8月(6)一本釣りの真相

 色々な問題を抱えながらも、企画推進部二課が新たに二人を迎え入れてから半月程経過したある日、仕事帰りに高須が半ば強引に城崎を居酒屋に誘い、差し向かいで飲む事になった。


「……お疲れ様です係長、やつれてますね。ま、取り敢えず一杯どうぞ」

「すまん」

 苦笑いするしかない城崎の持つグラスに、高須がビールを注いでしみじみと述べる。


「係長、本当に苦労が絶えないですよね。偶々あの二人を入れた次の週に、課長が夏休みに入ってしまいましたし」

 それを聞いた城崎は、ちょっと肩を竦めてから何でも無い事の様に告げた。


「課長は、お盆期間も返上で勤務していたからな。休まないで下さいとは言えないし、たかだか土日を挟んで五日だぞ? これで支障を来す様なら、俺の力量に疑問符が付く。それに明日から出社されるしな」

「ですが、ただでさえ仲原さんとは空気が微妙で係長が神経すり減らしてるのに、藤宮は藤宮で課長に怒られたのを逆恨みして、未だに係長を睨んでいるし。止めろって一応窘めてはみたんですが……」

 そう言って苦い溜め息を吐いた高須に、城崎は苦笑を深めた。


「高須、お前の立場でそこまで気にしなくて良いから」

「分かりました。しかし瀬上さんまでくっ付いてくるとは、正直予想外でした。仲原さんに片想い中なのを見抜いて、営業五課のエースを引きずり込む課長の手腕は流石です」

「どうしてそんな事を知っている?」

 城崎が思わずお通しをつついていた箸の動きを止め、怪訝な顔を高須に向けたが、問われた高須は隠すつもりは無かったらしく、幾分疲れた感じで話し始めた。


「実は二人がうちに入る直前、課長が帰宅しようとした仲原さんと瀬上さんを引き止めて口説き落としている場面に、偶々遭遇しました」

「本当か? どうやって口説き落としたって?」

 軽く目を見張って驚きの表情を見せた城崎から、若干視線を逸らしながら高須が続ける。


「仲原さんに対しては『あの男尊女子腰巾着の下で、正当に評価されるわけ無いでしょう』とか『今回の事を理由に、体よく放り出されるわね』とか、『あなた元々営業部か海外事業部希望だったのよね? 負け犬のままで終わりたい? 最後のチャンスをあげても良いわよ?』とか、脅してるんだか怒らせてるんだか煽ってるんだか、端から聞いていると良く分からない物言いで瞬く間に丸め込んで……」

 そこで口ごもった高須を見て、城崎も視線をテーブルに落としつつ軽く溜め息を吐いた。


「……うちの課長、お嬢様然していて、意外に人を手玉に取るのが上手いからな」

「瀬上さんは……、仲原さんがその場を立ち去ってから課長が『隠れていないで出てきなさい』って物陰に声をかけたら、姿を見せた時には本気で驚きましたよ」

「高須は彼が居たのに、気が付かなかったのか?」

 僅かに驚いた様に城崎が確認を入れると、高須は真面目に頷いた。


「ええ。それだけでも驚いたのに、続けて課長が『随分と健気なナイトが居たものね。だけど安心して頂戴、うちには城崎係長がいるから。影からコソコソ見守らなくても結構よ』と言って、出て来た瀬上さんに向かって、いかにも楽し気に笑ってみせて……」

「課長が?」

 反射的に城崎の顔が僅かに引き攣ったが、高須は見なかったふりをした。


「はい。それで……『あの二人、元々付き合ってたらしいし、相性はそんなに悪くない筈だしね~』とか、『この機会に焼け木杭に火がつく、な~んて事にもなりそうよね~』とか、『部下同士が結婚なんて事になったら、やっぱり披露宴とかでは祝辞を頼まれるのかしら? 今から緊張しちゃうわ~』とか、顔を強ばらせてる瀬上さんを、散々煽って……」

 そこで高須が再度溜め息を吐いたが、城崎は城崎で片手で頭を押さえながら呻いた。


「課長……、他人の色恋沙汰に首を突っ込んでる暇があったら、少しは自分の周囲に目を向けてあげて下さい。お願いですから……」

 その妙に心情が籠もった呟きに、高須が首を傾げつつ声をかける。


「何をブツブツ言ってるんですか? 係長」

「いや、何でもない。それで?」

 気を取り直した城崎が先を促すと、高須はすぐに話題を戻した。


「散々煽った挙げ句に、『うちは慢性的に人手不足でね。優秀な人間は喉から手が出るほど欲しいのよ。……優秀な人間ならね』とだけ言って帰る素振りを見せたら、瀬上さんが課長を呼び止めて『俺が欲しいならうちの課長に話を通して下さい』とふてぶてしく笑いながら言い放って、課長が『どの程度優秀かは、実際下で働いて貰ってから判断するわ』と応じて……。もうムチャクチャ怖かったですよ、あの時の二人の周りの空気!」

「課長……、普段冷静沈着で上品なのに、いざとなったら手段を選ばんタイプだからな」

 テーブル越しに僅かに身を乗り出しつつ訴えた高須に城崎が同意したが、ここで高須が真顔で付け加える。


「でも……、一番怖かったのは、瀬上さんがその場を去って、課長だけになった時でした」

「何かあったのか?」

 僅かに首を捻りつつ城崎は詳細を尋ねてみたが、次の瞬間尋ねた事を激しく後悔した。


「すこぶる上機嫌の課長が、『いっもづる~、いっもづる~、いっぽん~づり~で~、いっかくせ~んき~ん!』って妙な節をつけて歌いながら、満面の笑みで歩き去って行きました」

「………………」

 それを聞いた城崎は、もうフォローする事を諦めてグラスから手を離し、無言のまま両手で頭を抱えた。それに高須が追い討ちをかける。


「二課への配属希望者って、滅多に居ませんから。仲原さんに加えて瀬上さんまで芋づる式に引き抜ける事になって、よほど嬉しかったんでしょうね。現にあの二人が来てから、うちの業務処理能力とモチベーションが、文句なく上がっていますし……。あの時の課長の笑顔に寒気を覚えた俺の感性は、おかしいんでしょうか?」

 最後は誰に言うともなく呟いた高須に、何とか気合いを入れて顔を上げた城崎が、冷静に言い聞かせた。


「高須……、悪い事は言わん。俺に今話した事は全て、記憶から綺麗さっぱり消去しろ」

「そのつもりです。もう三年目なので、大体分かっていますから大丈夫です」

 そう力強く頷いた高須に城崎は一瞬突っ込みを入れたくなったが、それを辛うじて抑えた。すると高須が城崎の顔色を窺いながら、確認を入れてくる。


「察するに……、仲原さんと付き合っている頃から、係長は瀬上さんに敵視されていたんですよね?」

「別れた後は、それに拍車がかかったがな」

 苦々しい口調になり、手酌でビールを飲むのを再開した城崎を見て、高須が同情する様な声を出した。


「別れて嬉しいけど、彼女を振ったのは許せないって事ですか? ホント、面倒ですよねぇ……」

「気持ちは分からないでも無いがな」

 淡々と述べた城崎に、高須が興味深そうに尋ねる。


「で? 取り敢えずどうするんですか?」

 それに対する城崎の答えは明白だった。


「どうもこうも。取り敢えず職場を円滑に回すより他無いだろう? 藤宮さんとはあれ以来一緒に出歩けなくなったし、この前妙な事も言われたが、仕切り直しと割り切って色々考えるさ。状況が落ち着くまでは、ちょっと難しいかもしれないがな」

「何を言われたんですか……。しかし本当に苦労が多いですよね。二課の係長は城崎さんにしか務まらないのが良く分かりました。頑張って下さい」

「…………ああ」

 呆れ半分激励半分の、何とも微妙な高須の台詞に頷いてから、城崎はうんざりした様に、目の前のグラスの中身を一気に煽った。

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