エピソード 1 桔梗の日常 PK(ペナルティー・キックではない)
戸田家にある桔梗の部屋は、二階の左端にあって、一番窓がおおい明るい部屋だ。
六畳の畳を敷き、窓際にはベッドや机なんかが置いてある。
隣と向かいの二つとは、兄貴達のになっている。
桔梗は畳に両肘をついて、腹ばいになっていた。
彼女の前にはチェス盤が置かれており、中盤戦の駒の配置になっている。
窓から入る光のそれは休日の午後だった。
桔梗ランニング風のシャツを着て、黒っぽいスカートを履いている。
ゆるい脇から胸乳が覗けるのだが、気にしているようにも見えない。
机の側の書架には、冒険小説、ハードボイルド、ミステリ、SFのたぐいが並んでいる。
下の方には動物専門誌が、どっさり積まれてあった。
部屋を仕切る壁にしつらえた棚には、帆船模型、瓶に入ったガラス玉、木彫りの動物や人形などが置かれてあった。
棚の脇には海賊の古地図みたいなのが貼られており、大蛸、舵輪、難破船、長い髪を垂らした人魚、海蛇、財宝や埋められた骸骨などの描かれていた。
――クィーンをe-6へ、ポーンをとる。
桔梗は余りチェスが得意というわけではない。
むしろそれは柚子や亮にいのほうだ。
桔梗はチェス盤の駒の一つへ精神を集中する。
何も手を触れられていないのに、黒のクィーンが、すっと動いた。
――白、ナイトをd-5…。
白のナイトがカタリと動きかけた。
どかどかと足音がして、ドアが大きく開く。
「おい、桔梗」
「なんだい、良にぃか」
三男坊の良だった。
おそろしく大柄だが、ひきしまった体躯をしている。
バサバサした髪、あさぐろい顔には、鼻筋から右頬にかけて斜めに、青白い疵跡があるが、わるくない容貌だった。
逞しく発達した腕や首筋には、喧嘩でつけた刃物傷が無数に走っている。
某校の番長をしており、界隈にはばをきかせている。
「マンガ貸せ。超電磁砲(レールガン)あるか」
御坂美琴が好きなのだ。
「そこだよ」
桔梗は身を起こして、胡座をかく。
兄貴は、彼女の痩せた躰(からだ)をみながら、こいつあいかわらず色気もなんもないやっちゃと思った。
畳の上に伏せられていた本が、ふわりと舞い上がり、彼の手の中に落ちた。
「ちっ、手品みてぇな真似するのはよしな」
彼はたいして驚いたふうでもない。
「手品じゃないよ、PK(サイコキネシス)てんだぜ」
「どうだっていいが、薄気味わりいもんは好かん」
超電磁砲は魔術と超能力の話なのだが、現実ではうけいれがたいらしい。
「おもしろいじゃん」
「けっ、んなもんが何の役に立つんだ。気にくわん奴をぶちのめすのにゃあ、この腕さえあればたくさんだ」
蔑むようにいう。
「親父様なら、気合いだけで岩を割れるぜ」
桔梗の父は、昔、修験者のような荒行をつんだことがあったらしい。
「ありゃあ、化け物よ」
「そりゃそうだ」
桔梗は破顔した。
自分の子供らに化け物扱いされる凶運斎もつくづく不運な御人である。
「とにかく、借りてくぜ」
片手で本を掲げる。
「後でかえせよ」
「ああ」
戸口のところで振り返る。
「ところでよ、お前、もう少し肉をつけろな。色気ねぇぜ」
「るせぇ」
チェス盤の駒がひとりでに飛んで、スコンと頭にあたる。
「いちっ」
兄はぼやきながら退散した。
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