて切り込むと松任谷が防いだ。



(中学へ上がるとき、それだけが自慢だった髪を切って、快活で人好きする少女になろうとしてみたの)


(個人競技じゃなくてバスケを選んだわけ? チームプレーとかにあこがれたからかしら。あいにく部は人間関係が最悪で内部分裂すんぜん。一生懸命それでもなんとかしようって頑張ったら、いやっていうほど妬みや中傷かうはめになったわ)


(自惚れてるみたいだけど、あたしは1対5でも勝てた。たとえ9人を敵にしても、ごかくでやれなくはないわ)

(それでもやっぱりすごくやるせなかったな)


(一度で挫けるのは臆病だって、あの桔梗なら叱るでしょうね。でもあれは最初じゃはないわ、最後の願かけだったのよ)

(ほしかったものはあきらめてからえられたけれど、もうそのときにはのぞんでなんかいなかった)



 松任谷を掻いくぐるやいなや、桔梗が跳躍する。

 躰は毬のようにしてはずみあがっていた。

 リングに足掛けが出来そうなくらい高かった。

 そこから下降しながらボールを真ん中にぶちこむ。

 ゴールが壊れないかと案じられる勢いだった。


 一堂が仰天していた。

 しばらくしてから、喚声が硝子を揺らす。

 花火が打ち上げられてから、音が轟くまでの間に似ていた。

 そして、此れは特大の花火だった。



 「──ダンクシュート」

  律子は唖然たる面持ちである。

 「む、むちゃくちゃだ」

  芹沢もあんぐりとしていた。


 バスケというより新体操、新体操というより曲芸で、曲芸ではなくて武術だった。

 なにせ、有名無実な武術家の錚々たる面々から、戸隠の大天狗と尊崇ないし敬遠されている御仁の娘だ。

 桔梗も烏天狗くらいの通力はあるとみえる。ボール扱いには不慣れでも、天狗飛びなら御家芸ってわけだ。



「やれやれ、手加減してられないかしら」

 魔貴は懶(ものう)げに呟く。

「たいそうないいぐさね」

 耳ざとく松任谷が聞き咎めたが、安堵に似た響きがなくもない。みんな意気を挫かれていたのだ。

「嘘っ! あれで本気じゃなかったんですか?」

 水穂は目を瞠(みは)る。

「なんたってさ、中学んときの最優秀選手( M・V・P )だよ」

 末子が活気づく。

「力を温存してただけ、と、いいたいとこだけれど、一人でやれるもんじゃなし、

 まだ、たよらせてもらっていい?」



「みものね、どうするか」

 律子は興奮を堪え、手摺を握りしめる。

「さて、どんなものかな」

 芹沢は破れかけの冷笑をやっと繕った。



 ゾーンプレスに変えてきた。ゴールに桔梗を近寄せない。

 桔梗は攻めあぐねて柊子に回す。柊子が撃つがはずした。

 リバウンドは松任谷から清香。私が行く手をはばむ。

「清香」

 鞭みたいに撓やかで小気味いい指示。めまぐるしくボールが移りながら速攻。

 桔梗と舞で挟撃った刹那、魔貴の姿が掻き消える。

「きゃっ」

 舞のたじろぐ悲鳴がした。心窩(みずおち)を抉るような気迫。

 過る風が桔梗の髪を靡かす。かろうじて網膜に懸かった影は危険で優美な女豹を思わせた。

 躰を慄きがとらえる。縹渺(ひょうびょう)たる影は流れるごとくシュートフォームへ変じる。



「あれだわ!」

 律子は危っかしく手摺から身を乗りだす。

「最高絶対、不撓不屈(ネバー・ギブ・アップ)よ!」

 挙げ句、手放しで意味不明の声援を喚く。

「きゃーっ」

 ずり落ちかけるのは当然のなりゆきである。

「おっ、おい?!」

 芹沢は慌てて彼女の腰を抱きかかえたため、局所に手をあてがい尻に顔を埋める羽目になる。

 これを役得と随喜すべきか、醜態と悔やむべきか難しい。



「ねえ、あそこで騒いでいるの、風紀委員長の律子先輩よね?」

 ベンチの水穂が末子にいった。

「そうよ、鬼の風紀委員長で、女子バスケ部部長の律子女史よ」

「ああいうひょうきんな人だったのね」

「うん、しらなかったわ」

「あっ、生徒会長さまが、あ、あんなところにさわって!」

「不可抗力よ! 水穂、泣くな!」



「──閑話休題(それはさておき)」

 律子は唐突に話をもっていく。流石(さすが)に気伏(きぶ)せだったらしい。


「芙蓉のバスケ部が内部分裂してたったて噂、あとから耳にはいったわ。あの娘は何とかしようって懸命だったみたい」


「うちの女子部みたいにか」

 芹沢も我ながら皮肉に切れ味ない。


「あの娘はまぎれもない天才だった。天才すぎて妬まれるとわかってたから、巧妙に欺いてしかプレーしようとしなかった。

 それさえチームメートは足をひっぱるような真似をした。彼女が実力をみせたのはバスケをみかぎってしまってから」



 魔貴は後ろ回しのパスで、桔梗をやんわりいなした。

 受けた水穂がシュートするが、射程が遠く入りそうになかった。

 魔貴が虚をついてジャンプした。空中でボールをとるなり、リングの中にたたきこむ。


 ──アリウープ!


 ダンクを上回る高等技術であり、なおかつ美しかった。

 すべてがそれに魅せられていた。



「学校そっちのけで決勝戦までおっかけしたわ。奇蹟の優勝とかって騒がれたけど、実際には当然しごくの結果だった。

 試合終了した大喚声の最中、あの娘は少し口許を歪めて笑った。わたしには泣きそうにみえた。

 ああいうときって大抵泣けるものよね。けれど、無性に痛々しくみえたわ……」



 魔貴が抑えに専念しなくなった分、桔梗に得点できる見込みが益した。二人による点の取合いみたいな恰好だ。

 助倍心(すけべごころ)で観戦していた男子らも、不埒な念を隅に押しやっていた。


 声援は次第に熱狂的になっていく。

 そしてやがて、息づまる沈黙へ変わった。


 魔貴と桔梗の一騎打ち(マン・ツー・マン)が続いていた。ほかは立っているのがやっとだった。

 いくら破られても屈せず、桔梗は相手に喰い下がった。


 それまで加算されていた得点が膠着(こうちゃく)していた。

 数分の時間が果てしなく長い。


 ふと、遠い春雷が耳朶(じだ)にふれた、柔らかな接吻のように──。


 へぼ錬金術士が金の陽射しを陰気な鉛に変えたみたいないかがわしい空模様。

 学校のある丘の風景はくすんで沈鬱(ふさ)ぎこむ。


「きゃ、雷……」

 体育館の照明が瞬くや、風に吹き消されでもしたみたく、四方は薄闇の蚊帳で蔽(おお)われた。


 しかしながら、試合は須臾(いささか)も中断されていない。

 漣(さざなみ)のように声が波紋し、やはり漣のように静まった。


 ドリブルの連綿たる鳴動とシューズの囀(さえず)りだけが、薄暗い体育館に微音(かすか)な谺(こだま)を響(かえ)していた。



 稲妻の映写機が中庭の景色を銀幕(シネマ・スクリーン)のように浮き上がらせた。


「や、やだーっ!」

 律子が泣きべそで抱きつく。

「あいかわらず苦手かい。いつぞやのように失禁なぞしないでくれたまえ」

 芹沢は幼児をあやすように髪を撫でてやった。


「幼稚園( むかし )のことじゃないのよ」

 赤面して動揺する。

「腰が抜けて歩けそうにないから、僕が負ぶって帰ったんだぜ。背中が生暖かくて閉口したよ」

 抗議しようとする律子の唇を接吻が塞(ふさ)いだ。


「……?」

 問いたげな眼差しが返る。

「気のまよいだ、わすれてくれ」

 囁きながら眼鏡をはずす。


「そうよね、気のまよいよね」

 ぼんやりと呟いて、彼の首へ腕を絡める。

「そうさ、いまだけさ」

 二つのシルエットが重なっていった。開いた窓から雨がしぶいている。



(シュート!)

 のこり数秒。桔梗は最期の力を振絞ってジャンプ。

 空中で体勢を変えて、魔貴の防御を躱(かわ)そうとする。

 ダブル・クラッチ!


 まだ逃れられなくて、さらに体勢を変える。

 トリプル?!

 だが、見抜かれてた。魔貴がボールを攫う。

 床へ落ちた桔梗に試合終了を告げるホイッスルが追討ちした。


 切歯扼腕( くやしが )る桔梗は力任せに床を殴る。

 魔貴は気怠(けだる)げに目蓋を垂れた風情に戻り、“美しき懶惰”を面紗(ヴェール)さながらに被った。


 一堂が金縛りみたく身動きできぬ侭(まま)だった。

 我に返ってから歓声で詰め寄せたとき、桔梗は何処ぞに姿をくらましていた。



 芹沢が咳払いして踵をかえす。


「たしかに彼女を部に入れてみたくはあるがはたしてどうかな。

 女子部存続とは別問題だが、君の頑張りを期待しよう」


 捨てぜりふはてれかくしかもしれない。

 律子女史は、ずりずりとへたりこんだ。



「うぇ……ひっく……ぐす」

「どうしたの水穂?」


「……律子先輩が生徒会長様とキスしてた」

「まさか、こんなとこでそんなわけないじゃん」

「ひっく……だって、みたんだもん」

「気のせい、気のせい」


「律子先輩の馬鹿ーっ、生徒会長様の色魔ーっ!」

 かわいい罵声をはりあげる。



 へたりこんでた風紀委員長は、こそこそと四つん這(ば)いで退散した。

 

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