ACT Ⅱ 幽霊
Scene 1 教 室
「――紫邑魔貴(しむらまき)。まだ欠席か…」
担任が出席簿へ吐息をついた。
(…ほんとにいやになるわよね)
(…いったい、どういうつもりなのかしら)
入学式から数日したのに、中程の席が空いたままだ。
(…遊び歩いてるにきまっててよ)
(…いつだってみがってなんですもの)
とらえどころない悪意を含む噂が取り沙汰されてる。
(…すげえハクイ
(…彼女にくらべりゃ)
紫邑魔貴は容姿端麗にして学年主席とやらで、黒百合学院のマドンナと称えられているそうな。
(…あとはカスよ、カス)
(…やめとけやめとけ)
さりながら素行はかならずしも芳しからず。常習的校規違反で名を馳せているとやら。
(…裏番だってうわさだぜ)
(…そんなの信じるかよ)
――不安、興味、悪意、待望。
そこにはいない彼女の存在が、幽霊めいた得体のしれなさで、空気を支配していた。
(…はやくこないかな)
(…待ちどおしいわね)
――待望。
Scene 2 生徒会室
「取締強化なんて断固反対だわ」
「それについては何度も話し合った筈だ。僕らには頻発する校内暴力を一掃し、無辜(むこ)の生徒を守る義務がありはしないかね」
「いきすぎは反撥をまねくだけよ」
「不穏分子は粛正するまでさ」
「あなたのやろうとしてることはファシズムだわ」
「わかってほしいね、律子」
「御免こうむるわ」
「つれないな、幼なじみじゃないか」
「はん」
「
「卑劣そうな笑いね」
「これは失礼した」
「あなたはナポレオンの出来そこないよ」
「彼は英雄じゃなかったのかい」
「みえっぱりの独裁者だわ」
Scene 3 教 室
──牛乳の日付が古い。
いわずもがなの昼休み。
私は眉を顰(ひそ)めながら、パックにストローを差し込んだ。
下痢はしないだろう。
「きゃっ」
おさげ髪でちっこい子が、ひっめ髪の子と話しながら、教室を出ようとして、敷居に躓(つまづ)く。
「気をつけてね」
来合わせた黒髪の上級生に支えて貰う。
「風紀委員長だぜ」
「抜打ち検査かよ」
中等部から繰越した男子等が慌てる。
「静かに!」
堂に入った一喝である。
「まあ、あたしは風紀委員長してるけど、この度はその件じゃないわさ。鬼が来たように騒がないでくれる」
艶やかな髪を二つに束ね、眼鏡は透明な赤い縁。鬼にしては捌(さば)けた口調。
「紫邑魔貴はこのクラスじゃなかった?」
女生徒達が何やら囁きかわす。
「あの人は一度も学校に来てないスよ」
軽めの不良風が頭を掻いた。
「それならまたにしようか」
彼女は目にみえて落胆する。
「何か伝言がありますか?」
尋ねたのは黒髪に赤いリボンを結んだ子、そこはかとなくニヒルっぽい美少女である。
「部活(バスケ部)の勧誘なんだけどね、直接交渉したいからいいわ」
風紀委員長は気弱にほほえむ。
「まだ決めてない人は考えてみて、我が女子バスケでは大歓迎よ」
突然、強い語気に復帰した。
「オレ、はいっていいスよ」
ひょうきんな奴がおどける。
「はいな、男子は弘明…もとい、生徒会長にいってね。どうもおじゃまさま」
彼女は苦っぽく笑って退場。
「鬼の律子女史らしくなかったね」
赤いリボンの美少女がつぶやきをもらした。
「うん、なかった」
ねこみたいなめつきをした女の子が応えた。
「噂、ほんとかな」
「女子バスケ部とりつぶし?」
「律子女史、頑固に批判してるし」
「報復ね、生徒会長ならありえる」
「学園独裁なんて陳腐きわめつけ」
「顔はいいのにね」
「目つきが厭(いや)だわ」
「マンガみたいだね、おもしろくなるかも」
「我々当事者としては、そうもいってられないわよ」
「魔貴がかかわりになるかな」
「さあ?“
Scene 4 演劇部
「紫邑魔貴だったら、うちでも欲しいな」
人けのない演劇部に顔出したら、二十面相が私にいった。
「ひくてあまたですね」
私は皮肉っぽくなる。
「メンクイじゃないよ」
彼は演出台本で面を覆い、稽古場に寝ころがっている。
「ちがうんですか」
床に散らばる奇術用のトランプを踏むまいと苦労する。
「希なる才能と容姿、くわえるに修練だね」
彼は薄目で台本をずらす。
「舞台経験ありなわけ」
――こら、スカートを覗(のぞ)くな。
「それはわからない」
裾のひっぱりっこである。
「いいかげんですね」
不意に放され、腿があらわ。
「人生を一幕の芝居に看做(みな)し演じてる」
木崎秀は中学以来の先輩で部長をしている。演出を専らとするが変装の名人である。
奇術マニアで代役の天才。二十面相というのは、探偵小説好きの桔梗の命名だ。
凡庸そうな皮を被って、なかなかのくわせものである。
「要するに、才色兼備か」
私はぺたんと座り込んだ。
「そうだな、花があるよ」
どうせ、花柄なんて似合いませんよ。
「お姉ちゃんのように?」
彼は姉の恋人だったことがあるのだ。
私の姉の沙羅はたおやかで聡明な美女、ふんわりとしたものやわらかな挙措で、はなやいだ雰囲気を撒き散らしている。
かくのごとき姉がいるといささか僻(ひが)みっぽくなるわけよ。
「沙羅には刺がない、彼女には毒がある」
その姉が彼をひっぱたいて別れたのは、彼の底知れない人のわるさがもとである。
姉のほうから好きになり、姉のほうで傷ついて去った。
ぼんやりしてさえなくみえるけれど、剃刀の刃のように鋭い人物だ。
沙羅は不用意にさわって手を切ったわけだ。
「黒百合のマドンナだそうですね」
聖母の白百合は純潔の象徴だが、
黒百合の花言葉は"呪い"である。
「"ルージュをひいた魔女"と陰口されている」
私の三つ編みを掴んで起き上がる。
(禿るっちゃ!)
「いわゆる、"宿命の
怜悧な眸が間近なので、動揺する。
「魔女めいた禍々しさをひめた美しさだよ、その名のとおり
魔性の貴婦人そのものさ」
――彼に恋人なかりせば、惚れてやるのに。
世の中、うまくいかないもんだ。
Scene 5 噴 水
月かげに
色映えて
花と咲く
水の花束
雨に似て
涙をふらす。
(『悪の華』堀口大學訳/新潮文庫)
“人生は一行のボードレールにしかず”、とか書いたのは芥川龍之介だったか。
これはその象徴派詩人( ボードレール )であるからして、さしずめ人生六回分くらいに換算さる。
廻廊式の中庭で、優雅に桔梗と昼食を取ってる。中央に据えられた噴水が花束を風に散らしてた。
「紫邑魔貴ってどういうしろもの?」
噂などに無頓着な桔梗も好奇心を抱いたようだ。
「謎ね。成績優秀品行不埒、美貌絶世粉飾過剰」
早弁の桔梗はパンだけだ。餌を奪われてなるものか。
「中国語は勘弁だぜ」
敵はウインナを狙う。
「これは日本語の一部よ、猪娘」
私は手に箸(はし)を突き立てる。
「狼少女がいいよ」
か、牡蠣(かき)フライがないわ──。
Scene 6 物 置
「南中で番はってた女が、
一年にいるってね」
横幅に迫力ある女が、鯨さながら煙を吐呑する。
「戸田桔梗だろう、えらく喧嘩が強いってよ」
小柄なおかっぱは爪の手入れに余念なかった。
「はん、アタイらにかかれば、屁みたなもんさ」
のっぽの女が骨ばった手で赤毛をはね上げた。
「こいたね、カッパだろう」
一番目のデカコこと出羽佳子が鼻を摘まむ。
「しらない、ノッポでしょ」
二番目のカッパこと、川原葉子が裾を擡(もた)げる。
「デカコのいいだしっぺさ」
三番目がノッポこと、野坂穂波が手団扇する。
「なんだっけかな」
物置で煙草ふかすは、スケ番三人組。
「戸田桔梗でしょ」
「片付けちまおう」
南中に番長などいなかった筈である。
誤った情報が流布してるようである。
「でかいつらさせらんないからね」
でかい女が鼻からけむふく。
「でもさ、あの女(ひと)のクラスだろ? それってやばくない?」
おかっぱがおびえたように自分の肩を抱いた。
他の二人も色をなくして黙りこむ。
「まだでてきてないよ。やるんならいまのうちさ」
なにやら、頭のわるい結論にたっしたようだ。
――。
Scene 7 中 庭
「――なにやら、物騒よ」
というのはほかでもない、あちらの廻廊からスケ番連が登場し、不穏な気色で中庭を突っ切るからだ。
「腹ごなしが出来るぜ」
桔梗は草の茎で歯をほじくっている。
私の牡蠣フライ……。
(“雀の子、そこのけそこのけ…”)
女の子らを蹴散らしながら猛進する。
進行方向にあたった少女が立ちすくんだ。
色白で兎みたいに怯えた眼した
「どけってんだ」
横幅に迫力の女がその子を突き除けた。
「きゃっ」うさぎはよろめいて噴水に落ち、
「ぎえっ」はずみでデカコの袖を掴(つか)んでいた。
「ひえっ」デカコはカッパをひっぱって、
「うへっ」カッパはノッポをひっぱった。
廻(めぐ)る因果的連鎖反応で水へ縺(もつ)れ込む。
「よくもこいつ」
バチャバチャと女の子を殴る蹴る。
「水浴びかい」
お取り込み中、暢気な声がかかる。
「戸田桔梗だね」
連中はそちらを捨てて不穏な団欒。
「そうだけどさ」
デカコは大相撲風につっぱり、
カッパは正統派不良の剃刀で、
ノッポはムエタイの回し蹴り。
「やめたほうが」
見事な連携だが、桔梗は軽く躱(かわ)す。
「いいんでない」
連中のこらず地面にのめりこんだ。
「大丈夫かい」
ずぶぬれの女の子は涙ながら頷(うなづ)く。
「こいつらどうしよう」
桔梗はのびてる連中を爪先で突(つつ)く。
「ここで干しといたら」
私は白衣の天使(ナイチンゲール)になれそうもない。
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