8月(5)色々なペナルティー
「……到底納得できないって顔ね」
「当然です! どうしてあの人が、二課に来るんですか!?」
「あなたへのペナルティー代わり」
「はい?」
盛大に文句を言った美幸に、真澄は平然と答えた。そして咄嗟に意味を捉え損ねて当惑した顔を向けた美幸に、補足説明をする。
「仲原さん、あの件がきっかけで総務部に居辛くなってね。清川部長にちょっと声をかけてみたら、嬉々として私に押し付けてきたのよ」
「あの人が居辛くなったのは、自業自得じゃないですか!」
鼻息粗く切り捨てた美幸だったが、ここで真澄は幾分目つきを険しくした。
「あなただったら、やろうと思えばあそこまで騒ぎを大きくせず、かつ彼女達をやり込める事は十分できた筈よね? 何と言っても《あの》桜花女学院で、揉まれてきたんだから」
「それは……」
流石に後ろ暗い所が有った美幸が口を濁すと、真澄がその期を逃さずたたみかける。
「この前も言ったけど、爪切りと目薬はやり過ぎだったわ。これに付いては私としても黙認する訳にはいきません。今後、あなたには同じ課の同僚として、仲原さんに接して貰います」
「ですが!」
「これは課長命令です。因みに私は肯定の返事しか聞きたく無いわ。それ以外の言葉を口にしたければ、異動願いを出してからにして頂戴。返事は?」
反論しかけた美幸だったが、真澄の有無を言わせない物言いに、歯軋りしたいのを何とか堪えた。
「……分かりました。以後あの人と波風を立てない様に、努力します」
「そう、宜しくね」
そこでいつもの笑顔で鷹揚に頷いた真澄は、何事も無かったかの様に今来た廊下を戻り始めた。
(……っ! 悔しいぃぃっ! 喧嘩を売って来たのは向こうなのにっ!)
そして後に付いて歩き出した美幸は、傍目には変化が無かったが今までに無いくらい腹を立て、そもそもの原因とおぼしき人間に対して八つ当たりをした。
(そもそもっ! あの人達が変な因縁を付けて来たのは、係長のせいじゃない! 許さないんだから!)
しかし心中はどうあれ、室内に戻った後の美幸は見事に目の前の仕事をこなす事だけに徹し、誰にも余計な口を挟ませなかった。
そしてその日、終業時刻を過ぎて美幸が退社すると、表通りを歩き出した所で背後から軽く走り寄る足音が聞こえたと思ったら、聞き覚えの有り過ぎる声が横からかけられた。
「藤宮さん。そこまで一緒に帰らないか?」
「構いませんけど……。何かご用ですか? 係長」
如何にも胡散臭い物を見るような目つきで見上げてきた美幸に、思わず城崎が苦笑いする。
「そうだな、用はあるな」
「それでは手短にお願いします」
歩みを止めず、ツンとして正面に向き直った美幸に、城崎は(全く、手強いな)と笑いを堪え、並んで歩きながら話し始めた。
「随分機嫌が悪そうだな」
「今朝からのあれこれで、どうやって機嫌良く過ごせと?」
「しかし業務中は何とか猫を被っていただろう? それが終わった途端にこれだから、露骨過ぎて面白いな」
「仕事しろって課長に言われましたからねっ! 同僚の足を引っ張る程考え無しじゃありません! あまり人を見くびらないで下さい」
「それは悪かった」
そこで真面目に頭を下げた城崎に顔を向け、美幸は心底嫌そうに言い放った。
「じゃあ珍しく定時で上がれたんですから、さっさと話とやらを済ませて、仲原さんと一緒にお帰りになったら良いんじゃありませんか?」
追い払う様に片手を振る仕草をして見せた美幸に、一緒に立ち止った城崎が真顔で応じる。
「別に、理彩と帰るつもりは無いから」
「無くても帰って下さいと言ってるんです。こっちが大人な対応を心掛けてるのに、またぞろ難癖つけられたらたまりません!」
それは美幸の本心からの訴えだったが、城崎は口元に手をやりつつ、考える様な素振りを見せながら呟いた。
「それは……、大丈夫だと思うぞ?」
「……どうして断言出来るんですか?」
益々胡散臭い物を見る様な視線を浴びて、城崎は正直に思うところを述べた。
「今日の昼休みの間に、一応二人で腹を割って話し合ったからな。本人は十分反省していて、これ以上騒ぎは起こさんと言ってたし」
「へぇ? それはそれは」
ぴくっと片眉を上げた美幸の心境は城崎には手に取る様に分かっていたが、取り敢えず言おうと思っていた事を全て言っておくことにする。
「この前の事もちょっと周りに煽られた感があって、魔が差しただけだし。もともとあいつはネチネチした嫌がらせとは無縁の、結構気のいい奴だから」
「ああ、やっぱり係長は以前お付き合いしていただけで、仲原さんの事を良くご存じで。そうですか。そんな気がしてたんですけどね!」
(あぁぁっ! ムカつく! 何、この彼女の代わりに彼氏が弁解&謝る的展開は!!)
怒りと苛立ちのボルテージが益々上がってきた美幸だったが、ここで城崎が唐突に話題を変えた。
「藤宮さんの同期の子とか、親しい人にさりげなく話を聞いてみたんだけど、今現在付き合ってる人とか居ないよね?」
「それが何か?」
取り敢えず怒りを抑えて答えてみたが、城崎の不思議そうな問いかけは更に続いた。
「社内で色々声をかけられてるみたいだけど、後を引かない様に悉く上手くお断りしていると聞いたけど?」
「誘うのは向こうの勝手でしょうが、こちらにも断る権利はあります。そんな事で仕事上での人間関係にヒビを入れたくありませんから」
「誰か理想の人がいて、お断りしてるとか?」
「そんな人は居ませんが」
「それなら、俺と付き合わないか? どうも直属の上司と部下だと外聞が悪いし警戒されそうだと思って、本当はもう少し時間をおいてから申し込もうと思ってたんだけど、あんな騒ぎになってしまったから、一つはっきりさせておこうと思ったんだが」
真剣に申し出た城崎だったが、美幸は眉間に小さく皺を寄せてから短く断言した。
「お断りします」
「即答か。理由は? やっぱり上下関係? それとも年齢?」
苦笑いするしかない城崎が一応理由を聞いてみたが、その答えは城崎の予想の斜め上をいった。
「私、社内恋愛って邪道だと思ってますから。それに女ったらしの係長は好きになれません」
「は?」
「それでは失礼します」
本気で城崎が困惑している間に美幸は素早く一礼して駆け出し、その場から立ち去って行った。そこで無理に追いかけても意味は無いと思った城崎は、黙ってその背中を見送ってから、右手で軽く前髪をかき上げつつ小さく笑いを零す。
「社内の人間だと駄目っていうのが、意味が分からないが……。まあ今回のあれで腹は据わったし、最初から仕切り直しだと思えば、それほど遠回りでも無いか」
そんな事を呟きながら、城崎は帰宅の途についた。
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